小説 親鸞・花は夜風に乗って 4月(9)

「よい、童形じゃ」

慈円僧正は、しげしげと見入っていたが、卓に手をのばして、そこにある銅鈴を、しずかに振った。

鈴の音を聞くと、

「お召しでございますか」

執事の高松衛門が、次の間まで来て、手をつかえた。

「衛門か。この和子に点心(菓子)を与えてください」

慈円がいうと、

「かしこまりました」

衛門は、やがて、高盆に白紙を敷き、その上に、紅白の花形をした捻頭(むぎかた)や餅餤(べいだん)とよぶ菓子をたくさん盛ってきて、

「よい和子、僧正さまの賜り物、召し上がれ」

と、十八公麿にすすめた。

そして、範綱には、古雅な器に汲んだ緑色の飲みものを供えた。

器からのぼる香りに、範綱は、渇(かつ)をおぼえて、喫してみようかと思ったが、どうして飲む物かがわからなかった。

青蓮院を訪れると、時々、こういう目馴れない食味や、什器を見せられて、僧正の知識に驚かされるのであった。

「ぶしつけなことをうかがいまするが、この、緑いろの湯は、何というものでございますか。

――よい香りがいたしますが」

範綱が、問うと、僧正はわらって、

「茶とうものだ」

と、教えた。

「ははあ」

これも唐から舶載(はくさい)してきたものにちがいないと範綱は器を手にとって、

「このまま、いただくのでございますか」

「そうじゃ」

「頂戴いたしまする」

辞儀をして、範綱はひとくち、口へ含んで、

【苦い……】と思ったが、かろい甘味が、舌頭にわいてくると、何か、爽やかな気分をおぼえた。

「どうじゃ、味は」

「けっこうに存じまする」

「うまくは、なかろう」

【はい】ともいえないので、範綱は、なにか、爽やかになると答えた。

慈円は笑いながら、

「近ごろ、仏書と共に、わずかばかり手に入れたので、試みておるが、なかなか捨てがたい風味がある。

聞けば、茶の木の胚子(たね)は、夙(はや)くから舶載されて、日本にも来ているそうな。

どんな花か、花が見たいと思う…」

などと、かたり出で、中華では魏晋(ぎしん)のこころから紳士のあいだで愛飲されだして、唐の陸羽(りくう)は、茶経(さきょう)という書物さえあらわしている。

また、鬱気(うつき)を散じるに慾、血滞(けったい)を解くによろしい。

医家でも、用いているし、栽培もすすんでいる。

日本でもぜひ胚子を植えて、上下の民衆に、用いさせてみたいものだ――などと若い知識をもつ僧正の話はなかなか該博(がいはく)で、経世的(けいせいてき)であった。

ことにまた、慈円は、僧院の奥ふかい所にいるが、政治にも、社会のうごきにも、なかなか達眼があって、時事にも、通じている。

それとなく、世間ばなしのようにする話のうちには、熱があった。

「それについて、今日、折入って、僧正にお願いの儀があって、うかがいました」

と、範綱は、やっと話のすきを見つけて、いいだした。

十八公麿をつけてきたことや、衣服の改まって見えることや、座談のあいだに、慈円も、今日の彼の訪問が、いつもの和歌の遊びや、閑談でないことは、察していた。