最後に、東日本大震災の話をしたいと思います。
僕の知り合いに福島カツシゲというWOWOW(ワウワウ)のシナリオ大賞を取ったシナリオライターがいます。
大震災があったのは受賞して少し後のことでした。
彼は5月にボランティアで石巻に行き、その光景を見て帰れなくなりました。
仕事を断り、賞金を使って1年間滞在したんです。
その彼が芝居の本を書きました。
1年間いたボランティアの話です。
僕はその芝居にすごく感動して、鹿児島でも公演してもらうようにしました。
自分も何かしたいと思って、エンディング用の曲を作って鹿児島で演奏したんです。
この芝居はとても好評で、石巻、仙台、そして全国で公演するようになりました。
僕もノーギャラで行っています。
それが僕の後方支援です。
ボランティというは、地元の人の分がなくなってしまわないように、現地では買い物などしません。
食料も持参です。
そういう人たちに精のつく肉などを送って食べてもらうんです。
僕の代わりにボランティアしてくれる人たちを僕が支えたら、最終的には、僕が被災された方がたを応援することになるということに気付いて、今はそういう支援活動をしています。
そのきっかけを作ったのも、彼でした。
3月に震災があって、僕は8月に石巻に行きました。
ものすごいショックを受けました。
彼に
「ボランティアで現地に入りたい」と言ったら、
「吉俣さんに来られたら、あなたのことが気になって他のことがおろそかになる。ケガでもされたら、こっちは一生負い目になる。来ないでくれ、迷惑です」
と断られました。
そして
「吉俣さん、音楽家でしょ。音楽家として何かできないんですか。それがあなたのやるべきことじゃないですか」
と言われたんです。
自分がピアノを弾いて誰が喜ぶのか、この景色を見て自分は何もできないのかと、すごく悔しい思いでした。
その翌日、仙台でチャリティーコンサートがありました。
行方不明者は何千人。
土地のこともどうすることもできなくて、願うことしかできない。
祈るような気持ちで『願い』という曲を弾きました。
それを聴いていた被災者の方が
「前向きに生きていきたい」
と言われているのを聞いて、音楽にも力があるんだと、自分にできることをやろうと思ったんです。
その後方支援の中で、石巻の被災者の方がたともつながりができました。
一緒にお酒を飲むと、彼らの強さに感動します。
また、今度現地に行って彼らと再会して、一緒にお酒を飲もうと思います。
そうやって、どんどん絆が深まって、僕にとって石巻が特別な場所になったのは間違いありません。
彼らの復興をずっと見届けたいと思います。