『お盆深い縁に心を寄せる』(後期)

「いのち」と「いのち」の出会いを仏教では「ご縁」と言います。

この「縁」という字は、糸偏に彖(たん)という字を書きます。

「たん」とは「端っこ」という意味で、たとえば左右の屋根のひさしを「たん」と言います。

ですから、「たん」という字は、どう考えても一緒に会うはずがない、プラスとマイナスのことで、一つに重なることはあり得ないという意味です。

その「彖」に「糸」をつけると「縁」という字になります。

縁という文字の心は

「出遇うはずのないものを目に見えない深いところで結びつけている糸のようなもの」

ということになります。

では、考えてみてください。

夫婦・親子・兄弟・隣近所の人との日々の出会いは、当たり前なのでしょうか。

それとも不思議な出遇いの繰り返しなのでしょうか……?

仏さまのお心は「無縁の慈悲」ともいわれます。

無縁とは

「すべて縁ならざるものはない」

という立場からおこされる慈悲のことです。

仏さまは、私を救う際に何一つ条件をつけられません。

すべてを無条件に受け入れる心が仏さまの慈悲なのです。

しかも、人間のいのちだけでなく、生きとし生けるすべてのいのちへと想いが広がっていくのが無縁の慈悲の姿です。

朝焼け小焼けだ

大漁だ

おおばイワシの大漁だ

浜は祭りのようだけど

海の中では何万の

イワシのとむらいするだろう

(金子みすゞ)

海の中には、数えきれないほどのたくさんの魚がいて、人間に捕って食べられるが魚だと思っていたが、本当にそうなのかな…?

みすゞさんは

「違うよ。もう一度見直してごらん。ほら、海のお魚にもきっと親しい親兄弟や友だちがいるんだよ」

と、深い縁かに生まれる仏さまのお心の世界を教えてくださっています。