しかし、範宴は、
「かわいそうじゃ」
と、かぶりを振って、肯(き)かないのである。
性善房が止める手を退けて、牢のそばへ、走り寄っていた。
そして、懐かしげに、
「寿童どの」
と、声をかけた。
朱王房は、かっと、闇の中からにらみつけて、
「十八公麿、おぼえておれ、よくもこの俺を、土牢へいれたな」
性善房は聞くに耐えないで、
「だまれっ」
と側からいった。
「――お師さまには、何もご存じないことだ。糺(きゅう)命(めい)されたのは、汝の自業自得ではないか」
「いや、貴様たちが、手を下したのも、同様だ。恨みは、こんどのことばかりではない、糺の原でも、あの後で、野火のことを、六波羅の庁に、訴えたろう」
「いやいや、幼少の時に、俺が、日野の館へ、石を投げこんだことを遺恨に思って、それから後は、事ごとに、貴様たちか、わしの一家を陥れようと計っていたに違いない。噂は、俺の耳に入っている」
「これだから……」
と、呆れ果てたように、性善房は、範宴の顔を見て、
「……救えない悪魔です」
「なにっ、悪魔だと」
朱王房は、聞き咎めて、かみつくように、罵った。
「よくも、俺を、悪魔といったな。ようし、悪魔になってやろう。こんな偽瞞(ぎまん)の山に、仏の法のり、虚偽な衣に、僧の面をかぶっているより、真っ裸の悪魔となったほうが、まだしも、人間として、立派だ」
「こういう毒口をたたくのだから、土牢に抛(ほう)りこまれるのも、当然じゃ。自体、幼少から、悪童ではあったが」
「大きなお世話だ。十八公麿のような、小ましゃくれた、子どものくせに、大人じみた、俺ではない。俺は、真っ裸が好きだ、嘘がきらいだ。―――今にみろ、うぬらの仮面や、偽装の衣を剥(は)いでくれる」
ものをいうだけが無益であると見たように、性善房は、範宴の手をとって、
「さ、お師さま、参りましょう……」
と促した。
ベッと、土牢の中から、白い唾がとんで範宴の袂にかかった。
範宴は、何を考えだしたのか、性善房が手をとっても歩もうとせず、両手を眼にやって泣いた。
「……参りましょう、こんな悪魔のそばにいると、毒気をうけるだけのことです。ことばを交わすのも、愚かな沙汰です」
「…………」
動こうともしないので、さめざめと範宴は泣き竦(すく)んでいるので、
「なにがお悲しいのですか」
と、性善房がたずねると、範宴は、紅い瞼をあげて、
「かわいそう」
と、唯それだけを、くりかえすのであった。
ものに感じることの強い範宴の性質を性善房はよく知っているのが、かくまで、宿命的に己を憎んでいる敵をも、不愍(ふびん)と感じて、嗚咽(おえつ)している童心の気だかさに、性善房も、ふたたび返すことばもなく、心を打たれていた。
すると、どこからか、拙(つたな)い尺八の音がしてきた。
――緑の谷間から吹きあげる風につれて、虚空(こくう)にながれてゆくのである。