30代も半ばになり、今更ながら外国語、特に英語を少しでも話せるようになりたいと、強く思いを抱いております。
これまでの自身の日常生活においては、英語を身近に聞く機会も少なく、また必要とすることもありませんでしたので、特に何の意識も持っておりませんでした。
しかしここ数年、年に何度かアジア諸国に行くご縁をいただく中で、現地の空港やホテルなど、必ず英語を必要とする場面に幾度となく遭遇し、その都度自分の語学力の無さを痛感するのと同時に、どの国の方々も母国語と共にほとんどの方が英語も同じように話し、理解し、外国人旅行者と対等に会話している姿には心底驚きました。
グローバルと呼ばれる現代において、世界では二カ国語話せて当然の世の中に既にあることを知らされます。
近年は韓国のアイドルグループが日本でも人気が高いですが、テレビを見ていて凄いと感じるのは、みんな日本語で受け答えをし、きちんとその国の言葉を覚え、仕事をする上である程度の会話力を身につけて日本に来ているということに、本当に感心する思いです。
タイのバンコクに、カオサン通りという世界中から旅行者が集まる一帯があります。
そこで働くタイ人を始め、私たちと同じアジア地域の旅行者たちも、見るからに強者ぞろいのアメリカやヨーロッパ諸国のバックパッカーたちと等しく英語で会話し、島国からやってきた私はその隅で恐る恐るビールを注文するという場面を何度も経験しました。
その度にもっと自分も堂々と英語で話しかけたい。
でも「This is a Pen」しか英語が頭に浮かんでこない自分が情けない。
そしてつい最近、いよいよ私も英語を身につけなければという思いに到る出来事がありました。
香港からのホームステイを受け入れておられるご夫婦が、日本らしいところを案内したいというので、香港の大学に通う若い学生さんを連れて私のお寺に尋ねて来られたことがありました。
本堂にご案内をして、ドキドキしながらその彼と簡単な英語のやりとりであいさつを交わしました。
「Hello」
「Nice to meet you」
「Where are you from?」
アルファベットで書くと格好良く見えますよね。
でも実際はおどおどしながら「ハ、ハロー」、流暢な片言です。
そしてその先はこれまでの旅を通して私が身につけた超自己流の英会話方法を駆使し、身振り手振りを交えながら数少ない英単語を連呼するのみの支離滅裂な会話が進み、最後は何故か
「I’m Buddhist」
「謝謝」
私は仏教徒ですと何の意味もない宣言をして会話は終了しました。
ただ、方法は滅茶苦茶でも、それでも何となくお互いの思いが通じ合うところが外国の方と話をしていて結構楽しいと感じるところですが、驚いたのは、それを横で見ていたそのご夫婦が、
「凄い、若先生は英語ができるんだ」
と思ったらしく、狭い地域がゆえそれがどう伝わったのか、数日経ったある日、全く別の方から
「先生は英語がお上手なんですってね」
と聞かれ、恥ずかしいやら弁解に必死になるやら、戸惑いを覚えたことです。
次はアフリカの方がホームステイに来る予定があるそうで、「その時はまた来ますから〜」とニコニコしながら言われるのですが、まず英語なのか何語なのかも分からず、どう迎えていいのか近頃悩むところです。
そのような経緯もあり、また旅をする中でやはり英語の必要性は自分でも肌で感じておりましたので、「聞き流すだけ」でお馴染み、スピードラーニングに私も手を出したというわけです。
聞き流すだけに惹かれ、楽して身につけようとするところが、昔から何も成長していないいかにも自分らしい姿ですが・・・。
その中身はというと、伊藤氏という日本人男性が、旅の英会話や日常会話など様々な場面の中で会話を展開していくという設定で、英語のワンフレーズごとに日本語の意味が流れますので、まさに聞き流すだけで大体の内容は理解することができます。
ところが、集中力のない私には、英語の本文よりもその後に続く日本語の解説の方に心が偏り、伊藤氏はコーヒーにはミルクを入れるタイプなんだとか、英語そっちのけで伊藤氏がどんな人物であるかの方に興味が向いているような状態で、しかも、楽して聞き流すことを自分で選んでいながら、聞き続けていない私の継続性の無さには、家族からも
「伊藤さんはあれからどうなったの?」
と笑われながら聞かれるような始末です。
そのような状態ですので一向に英語が上達するはずはありません。
ただ一つ、これは私の経験上個人的な見解ですが、英会話を理解するうえで大事だなと思うのは、様々な英単語を知っておくこともさることながら、「話す」ことよりも、むしろ相手がどんな内容を言っているのか、会話の流れから一つでも英単語を「聞く」ということができれば、あ、今このことについて話してるんだと何となく理解ができ、こちらもそれとなく単語を返すことで、文法としてはおかしくても、意思の疎通やコミュニケーションとしてのうえからは、異国の方と繋がりを持てたということの方が大きな喜びを感じると思うのです。
やはりそれには、若い時期からの体験と学びが大切でありましょう。
今の英語の教科書がどのような内容かは分かりませんが、私たちの年代は「Is this a Pen?」これはペンですか?という、今思えば不思議な英語からスタートしましたので、それではなく、もっと子どもたちが外国に興味を持つような、そしてちょっとした英語で相手との繋がりを実感できるような英語教育に期待をしたいと思います。
また英語を聞き続けることで耳が英語に慣れ、話の内容や要点が次第に分かってくるような感じがします。
もちろんそれにはある程度の英単語を理解していなければなりませんが、そこがスピードラーニングの意図するところではないかなと勝手に解釈しておるような次第です。
ある方が言います。
子どもが年齢を重ねることは「成長」。
でも大人になるとそれは「老化」。
体力的には確かにそうですが、けど、どんなに年を重ねても今からでもやりたい、やってみたいという希望と情熱は、いつまでも子どものように持ち続けていたいと思う、35歳の成長です。
とにもかくにも、まずはそのアフリカの方がいらしたときの対応を身につけることと、次はもっと勇気と自信を持ってカオサンでビールを注文できるよう、気楽にスピードラーニングに耳を傾けていきたいと思います。