遠くで、夜明けの鶏(とり)の声がする――
しかし、顔をあげてみると、まだ外は暗いのであった。
ジ、ジ、ジ……と燈りの蝋(ろう)涙(るい)が泣くように消えかかる。
その明滅する燈(ともし)火(び)の光が、廟(びょう)の古びた壁にゆらゆらうごいた。
「?……」
夜明けまでのもう一刻(いっとき)をと、しずかに瞑想(めいそう)していた範宴は、ふと、太子の御(み)霊廟(たまや)にちかい一方の古壁に何やら無数の蜘蛛(くも)のようにうごめいているものをみいだして眸(ひとみ)を吸いつけられていた。
燈(あか)灯(し)が消えかかるので、彼はそっと掌(て)で風をかこいながら、そこの壁ぎわまで進んで行った。
見ると、誰が書いたのか、年経た墨のあとが、壁の古びと共に、消えのこっていて、じっと、眼をこらせば、かすかにこう読まれる――
日域(にちいき)は大乗相応の地たり
あきらかに聴け
諦(あきら)かに聴け
我が教令を
汝の命根まさに十余歳なるべし
命終りて
速かに浄土に入らん
善信、善信、真の菩薩(ぼさつ)
幾たびか口のうちで範宴はくりかえして読んだ。
そして、
(誰の筆か?)と考えた。
弘法大師や、また自分のような一学僧や、そのほかにも、幾多の迷える雲水が、この廟(びょう)に参籠したにちがいない。
それらのうちの何者かが、書き残して行った字句にはちがいない。
けれど、範宴のこころに、その数行の文字は、決して偶然のものには思えなかった。
七日七夜、彼が死に身になって向っていた聖徳太子の御声(みこえ)でなくてなんであろう。
自己の必死な思念に答えてくれた霊示にちがいないと思った。
闇夜に一つの光を見たように、範宴は、文字へ眸(ひとみ)を焦(や)きつけた。
わけても、
汝の命根まさに十余歳なるべし
とは明らかに自分のことではないか。
指をくれば、かぞえ年二十一歳の自分にちょうどその辞句は当てはまる。
しかも、
命終りて――
とは何の霊示ぞ。
迷愚の十余歳は、こよいかぎり死んだ身ぞという太子のおことばか。
「――日域は大乗相応の地たり……日域は大乗相応の地たり。
ああ、この日(ひ)の本(もと)に、われを生ましめたもうという御使命の声が胸にこたえる。
そうだ……自分はゆうべ、法印へ向って、死の気もちがあることまで打ち明けた。
太子は、死せよと仰っしゃるのだ。
そして迷愚の殻(から)を脱いだ誕生(たんじょう)身(しん)に立ち回(かえ)って、わが教令を、この日の本に布(し)けよと自分へ仰っしゃるのだ」
もう、戸外(そと)には、小禽(ことり)がチチと啼(な)いていた。
紙燭のろうがとぼりきれると共に、朝は白々とあけて、御葉山(みはやま)の丘の針葉樹に、若い太陽(ひ)の光がチカチカと輝(かがや)いていた。