親鸞・去来篇1月(3)

師にお目にかかったら――と幾つもの疑問を宿題にして範宴は胸に蓄(た)めていたが、あまりに、彼が憔悴(しょうすい)しているさまを見たせいか、慈円僧正は、彼が、なにを問うても、

「まあ、養生をせい」

というのみで、法問に対しては、答えてくれなかった。

実際、そのころの範宴は、食物すらいつも味を知らずに噛むせいか、すこしも胃に慾がなく、梅花(うめ)を見れば、ただ白いと見、小禽(ことり)の声を聴けば、ただ何か啼いていると知るだけであった。

それが、青(しょう)蓮院(れんいん)へ辿りついて、師のやさしいことばにふれ、ふと安息を感じたせいか、二年余りのつかれが一時に出てきたように、病人のように、日ごとに頬の肉がこけ、眼はくぼんで、眸(ひとみ)の光ばかりがつよくなってきた。

範宴自身が感じているより幾層倍も、慈円のほうが、案じているらしくみえた。

「どうじゃ範宴、きょうは、わしに尾(つ)いてこないか」

陽が暖かくて、梅花(うめ)の薫(かん)ばしい日であった。

庭さきでも歩(ひろ)うように、慈円はかろく彼にすすめる。

「どちらへお出ましですか」

「五条まで」

「お供いたしましょう」

何気なく、範宴は従(つ)いて行ったのである。

もとより仰山な輿(こし)など好まれる人ではなかった。

というて、あまり往来の者に顔をみられたり、礼をされるのもうるさいらしく、慈円は、白絖(しろぬめ)の法師頭巾(ずきん)をふかくかぶって、汚い木履(ぼくり)をぽくぽくと鳴らしてゆくのである。

五条とはいわれたが、何しにとは訊かなかったので、範宴は、師の君はいったいどこへゆくのかと疑っていると、やがて、五条の西(にしの)洞院(とういん)までくると、この界隈では第一の構えに見える宏壮な門のうちへ入って行った。

範宴は、はっと思った。

「ここは月(つき)輪(のわ)関白(かんぱく)どのの別荘ではないか」

と足をとめて見まわしていると、

「範宴、はようこい」

と、慈円はふり向いて、中門のまえから手招きをした。

正面の車寄(くるまよせ)には、眩(まば)ゆいような輦(くるま)が横についていた。

慈円は、そこへはかからずに中門を勝手にあけ、ひろい坪のうちをあるいて東の屋(おく)の廻廊へだまって上がってゆく。

(よろしいのでございますか)範宴は訊こうと思ったが、関白どのは、師の君の実兄である。

なんの他人行儀もいらない間がらであるし、ことには、骨肉であっても、風雅の交わりにとどめているおん仲でもあるから、いつもこうなのであろうと思って、彼もまた無言のまま上がって行った。

奥まった寝殿には、催馬楽(さいばら)の笛や笙(しょう)が遠く鳴っていた。

時折、女房たちの笑いさざめく声が、いかにも、春の日らしくのどかにもれてくる。

「きょうは、表の侍たちも見えぬの。たれぞ、出てこぬか。客人(まろうど)が見えてあるぞ」

慈円は、中庭の橋廊下へ向いながら、手をたたいた。