眉の毛もうごかさず相手の顔を正視していた範宴は、唇で微笑した。
「わたくしの学説はわたくしの学説であって、それを摂(と)ると摂らぬとは聴く人の心々にあることです。いかなる仰せがあろうとも、学徒が信念する自己の説を曲げたり変えたりすることはできませぬ」
静かにいうことばがかえって相手の怒りきっている感情を煽(あお)りたて、
「よしっ、それでは叡山から去れ、去らねば、抓(つま)みだすぞ」
と、法師たちは、袖を肩へたくしあげた。
範宴の脚は、地から生(は)えているように動じなかった。
「なんで私に山を去れと仰っしゃるのか、私には、御山(みやま)を追われる覚えはない」
「貴様がきょう講堂でしゃべったことは、すべて、仏法を冒涜するものだ」
「それを指摘してください」
「いちいちいうまでもないことだ。汝の精神に訊け。汝は仏弟子でありながら、仏陀(ぶつだ)を心から信仰しているのではあるまい」
「そうです、私は、仏陀を偶像的に拝みたくありません。仏陀もわれらと等しい人間であり、われらの煩悩(ぼんのう)を持ち、われらと共に生きつつある凡人として礼拝したいのであります。そういう気持から、きょうの講義のうちには、多少、偶像として仏陀にひざまずいているあなた方には、すこし耳なれない言辞があったかも知れませんが、それも私の信念でありますから、にわかに、その考え方を曲げろの変えろの仰っしゃられてもどうすることもできません」
範宴のことばが終るか終らないうちに一人の法師がかためていた拳(こぶし)がふいに彼の肩先を烈しく突きとばして、
「この青二才め、仏陀も人間もいっしょに考えておる。懲(こ)らしめてやれ」
「思い知れ、仏罰をッ」
つづいてまた一人の者の振り込んだ棒が、範宴の腰ぼねを強(した)たかに打った。
性善坊はすでに、暴力になったとたんに二人の法師を相手に取っくんでいた。
ここの法師には僧兵という別名さえあるほどで、武力においては、常に侍に劣らない訓練をしているのであるから、性善坊といえども、そのうちの二人を相手に格闘することは容易でなかった。
ましてや範宴には力ではどうする術(すべ)もなかった。
性善坊があちらで格闘しながらしきりに逃げろ逃げろと叫んでいるようであったが、範宴は逃げなかった。
四人の荒法師は、そこへ坐ってしまった範宴に向って、足をあげて蹴ったり、棒を揮(ふる)って打ちすえたりしながら、
「生意気だッ」
「仏陀に対して不敬なやつ!」
「片輪にしてやれ」と口々に罵(ののし)って、半殺しの目に合わせなければ熄(や)まぬような勢いだった。
すると、最前から彼方(かなた)の草のなかに、腕ぐみをしながらのそりと立っていた大男があって、もう見るにたえないと思ったか、大きな革巻(かわまき)の太刀を横につかみながら範宴の方へ駈けてきた。