『唯我独尊あなたはあなたであることにおいて尊い』(後期)

桜が咲き草木が芽を出す新緑の四月、全てのものが活動を開始する季節です。

また4月8日はお釈迦さまの誕生日であることから、私たち仏教徒においても大変意義深い月でもあります。

お釈迦さまは今から2500年前ネパール南部とインドの国境地帯にあるルンビニー園で誕生されたそうです。

シャカ族の王妃マーヤ夫人がルンビニー園に立ち寄られて、花園で無優樹に手をさしのべられた時に夫人の右脇から王子が生まれ出られました。

そして王子は誕生してすぐに七歩あるいて、右手を上に、左手を下に向けて

「天上天下唯我独尊―この天地でわれのみ仏とならんー」

と宣言されたそうです。

天も地も、鳥も動物たちも喜びの声をあげ森の木々も枝を揺らし王子の誕生を褒め称え喜んだと伝えられています。

今も花御堂の誕生仏に甘茶をかけてお祝いする「花まつり」の仏教行事として大切に受け継がれています。

お釈迦さまが誕生されて「天上天下唯我独尊」と宣言された意味はいったい何なのでしょうか。

辞書で誕生の「誕」を調べると「うまれる」とは別に「いつわる・いつわり」の意味を持つと書いてありました。

これを読むと、誕生とは「偽りに生まれる」と解釈できるわけですが、お釈迦さまが宣言された意味に重ねてみると、

「この天地は偽りの迷い悩みに満ちた世界であるが、真のいのちの尊さを明らかにする為に、わたしは生まれた」

と味わうことが出来るのではないでしょうか。

お釈迦さまは後に出家し、修行の末に悟りを開かれ、最初のご説法で四苦(生・老・病・死)について話されました。

「人がこの世に生まれるとは、刻々と齢を取り老いていかねばならない、いつ病気で倒れるか分からない不安の中に生きていかねばならない、何時か死んでいかねばならない。このような苦を生きることである」

と「いのち」の実相を示されてから、救いの道(八正道)を説かれました。

しかし煩悩に満ちた私たちにはその実践は難しく、成就することは程遠いことであることを実感せざるを得ないものです。

では、実相を明らかにされた真意はどこのあるのでしょうか。

それは、真実の世界に生まれたいと願っても、とうてい自力では叶わぬ凡夫であると私が自覚することで

「必ず救う我に任せよ(摂取不捨の本願・他力)」

との如来の願いが、真の拠り所であると信知できることを示されたのではないのでしょうか。

煩悩のまんま、私が私のまんま救われていく確かな道は、如来の本願(お念仏)と共に生きる以外にはありません。

如来の救いのお目当ては、偽りの煩悩のいのちを生きる私なのです。

「南無阿弥陀仏」と願われている「いのち」は、やがて尊い浄土へ生まれて往く「いのち」(往生)である。

お釈迦さまは、そのことを示すために「唯我独尊」とこの世に生まれて出てくださったのではないのでしょうか。

それはまた、

「私が私に生まれて良かった」

と、心から自身のいのちを尊んで生きることの大切さをお示しくださったのだと味わうことも出来るように思われます。