小説・親鸞 2014年9月10日

雨に洗われた路面は泥濘(でいねい)を流して白い小石が光っていた。

樹々の芽がほの紅くふくれ、町の屋根にはうすい水蒸気があがっている。

範宴は、歩いていた。

生々(せいせい)とした朝の町に、彼の顔だけが暗かった。

力も、目標もない足つきだった。

「この大願が解決されねば、生きているかいはない」

と思いつづけていた。

ゆうべは、宵の騒ぎで、すでに大乗院を出る時刻が遅かったので、けさは、六角堂で夜が明けてしまったのである。

もうこうして、ひたむきに山から通うことも昨夜で九十九夜になる。

「何を得たか?」

範宴は、依然として、十万暗黒のうちに自分の衰えつかれた姿を見出すだけだった。

往来の人とぶつかっても気がつかない、輿(こし)を荷担(にな)ってくる舎人(とねり)に呶鳴られても気がつかない、物売りの女が怪しんで、気(き)狂(ちが)いらしいと指さして笑っているのも気がつかない……。

今朝の彼は、気狂い僧と見られても無理がなかった。

法衣(ころも)は、ゆうべの雨で河水に濡れてまだよく乾いてもいないのをそのまま着ていた。

その裾(すそ)も破れているし、足はどこで傷ついたのか血を滲(にじ)ませているのである。

時々、辻へ来て、はっと上げる眼ざしは、うつつで、底光りがして、飛び出しそうな熱をもって、無心な者はぎょっとする。

だが、彼の姿を、往来の誰もが、そこらにうろついている物乞い僧と同一視していたのは、むしろ幸いといわなければならない。

なぜなら、もし、聖光院の門跡(もんぜき)範宴少僧(しょうそう)都(ず)が、そんな身(み)装(なり)をして、この朝まだきに町の中を通っているのを見つける者があったら、さなだきに今、彼の行方は社会の問題になっているし、月輪の姫との恋愛沙汰なども、喧(やか)ましくいわれているところなので、たちまち、

(破戒僧がいた)

(範宴少僧都があるいている)

と、興味や蔑(いや)しみの眼(まなこ)があつまってきて、彼の姿を見世物のように人が集まってきたかもしれないのである。

そういう実は危険な往来であったが、範宴その人は、少しも、それには意(こころ)をつかっていない。

――ただ、求(ぐ)法(ほう)のもがきだけだった。

今の闇を脱する光明をつかみたい。

出離生死の大事――それにのみ全能はかかっている。

「ああ」

四条の仮橋の欄(らん)を見ると、綿のようにつかれた体は、無意識にそれへ縋(すが)った。

夜来のあめで、加茂川は赤くにごっていた。

濁流の瀬は逆(さか)まいて白い飛沫(しぶき)をあげていた。

折角、萌(も)えかけた河原の若草も、可憐な花も、すべてその底に没している。

ちょうど、彼自身の青春のように。

「もし……。あなたは、範宴少僧都ではありませんか」

ふいに誰か、彼の肩をうしろから叩く者があった。

人の多い京の往来である。

ついに、彼の顔を見知っている者に出会ってしまった。