鹿児島中央駅の前に「若き薩摩の群像」という銅像がありますが、薩摩藩が派遣した欧米留学生十九人を飾ってます。
しかし数えてみると十七人しかいない。
なぜかというと、あとの二人はよそ者だからです。
これができたのは、そう昔のことではないですよ。
私はそのことを取材して書いたことがあります。
一人は高知、もう一人は長崎の出身だそうです。
このように、よそ者を排除するということを、これからはどうしても克服しなければならない、むしろこれからの世代にとって大事なことだと思います。
昨今、「いじめ」ということが言われますが、皆さん方も経験がありませんか。
自分がいじめられたときはどうでしたか。
たまたま新しいスカートをはいていったとき、人がはだしでいるときに自分だけ靴を履いていたとき、いじめられていませんでしたか。
つまり、自分と違ったことをしている人を排除するというのがいじめの原点なんです。
そうすると、場合によっては、あまり勉強ができてもいけないわけです。
ただし、走るのが速くていじめられることはありません。
不思議なことに、勉強は成績が良いといじめられます。
運動は遅いのがいじめられます。
なぜこうなるのかわかりませんが、みんなといっしょの方がいいということ、鹿児島大学の原口泉先生は、これを「ツレの思想」とおっしゃってます。
そして、これを象徴するのが示現流の剣道だそうです。
示現流の剣道は一騎打ちではないんですよ。
型をするときは別として、一斉に立ち向かっていく姿は、まさに「ツレ」の行動がみられます。
官軍の中にも鹿児島出身がいましたが、こころならずも西郷の挙兵に加わった人がたくさんいます。
それなのに、なぜ彼らは自己主張しなかったのか。
そういう「ツレの思想」の中では、はじき出されるわけですよ。
西南戦争のときにどういう誘い方をしたかというと、
「あいも行っど、おまえはいけんすっか(あの人も行くが、あなたはどうしますか)」。
こう言われると
「おいも行っど(私もいきます)」
と言うしかないんです。
また、こういうことはありませんか。
「おはんないけんすいや、あたいも行ったっど(あなたはどうしますか、私も行きますが)」
と言われて、
「あたいは行きもはん(私は行きません)」
と言ってしまったら、
「おはんとはもう遊ばん(あなたとはもう遊ばない)」
ということになるんですよ。
これが村社会です。
私は出身が薩摩郡ですが、そこの田舎にときどき行きますと、
「こんなに鹿児島から近くなって、交通の便も良くなったのに、どうして人が住み着かないんでしょうね。今の若者は、役場に行く連中さえも宮之城に住み着きました」
という話が出ます。
私はそこで、
「それは当たり前ですよ。あなたたちがやれ郷土芸能だの、嫌いなことを押し付けるからですよ。嫁さんたちもよそから来ている人が多いんですから。だから若者は住みたくても住めないんじゃないですか」
と言います。
自分たちの波長に合う人だけとつき合っていれば、これまでと同じです。
これからは波長の合わない人々をも取り入れていかなければならないことが必要になってきます。
とても大変なことですけど、七百年すり込まれたこの鹿児島人のDNAを拒否しながら、少しずつでも変えていかなければ、これからの鹿児島の未来はないと私は思います。