一方、住蓮はどうしたろうか。
彼が友の安楽房とわかれて取った道も、元より荊棘(いばら)でないはずはない。
いや、住蓮のほうは、もっと酷(ひど)かった。
「岡崎の善信御房へ――」
と、彼は短気にそこを目ざして人里へ降りて行ったので、たちまち、捕吏の眼にとまって、
「鹿ケ谷の売僧(まいす)!」
と、まるで悪魔のように追いまわされた。
遠く叡山のふもとの方まで、彼は逃げ走って、山林の中へかくれたが、そこは実に、捕吏の屯(たむろ)以上に、危険な地域であった。
なぜならば、念仏門の敵地だからである。
叡山の山僧たちは、この附近へ鹿ケ谷の一名が逃げこんだと聞くと、奮い立って、山狩りに奔命していた。
――その人々の声高にいい交わして通る言葉を聞いて、住蓮は、叡山の策動や、この虚に乗じて、素志をとげようとしつつある彼らの肚をまざまざと見た。
「この分では、善信御房の岡崎のお住居(すまい)も、どうあろうか」
と、心もとなく思いながら、深夜、山林からそっと出て近づいてみると、果たして、遠く竹や柴で柵を作って、そこへ通う道には、官の見張が立っている。
河原づたいに、彼は、洛中へまぎれ込んだ。
そして、様子を聞くと、市中は沸くような騒ぎなのだ。
そして、口々に、
「御停止じゃ」
「念仏は、一言も」
「ああ、南無」
「それ、うかつに口へ出すと」
恟々(きょうきょう)と、人心はおののいている。
彼らには、なぜ念仏を口にすれば国法にふれるのか、いってならないのか、分らなかった。
――つい幾年(いくとせ)前には、畏(かしこ)きあたりまで召されて、その講義を嘉(よみ)し賜い、堂上や多くの尊敬すべき人たちまでが、かつてはこれこそ人生最高のかがやきと仰ぎ唱えた念仏を、それを、口にしても、国法の犯人になる。
――どうしても解かれない疑いだった。
そうして、御所の陽明門のあたりを見ると、制札が、ここにも墨黒々と立っていて、傍らの武者溜りには、伊賀判官末貞とか、周防(すおう)元国などという人々が、市中警備の奉行となって、夜もあかあかと松明や篝火に冬の月をいぶしているのだった。
ぽつ、ぽつ、と時折その前を通る人影は、槍の光を見て、遠く足を浮かして歩いて行ったり、また、高札の前に立って、
「えらいこっちゃなあ」
と、嘆息(ためいき)と共に読んで去る者もあった。
――と、一人の男が、頭には、法衣をかぶって、足には破れた草履を穿(うが)ち、じろりと、奉行の武者溜りを横目に見て通りかけたが、突然肩をゆすぶって笑いだした。
「あはははっ……。口で唱える念仏の声は禁じても、心のうちで唱える念仏を停められようか。ばかなッ!」
と、人も無げに罵って、
「――輪王(りんのう)位高けれど、七宝永くとどまらず。世は末だ!澆季(ぎょうき)澆季」
泣くように、月へさけんで、悠々と歩みをつづけて行く。
「やっ、何奴だ」
判官末貞は、その声をきいて、
「捕えろッ」
と呶鳴った。
その叱咤を、後ろ耳で聞きながら、先へゆく法師はまだ足も早めず、大きな声に抑揚をつけて慷慨(こうがい)の語気を詩のように呶鳴りつづけていた。
「――天上楽しみ多けれど、五衰(ごすい)早くも現じける。五衰早くも現じける……」
そして、腹の底から、二声――
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
「待てッ!」
と、武士たちが、槍をおどらして追いかけると、
「わしか」
と、法師はくわっと炬(ひ)のような眼を振り向けた。
※「輪王(りんのう)」=転輪聖王の略。転輪王。身に三十二相を具し、金・銀・銅・鉄四種の輪宝をもち、これを転回して世界を統一し、正法をもって世を治めるという王。正法は正しいみち、仏法、仏の教え。
※「澆季(ぎょうき)」=人情が薄く、道義のすたれた世。末世。
※「五衰(ごすい)」=天人が臨終のときに示すという五種の衰相。頭上の花はしぼみ、わきの下からは汗が出、頭中の光は消え、目はまたたき、本来の場所を楽しまないという五相。