躍りかかって、有無をいわせず縄を打とうとした判官末貞の部下も、振向いた僧の一喝と、その眼光にはっと足をすくめて、
「待ちおろうっ」
と、距離をおいて取り囲んだ。
僧は、笑って、
「待っているではないか。何用じゃ」
「おのれ、そこの御高札を見ぬか、いや、辻々の掲示はもちろん、あれほど、厳しゅう官(かみ)より布令(ふれ)てたる念仏停止(ちょうじ)のことを知らぬのか」
「知っておる」
「なに」
と、その傍若無人ぶりにあきれて――
「知っていながら、しかも御所の御門の前を、今なんと吠ざいて歩いたか」
「――南無阿弥陀仏!と」
「あっ、またいったな」
「オオ、南無阿弥陀仏」
「う、うぬ、怖れ気(げ)もなく、お上(かみ)に対して、反抗を示しおるな。――名を申せっ、何者だ」
「念仏を唱えずには一日も生きておられぬ者だ!」
「よしっ、後悔するなっ」
さらにまた、その間に、奉行小屋から加勢の人数も加わってきた。
今までの物いいぶりから見て、尋常な法師でないと見たからである。
案のじょう、法師は、死にもの狂いになって抵抗した。
――剣、喚(わめ)き、地ひびき。
――そこはたちまち修羅を現出して、一人を縛るために大勢の死傷を出した。
だが、鬼神のように暴れた法師も、ついに、力がつきて、折り重なる武者の下(もと)に十文字にくくり上げられた。
よほど忌々しかったのである。
判官の部下たちは、土足を上げて法師の体を鞠のように蹴った。
「畜生――」
そう罵りながら、縄尻を引っ張って、ずるずると評定所の門のうちへ引っ張り込んだ。
法師は決して悲鳴をあげなかった、そんなにされても、時折慨然(がいぜん)と元気な声を張って、為政者の処置を罵り、そして手先になっている侍たちを、嘲殺するように笑ったりした。
奉行の伊賀判官末貞は、
「名を申せ、寺籍をいえっ」
と、彼を責めた。
僧侶は、大地に坐り直し、
「おれは、鹿ケ谷の住蓮だ。おれの念仏を停めてみい」
といって。
それから牢へ打ちこまれても、念仏を唱えていた。
「げっ、住蓮?」
捕えてから驚いたことである、奉行は、もろもろへ達して、彼の顔を知っている者を求めた。
その結果、誰のことばも、
「住蓮にちがいございませぬ」
と、証明した。
意外な獲物に、奉行の屯(たむろ)は、凱歌をあげた。
一方の安楽房もすでに獄舎にいるので、断獄は、即日に決まった。
――不明なのは、依然として、松虫の局と鈴虫の局の行方であったが、そのうち、師走も暮れ、新春の松の内も過ぎたので、いよいよこの二人から先に処刑することになった。
――承元の元年、二月の初旬。
六条河原の小石は、まだ氷が張っていた。
暖かい日だったので、加茂の水は雪解(ゆきげ)ににごっていた。
近衛牢から曳きだされた住蓮と安楽房のふたりは、矢来のそばの杭につながれていたが、やがて時刻が来ると、官の命によって刑刀をうけた獄吏たちの手で、仮借なく、刑場の中央にひき出されて、氷石の座に、筵(むしろ)も敷かず据えられた。