鐘は、鳴りつづいていた。
その――一鐘一韻(いっとういちいん)ごとに、善信は、青蓮院の鐘楼に立っている弟の尋有の気もちを、胸にうけ取っていた。
玉日は、そっと、
「抱いてやって下さいませ」
と、房丸を良人にわたした。
善信は、子を抱いて、
「オオ」と、無心なその顔に、頬ずりを与えた。
「――すこやかに、よい和子(わこ)に、育ってゆけよ。父は今朝、遠い国へ旅立つが、心はいつも、そなたの上に、父としてあろう」
その間に、戸外(おもて)のほうは騒(ざわ)めいていた。
室内にあった人々も、すべて戸外へ出ていた。
「時刻っ」
と、大きな声が、草庵の門で聞えて――
「時刻でござるっ。疾(と)くお立ちなされ」
ふたたび荒々しい声音(こわね)がひびく。
迎えの武者たちの群れだった。
馬蹄(ひづめ)の音や、草摺(くさずり)の音が、にわかに、仮借ない厳しさをそこに漲(みなぎ)らせ、
「まだかっ」
「なにを猶予」
などと、雑言を吐きちらしているのも、手にとるように聞えた。
流人護送の追立役、小槻蔵人行連(おつきのくろうどゆきつら)は、
「退(の)けっ」
と、駒のまま、馳せつけて、鞍の上から草庵の墻(かき)越しに、
「善信っ。――いや今日よりは俗名の日野善信(ひのよしのぶ)に申し入れる。はや、卯の刻限であるぞ。妻子の別離に暇どるのをのめのめ待ってはおられぬ、はよう、支度いたせっ」
善信は、同時に、
「おう」と答えて、表へあらわれた。
門には、罪人の張輿(はりごし)が舁(か)きすえてあり、領送使の右衛門尉兼秋(うえもんのじょうかねあき)の部下が、
「これへ召されい」
万一を固めるのか、善信の左右を鉄槍や刀の柄で囲みながら、そういった。
「ご苦労です」
善信は、官の人々へ、静かに一礼して、輿のうちへかくれた。
すすり泣く声が、その時、誰からともなく流れた。
――嗚咽する者もあった。
粛(しゅく)とした一瞬に、
「輿を上げい」
と、右衛門尉兼秋がいう。
玉日は、われを忘れて、
「もしっ……」
房丸を抱いて、輿の下へよろめいた。
「ひと目、もうひと目」
「邪魔だっ」と、官人たちは罵って、
「歩め、歩め」
と猶予する輿を急きたてた。
房丸が――母のふところでいつまでも泣いていた。
――その声をうしろに、どやどやと人馬の列は草庵を離れて行く。
性善坊や木幡民部や覚明、弟子の人々も、遠くまでは許されないまでも、せめて行ける所まで、師のおん供を――とその後から慕って行った。
だが、生信房ひとりは、
「裏方さまが」
と、後へも、心をひかれて、泣きぬく房丸をあやしながら、自分も共に泣いている玉日の姿を見ると、そこを去りかねていた。
「さ、裏方さま。お嘆きはさることながら、それでは、師の房のお心にもとりまする。内へお入りあそばして、生信房と一緒に、静かに念仏を申しましょう」
手をとって、彼は、涙の母と子を、庵(いおり)のうちへ誘い入れた。
――もう大風の後のように寂として、どの部屋も、空虚を思わせる岡崎の家だった。