こういう家庭の常として、田弓ももちろん、貞淑な妻ではあり得なかった。
多分に、女に多い女のやまいを持っていた。
「ええ、この牝の獣め」
と、年景が、こんどは平手を拳(こぶし)にして、もう一つ、頬へ加えると、
「口惜しいっ」
田弓は、盲目になって、
「さ、殺しなさい。……さ、もっと、お打ちなさいっ」
と、身を押しつけて行った。
年景は、もてあまして、
「気ちがいっ」
と、罵った。
「気ちがいに、誰がしたんですか、五人も、六人も、眼の前に側女を飼われておいて、気のちがわない妻がありましょうか。それで、一国の代官といわれるんですかっ。領民たちは、あなたを怨んでいますっ」
「な、なんでわしを」
「いいえ、多くの女に贅沢をさせるために、百姓たちの膏血をしぼることは、隣国の国司にまで聞えています。――今にごらんなさい、隣国の兵が攻めてきますから、その時には、自分の領民だと思っている百姓や町人が、皆、あなたに叛旗をひるがえして、この館へ襲(よ)せかけてくるでしょう」
「こいつめが!いわしておけば存分な囈言(たわごと)を」
「でも、それが、悪因悪果というものです、妻や、子の呪いだけでも」
「おのれは、良人がそうなる日を待っているのかっ」
「そうなったら眼がさめるでしょうから」
「出て行けッ」
蹴とばすと、ひいっと田弓は泣き仆(たお)れた。
――と同時に、彼女は眼をつり上げて、わが子の寝ている部屋へ走りこんだ。
「――あっ」
と、年景は、後を追って行った。
なぜならば、もういつもの半狂乱のていになった田弓は、そこに仲よく遊んでいる頑是ない二人の幼児(おさなご)を、縊(し)め殺しかねない血相で抱きしめ、手に、懐剣を抜いているからだった。
――飛び込んで行って、
「な、なにをする」
年景が、懐剣を引ッたくって庭のかなたへ遠く抛(ほう)ると、そこの樹陰にたたずんでいた一人の僧が、
「……あぶない」
と、静かにいって、飛んできた懐剣の光から、そっと身を交わした。
破れ笠をかむって、竹の杖をついていた。
――年景が、きょっとして、その僧を睨(ね)めつけた。
「……ご主人でござりますか」
僧は、いんぎんに、笠のまま頭を下げた。
「誰だっ……何者だっ、そのほうは」
年景は、見も知らぬ他人に、見られたくない所を見られて、腹立たしかった。
縁へ突っ立って、傲然と叱りつけたのである。
「――なんで、無断でこんな所へ入ってきたかっ。どこの乞食じゃ」
「わしは、配所の親鸞でござる……。お裏口にて、先ほどから、しきりと訪(おとな)いましたが、どなたも出てお越しがない。それによって」
「なに、親鸞?」
と、年景は、さっき妻から聞いたことばをふと思い出して、
「その親鸞が、何しにやって来たかっ」
と、鬼のような顔を作った。
*「膏血(こうけつ)をしぼる」=重税をとりたてる。膏血は苦労して得た財産。