「終活プームとその背景にあるもの」(下旬)「今日、用」「今日、行く」 人とのつながりを大切に

 独り暮らしの65歳以上の男性の中で、毎日誰かと会話をしているという人は半分しかいません。

独り暮らしの男性の6人に1人は1週間のうち、誰とも話さない、近所の人とあいさつも交わさないというデータがあります。

 みなさんはどうですか。

先ほど、孤独死の話をしましたが、死んで遺体が発見されないどころの話ではありません。

生きていても誰からも連絡がないのですから、生きていても死んでも一緒です。

こういう方がたがたくさんおられます。

家の中だけにいると、本当につながることが困難な時代になってきています。

 そこで、これからみなさんに必要になるのが、「今日、用」と「今日、行く」ということです。

「きょうよう」「きょういく」と聞くと、何か今から勉強をしなければならないのかと思われるかもしれませんが、「今日、用がある」と「今日、行くところがある」ということです。

 「用事」と「行くところ」を努力して作ってください。

このハートフル講演会も全回出席でお願いします。

そうすれば、必ず月1回は「今日、用がある」「今日、行くところがある」ということになります。

外に出れば、嫌な人に出会ったりするかもしれません。

面倒なことが起きたりするかもしれません。

それでも、人や社会とつながるというのは、とても大事なことなのです。

 みなさんは、どんなお葬式をしたいですか。

最近は、身内と親しい友人だけでお葬式をしてほしいという方が増えています。

 長生きをしたら、誰がお葬式に来てくれるでしょうか。

90歳まで生きたら友だちだってほとんど死んでいます。

兄弟姉妹も死に、親戚もみんな死んでしまったら本当に来る人がいなくなってしまいます。

 ですから、歳をとったら家族葬にしかならないのです。

寂しいのが嫌な方は、あまり長生きしないことです。

他人のお葬式ばかりに行って、自分が死んだときは誰も来てくれないのです。

まあ、お浄土でみんなが待っていてくれるから安心して出発できるかもしれませんが、でも「行ってらっしゃい」と見送ってくれる人もいてほしいですよね。

 お葬式に行くと、久しぶりに親戚や友人たちに出会ったりもします。

亡くなった方が、残った人と人とをつなぐ役目もしているのです。

 「老いたら子に従え」ということわざがありますが、お父さん、お母さんが長生きしすぎて、子どもの方が先に亡くなるというケースもあり得ます。

まさかのどんでん返しです。

子どもが自分の面倒を見てくれると思っていたのに、自分が子どもの葬儀などの面倒をみないといけないということになってしまいます。

何か問題が起きたときに、みんなで助け合えるか。

家族も努力してつながらないといけません。

 鹿児島の方がたは、先祖をとても大事にして、お墓参りを欠かさない方が多いと聞いています。

でも、世の中は今、無縁墓がどんどん多くなってきています。

以前は、都会に出ていて郷里のお墓参りができないという人の分も親戚が代わりにお墓参りしてあげるという習慣もありましたが、親戚も代替わりしたり、親戚付き合いも希薄になって、無縁墓が増えているのです。

世の中全体がそうなのです。

 私たち日本人は、他人に迷惑をかけないように生きようとしがちですが、それは逆に言うと、他人から迷惑をかけられたくないということでもあります。

そうすると、だんだん人と人とのつながりがなくなります。

 誰もが、できることなら他人に手間をかけたくないと思いますが、それでも自立できなくなったら、必ず手間をかけてしまいます。

自分以外の人に手間をかけさせずに死ぬことはできないのです。

 赤ちゃんが夜中に泣きだすと、お母さんは眠れない状態になりますよね。

でも、お母さんはそれを迷惑だとは思いません。

手間が迷惑かどうかというのは、人間関係によるのです。

手間かけるけれども迷惑ではないと思える人間関係を形成すればよいわけです。

 迷惑をかけたくないから葬儀をしないとか、迷惑をかけたくないからぽっくり死にたいなどと考えず、どんなふうに手間をかける死に方をするかということについて、是非とも考えていただきたいと思います。