楊柳(かわやなぎ)のみどりを煙らして、春の陽(ひ)はうすずきかけていた。
広い造営の庭には、傍目(わきめ)もふらずに、多くの者が汗にまみれていた。
その雑工の中で働いている者は、たいがい賃銀を求めずに、自分たちの家事や畑仕事の暇を見ては、半刻(はんとき)でもと奉仕の労働に来ている人々だった。
一念帰命の
苗をうえ
念々称名の水をかけ
雑行、雑修の
草をとり――
親鸞が稲田で作った田植の歌は、ここの汗の中でも唄われていた。
二丈あまりの材木が、その人々の粒々とながす汗に引き摺られて、作事場のほうへ曳かれて行くのだった。
巨材の木口(こぐち)には、かすがいを打って、鎹(かすがい)には、綱がくくり付けられてある。
その綱に、三十人余りの老人や女や童がつかまって、
「えいやあ、えいやあ」
と、蟻のように曳いては、
一念帰命の
苗をうえ――
汗は、その人たちの顔に、光りかがやいていた。
単に、自分たちの、飢えをふさぐためや、酒をのむために流す安価な労働では得られない、何かしら大きな幸福感につつまれて、彼らは、声を張りあげていた。
すると、一人若い女房が、かいがいしく、着物の裾を端折(はしょ)って
「もし、皆さま。どうか私にも、その綱の端など、つかまらせて下さいまし」
といいながら駈け寄ってきた。
皆は、振向いて、
「やあ、河和田のお吉(きち)さんか。――また、見つかると悪いぞ、止したがいいぜ」
と、遮った。
年老(としよ)りたちも、皆いった。
「ほんに、お前さんの良い心もちは不愍じゃが、見つかると、わしらまで、後で怖ろしい目に会されるでの」
「そうじゃ、やめなされ、やめなされ」
お吉は、拝むように、そういって拒む人たちへ、なお縋(すが)った。
「いいえ、今日はもう、洗濯物もすみました。夕餉の支度から、うちのお良人のお酒まで買っておいて、なにからなにまで済まして、ほんに用のない体でございます。昼寝などしていては勿体ないし……どうぞ後生でございますから、私にも、ご造営のお手つだいなどということはできませんが、せめて、その綱の端でも持たせて下さいまし……。この通り、拝みまする、たのみまする」
涙さえ浮かめていう。
その気持にうごかされて、
「では、なるべく早う、家へ帰っておらっしゃれ」
と、人々はいたわりながら、彼女を仲間に入れてまた、材木を曳いていた。
「ありがとうございます」
と、お吉は、心のそこからうれしそうだった。
そして、奉仕の綱にすがって、懸命に、働いていると、その青白く面窶(おもやつ)れした頬に、若い娘のような紅潮がさしてきて、世帯痩せの苦労も何もかも、その間は、忘れているように見えた。