かんにんな(前期)多くの人に伝えたい、仏教の心~様々な事例や話題を紹介

ご講師:菅 純和 さん(月刊誌「御堂さん」編集長)

私がこの12年ほど編集長を務めている月刊誌『御堂さん』は浄土真宗の教えを広く伝えるために毎回いろんな著名人に登場していただいて、現在24万5千部発行しています。

仏教の心、浄土真宗の心、お念仏の味わいというものを一人でも多くの人に伝えていきたいと考えていますし、門前を素通りしていく人や仏縁のない人にも広く目にとめていただき、お寺に足を向けていただくきっかけにしてもらいたいと常に考えながら編集しています。

私は40年間、寺の住職ですので人の死に目にもあいますし、お葬式もします。

人は死んだらどこへ行くのか。

今年の『御堂さん』8月号では「死んだらしまい?」という問いかけの特集記事を掲載しました。

人間はこの命の行方に答えることができません。

人間が答えられない問題に答えを出してくださるのが仏さまです。

行き先はお浄土であり、しかも凡夫の私たちが迷わないでいいようにと「西方浄土(さいほうじょうど)」という陽の沈んでいく方向を示してくださっています。

私たちは、それまで与えられた時間を懸命に生きる。

それが浄土真宗の教えだと思います。

その教えを広く伝えたい一心で『御堂さん』は毎月の発行を続けています。

『御堂さん』の記事からいくつかを紹介します。

はじめに2015年12月号です。

この年「絶歌(ぜっか)」という神戸の元少年Aの手記が出版されました。

酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)と名乗って猟奇的事件を起こした人物の手記です。

私も読んでみましたが、反省や懺悔(ざんげ)の表現がどこにもなくただ単に書きたいから書いたというだけの感じで、この少年Aは何も更生されていないと思いました。

これより前に少年Aの両親が「少年Aこの子を産んで」という題の本を出版しています。

事件を起こしてしまった息子を持つ親の気持ち、命をもって償いたいけれどそれもできずにいるという痛切な思いが込められています。

この本の印税が発生したら全部被害者にと書いてありました。

こちらは読む価値のある本だと思います。

2016年4月号では「盲導犬」をテーマにしました。

この少年Aの手記が出版された同年9月に徳島県で痛ましい事故が起きました。

視覚障害を持つ男性がヴァルデスという10歳の盲導犬と一緒に道を歩いているときに、バックしてきたトラックに轢かれ、男性も犬も死亡した事故です。

検証の結果、このヴァルデスという盲導犬は最後までパートナーの男性をかばうようにして死んでいたことが分かり大きなニュースになりました。

それで私は一度「盲導犬」について特集してみたいと思い調べてみました。

すると意外なことも含めて多くのことが分かりました。

盲導犬を育成するのにとても手間暇がかかること。

ほとんどラブラドール・レトリバーというおとなしい犬種ですが、ただ子犬が産まれたからといってどの犬も盲導犬になれるわけではないのです。

重要な条件があるのです。

お母さん犬の愛情をしっかりと受け、お乳をたっぷりともらった子犬じゃないと盲導犬にはなれないということです。

少年Aの事件が問題となった時社会学や精神医学、いろんな立場の先生方が様々な意見を述べられました。

精神状態から分析されたり、宗教の立場では人間の心の闇については分析できないものだと言われました。

少年Aの成育歴を辿るとお母さんが少年Aにはあまり母乳を与えていないらしいということが分かりました。

人間と犬を単純に比較してはいけませんが、盲導犬になれる犬の条件と全く関係がないかというとそうでもないようです。

少年Aはお母さんに対して一切の愛情を感じていなかったのです。

少年Aの心の救いはおばあちゃんでした。

おばあちゃんが亡くなった途端に少年の行動がどんどんおかしくなっていったようです。

祖父母は、親がかばいきれない部分をフォローすることができる存在です。

ただ今日では核家族化が進み、困難になっています。

盲導犬の話に戻りますが、条件に適合した子犬はパピーウォーカーというボランティアの家庭に1年間預けられます。

よほど厳しい訓練を課すのだろうと思っていたら、そんなことは一切せず、家族と同様に行動し、可愛がり、ひたすら愛情を注ぐのだそうです。

パピーウォーカーの家にも条件があり、大家族、多世代、大人数が同居する家が良いそうです。

そうでないと場の空気が読めない犬になるそうです。

訓練では犬を褒(ほ)めるのです。

例えば赤信号で止まったら「偉いね、偉いね」と言って褒める。

犬というのは褒められたい動物で、褒められたいから同じ行動をするようになります。

犬を一度でも叱ったら駄目なのだそうです。

そして指示はすべて英語です。

日本語では地域によって方言やイントネーションの違いがあり盲導犬が迷ってしまうそうです。

様々な訓練を受けて盲導犬になります。

宗教的には犬は畜生で、本来なら自己中心の行動しかできないはずです。

ところが盲導犬は相手のことを考えて行動するのです。

凄いことです。

考えてみますと人間の世界こそ大きく変化し、刺々しくなってきました。

個人から、国の単位まで自分の都合でしか動いていないように思えます。

特にツイッターやブログなど事件等が発生すると多くの人が意見を書き込みます。

人間というのは、自分が関わっていなければこんなに凄まじい言葉を使うのかとおもうほど酷い言葉を使って他人を批判します。

そこには、寛容(かんよう)の心がありません。

品性の欠片もないのです。