「涙ほとけをおがまなん」(前期)「悲泣」と「面授直説」

ご講師:外松 太恵子 さん(青少年問題カウンセラー)

私は、子どもに関わるカウンセリングの仕事を40年してまいりました。

子どもと言いましても、学校嫌いな子や産んでくれた親に全く感謝の気持ちのない子、万引きをする子、若いという特権を勘違いして問題を起こす子、そういう反社会的な行動をする子どもたちに関わる仕事です。

私がどうしてカウンセラーになったのか振り返ってみますと、おそらく母のお腹の中にいたときからお経を聞き、お念仏を聞いて育ったからではないかと思います。

6年前に起こった東日本大震災や昨年の熊本地震、今年の九州北部の水害など近年多くの災害が発生しています。

これらは「想定外」と言われますが、2500年前にお釈迦様が「諸行無常(しょぎょうむじょう)と言われました。

これらは想定外ではなく、すべて想定内のことなのです。

子どもも同じことで、想定外ということは決してなくて、やはり育てられたように育ちます。

誰に育てられたか、どんな尊いことを学んだか、どんな悲しいことや嬉しいことに巡りあったかなどが子どもの成長に影響していくのです。

人間は他の動物と違い、生まれながら本能で行動できるわけではありません。

まずは母親から手を差しのべることが必要ですし、家庭等の状況が大きく関与します。

私が、初めてカウンセリングに関わるようになったのは学生時代ですが、そのときの先生が「カウンセリングとは悲泣(ひきゅう)です」と言われました。

「悲泣」って何だろうと思っていたら、先生はすぐ「悲泣」とは親鸞(しんらん)です」そして「共に悲しく涙を流し、同じ空を仰ぎ、横で同じ空気を吸いながら寄り添ってあげればいいのです」と言われました。

幼少時から「ご開山(かいさん)さまがね」とか「親鸞さまがね」という話をよく聞いていた私は本当に驚きました。

後に仕事に就く際に、このことを思い出し、はたして私にこの仕事ができるのだろうかと考えましたが「いいよ、そのままでいいよ、あなたが忘れていても私はあなたを忘れないよ」と、私に寄り添っていてくださる方に既に出会っているのだから、やってみようと思いました。

この私が生かされているということを思い、時にはつらくなることもありましたが、何とかここまでやって来ました。

私たちは何のために生まれ、何のために今を生き、そしてどこに行くのか。

私がいるこの居場所は本当に正しいところなのか。

私はこの居場所でずっと安心しているけれども、それをよりどころとして本当に良いのか。

思えば「諸行無常」なのです。

世の中では何が起こるかわからない自分だと気づいたとき、誰もがこの世に生まれたたくさんの仏教縁起(ぶっきょうえんぎ)といいますから、父と母が結婚するという縁があり、この私が誕生したわけですし、そこから何十年の関わりがあって今は皆様とお会いしています。

仏教の教えの中に「面授直説(めんじゅじきせつ)」という言葉があります。

作家の五木寛之さんが好きな言葉なのだそうで、講演でもこの言葉を取り上げ、親鸞聖人のことをお話されていました。

「面授直説」には2つの条件があります。

それは人格と肉声です。

それぞれの家庭や学校で、それぞれの人格と肉声で大事なことを伝えていくのです。

できるだけ肉声による言葉は喜びのために使いたいものだと思っています。