浄土真宗本願寺派が平成27年から推進している宗門総合振興計画の重点項目に「僧侶の本分の励行」が設定されています。
先日、本願寺鹿児島別院で催された「公聴会」の中で、そのことについての説明がありました。
これを具体的に協議検討するために立ち上げられた「僧侶育成体系プロジェクト委員会」(学識経験者・宗派研修機関代表、坊守や婦人会の代表らで構成)において、「僧侶や寺院が社会から求められていることに応えなければ、法灯の継承は困難になる。
それには、社会からの視点を踏まえた僧侶や教師などの新たな育成体系の創出が必要だ」として、今年の2月に「育成体系創出にかかる具体策」がまとめられ、次のような指針が示されました。
その中の僧侶育成に関しては、
僧侶になるにあたっての各種研修会は、次の要件を観たし、僧侶としての自覚を促す育成体系を創出する。
- 仏道及び親鸞聖人のご苦労に学び、宗法第22条の規定による「得度誓約」とご親教「念仏者の生き方」に照らし、自己の生き方を問う習慣が芽生えるものとする。
- 僧侶として必要な知識・技能を習得できるものとする。
と、述べられています。
では、新たな育成体系で何がどう変わるのかというと、僧侶資格となる「得度」では2つの事柄が改められています。
1つめは、得度の前段階です。
本願寺派では、得度にあたっては、11日間の「得度習礼」を受講した上で得度式を受式してきました。
そして、これまでこの得度習礼を受講するための資格として、「得度考査」に合格することが必要でしたが。
得度考査は、全国各地の教務所で随時実施され、筆記試験と読経の実技、面接があり、100点満点で60点以上なら「合格」となります。
ただし、本願寺派の宗門校の卒業生や、中央仏教学院所管の通信教育専修課程を履修して卒業試験に合格した者は、得度考査は免除されていました。
新たに育成体系では、この免除制度が廃止され、呼称も得度考査から「得度試験」に改めて、得度を申請する者は、全員が試験を受けて合格することが必要になります。
2つめは、得度習礼期間中に天台宗総本山延暦寺の研修道場・居士林での修行研修が義務付けられることです。
現在、得度習礼は京都市西教区の本願寺西山別院で10泊11日の研修を行っていますが、このうちの1泊2日を比叡山での研修に充てるというのです。
その理由として、「比叡山研修は、親鸞聖人の比叡山でのご苦労を体感すること」が目的として示されています。
この比叡山研修には「意識づけという意味では面白い」という肯定的な見方が聞かれる反面、「得度習礼は学ばないといけないことが多くて、ただでさえ分刻みのスケジュールなのに、1泊2日も比叡山に行く意味があるのか」といった否定的な意見も聞かれるそうです。
公聴会の中で、「本来得度習礼を受講する者は、事前に浄土真宗についての基礎的な知識を十分に学び、お経についてもきちんと読めるようになった上で臨むべきだが、理解度についての試験を行うと合格点に達しないものが半数以上いたり、お経もほとんど読めなかったりするなど、受講者の資質は憂うべき状況にある。
特に、得度考査を免除された者において、そのような傾向が顕著に見られる」とのことでした。
それを聞いて唖然とすると同時に、今回得度考査の免除制度が廃止され、得度試験になることは首肯できました。
けれども、比叡山研修については、いくつかの点で疑問を感じました。
1つめは、「親鸞聖人の比叡山でのご苦労を体感する」ということですが、果たして1泊2日でそれが可能かということです。
周知の通り、親鸞聖人は比叡山で9歳から29歳まで20年もの間、真摯に学問と厳しい修行に励まれました。
そのご苦労をわずか1泊2日で体感できるとは到底思えません。
かつて、研修会講師養成実習で、宇治の黄檗山萬福寺に1泊2日の体験研修に行ったことがあります。
座禅も組ませていただいたりしましたが、わずか2日間では座禅体験程度のことしか体感できませんでした。
毎年夏休み期間に2日間、中学生や高校生が保育園や子ども園に職場体験に来ますが、おそらくあれと似たようなことしか体感できなかったのではないかと思っています。
というのは、中高生があとから感想文を送ってくれるのですが、それを読むと、自分が感じたこととあまり変わらないような事柄が記載されているからです。
2つめは、親鸞聖人は比叡山では無明の闇がはれることはなく、ついに山を降りて法然聖人のもとに足を運ばれ、ようやく信心決定されました。
したがって、比叡山の研修施設で1泊2日の修行体験をするよりも、得度に際してそのご苦労を偲ぶのであれば、先ずは得度をなさった青蓮院、次に比叡山では聖人が修行に勤しまれたと伝えられる常行三昧堂、そして最後に信心決定された吉水の草庵(安養寺)を訪ねるのが効果的であるように思われます。
これだと、1日で回ることが可能です。
なお、常行三昧堂は日頃は閉ざされていますが、親鸞聖人の750回大遠忌法要が営まれた年は、比叡山のご配慮で特別に中を見せて頂くことができました。
したがって、また得度に際して拝観させていただけるよう交渉してみてはいかがかと思います。
いま、宗門は激変する社会の求めに対して、この他にも教師教修や布教使課程についても見直しをするなど、いろいろな改革案を検討し、資格取得のハードルを上げることで僧侶の資質を高めようとしています。
この他、住職向けの寺院運営や活性化に関する研修なども検討しているそうです。
かつて得度習礼を受けた時、僧侶の本分として「勉学・布教を怠らないこと」という言葉を心に刻みました。
未だにその言葉を覚えているのは、何かと多忙な毎日ですが、それが真宗僧侶として自分が決して見失ってはならないことだと自覚しているからです。
また、卒論の口頭試問の際、副審の先生からの質問に全て答え終わった後、それまで一言も発することのなかった主審の指導教授が「君の書いた、この内容でいい。
あとは、これをどう実践していくか。
それが君のこれからの課題だ」と言われました。
卒論では、浄土真宗の救いについて述べたのですが、恩師から「浄土真宗の救いとはどのようなことか、それをご門徒の方々にいかに分かりやすく伝えていくか。
それが君の課題だ」と、新たな課題を出されたわけです。
以来、試行錯誤を重ねながら、そのことに努めています。
与えられた課題にきちんと応えられているか否か。
既に先生はお浄土に往ってしまわれたので、その是非はいずれお浄土で聞かせていただくということになりそうです。
「よき人」との出会が一生を左右することを思うと、僧侶の育成体系の中に、「指導者の人材育成」も加えるべきではないか…、と感じることです。