「薩摩剣士隼人 みんなで創る鹿児島の未来」(前期)幼いころからスーパー戦隊が好き

ご講師:外山雄大 さん(一般社団法人チェスト連合代表理事・薩摩剣士隼人制作総監督)

薩摩剣士隼人は来年でテレビ番組10年目を迎えます。「どうして薩摩剣士隼人をつくったのですか」とか「これからどうなるの」とよく聞かれますので、お話ししようと思います。

私は、幼いころからウルトラマンや仮面ライダー、スーパー戦隊などが大好きな子どもでした。

小学校1年生のときにスーパー戦隊の第1作目「秘密戦隊ゴレンジャー」が始まりました。今年で43作目です。同じフォーマットの番組が絶え間なく続いており、自慢になりますが、私は43年間一話も見逃したことがありません。

小学校3年生のときには、大きくなったら円谷プロダクションに入りたいと思って、親に内緒で東京の会社に電話して「大きくなったらそちらでお世話になると思うんですけど、どういった勉強をしたらいいですか」と聞くような子どもでした。

それから中学生になって、私はある転機を迎えます。それまではテレビを見て蘊蓄(うんちく)を語っていただけでしたが、もしかしたら自分でもできるのではないかと気づき、当時週刊少年ジャンプで連載していた「夢戦士ウイングマン」に感動して、中学2年生のとき初めて自分で着ぐるみを作りました。格好良くできたので学校に持って行き、昼休みに演じたら仲間が増えて、文化祭でも披露しました。すると住んでいた伊敷団地の夏祭りからもオファーが来て、玉里団地、西郷団地、そして頴娃町の祭りにまで呼ばれてショーを披露させてもらいました。

高校に入ると、自分の手づくりのショーだけでなく、仮面ライダーショーを興行する会社のアルバイトでショーの脚本を書き、いろいろなアクションも学びました。

卒業後はその会社で社員として働きましたが、やはり仲間と一緒にいろんなところで好きなショーをしたいと思ってフリーになりました。それからは日雇労働などに従事しながら、もう一つの夢に向かって活動をはじめました。仲間5人で「ドラゴンサーチャー隊」という探検隊を作り、池田湖に行って探検をしたり、スコットランドのネス湖にも1か月ほど調査に行き、話題となった「つちのこ」など未確認生物の情報があればどこへでも出かけにいきました。

この活動によって、福岡のテレビ局の「ドォーモ」という番組にレギュラー出演したり、NHKのドキュメンタリー番組「青春探検」で特集が放送されたり、「つちのこを探す男」として高校の国語の教科書にも掲載されました。