「当たり前」「有難い」

私の地元では、本年年明け早々、雪に見舞われました。

お寺の境内にも数センチ積り、鹿児島では珍しい本格的な積雪に普段はなかなかあじわうことの出来ない情緒を感じることでした。

一方、この一年は日本のみならず世界的なコロナ禍により、思うようにいかない現実に今現在も多くの人々が苦境に立たされています。

当寺におきましてもこの一年、行事の縮小や中止を余儀なくされました。

やむを得ない状況とは言え、

ご門徒の皆さまが法縁に遇う機会を奪って良いものか?

このまま寺院活動の衰退に繋がってはしまわないか?

など難しい決断をしなければならない事もしばしばありました。

それでも限られたご法座の中、皆さまが足しげくお参りされるお姿に、お寺をお預かりする者として大変心強く有難く感じた一年でもありました。

順境にある時には「当たり前」のように思えていたことが、逆境に遇うとそれは決して当たり前ではなく、有ることが難しい事、「有難い」事であったと気づかされます。

世間では「神だのみ」や、それを商業的に利用しようとする動きも見受けられます。気持ちは分からないでもないですが、そことは少し違う物の見え方、考え方がお念仏申す営みの中に、私の生き方としてひらかれてくるのではないでしょうか。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。