ユーモア、生き方としての「余裕」

  • 傘さし、蓑着る海女さん

私がお預かりしているお寺にも、行きかう道路に向かって掲示板を設置しています。いわゆる「お寺の掲示板」です。

日夜、風雨に耐え、おそらく25年ほどの、私住職以上のキャリアをもつベテラン掲示板は現在、大規模修繕中で、2本の支柱を除き、看板屋さんの修理場にてドック中であります。

日焼けでめくれた底板を交換してもらうだけの簡易的ケアのつもりが、開けてみて驚きの、肝心かなめの丈夫なはずの鉄部分の腐蝕が判明し、そのまま解体されクレーン付きトラックに持ち上げられ、一旦撤去される事態に至ったという、もの寂しい成り行きでした。

以前、たいへんな大病をされて、「開腹」手術という憂き目にあわれたその看板屋さん曰く、「開いてみないと分からない。」とのこと。けだし、名言であります。

さて、ある梅雨どきの一コマ。「もう、掲示板は無くなったんですか。楽しみにしていたのですが」と、道ゆく方から残念そうに尋ねられたことがありました。

私には嬉しいお声であるとともに、しまった、何か工夫しなければと内心焦りながら、少し小さめの移動式の掲示板を慌てて倉庫から出して、急場をしのぐことにしました。

お寺側が思う以上に、見ていてくださる方がおられることはたいへん有難いことと再認識しつつ、掲示する言葉を探し、張り出した標語は、

「浜までは 海女も 蓑着る 時雨かな」

でした。今回、この標語を私が選んだ理由は、ずっと気になっていた格言であったこと、ちょうど梅雨の時期であったこと、それから何かクスッと笑みがこぼれ、ほほえましさが残る言葉を掲示したい、と思ってのことでした。

誰しも、雨の時は傘もさします。(蓑はそうそう着ることはありませんが。そうですよね。)これから海に潜って、漁をする海女さんたちは、これから濡れるのに、いや濡れるどころの始末ではない、全身水浸しになるにもかかわらず、浜までも雨が降れば傘さし、蓑を着て、体を温めるのでしょう。

私は、こうした海女さんの日常性に、どうせこれからずぶ濡れなのに、濡れないように措置をするという非対称性に、やわらなか笑みを促されるのですが、みなさんいかがでしょうか。アイロニー(嘲笑、皮肉)でもない、また凍える身体をあたためるといった実利的なウイット(機知、知恵)だけでもない、ユーモア(なごみあるおかしみ)を感じるのです。

別の例を挙げると、先の看板屋さんをして「自分の体も、掲示板といった物も、開いて見ないと分からない」と言わしめたユーモア、をです。

  • 1995年のエッセー

さて、この海女さんの格言に触れた折、思い出したエッセーがあります。

最近は便利な時代で、自分の記憶を確かめるべくネット検索をかけてみました。

入力した語は「サラエボ、傘、蓮實重彦」。なんとヒットしました。今から26年前の評論でした。

サラエボとは東ヨーロッパ・ボスニアの首都のことで、1995年当時、民族紛争の只中で日夜戦闘が続いていて、確かそのことで触れられていた紛争地サラエボであったはずと、どきどきしながら四半世紀ぶりに読み返したエッセーの一節は次のようなものでした。

「サラエボに住む人びとは、雨が降れば、世界の誰もがそうするように傘をさして外出する。雨よりも遙かに危険な砲撃に対して傘がまったく無力であり、それがいつ自分の頭上に炸裂するかもしれないと知っていながら、彼らは、それでも傘をさして外出するし、傘の選択には自分の趣味を反映させさえするだろう。それが現実というものにほかならず、砲撃から身をまもるのに無力だという理由で、雨の日に傘をさす人々を嘲笑するのは、非現実的である。ユーモアとはサラエボの傘を受け入れる資質なのであり・・・」

どうせ傘は砲撃にはまったく無力だとしても、雨が降ればお気に入りの傘をさして外出する。そうした日常性を生きるサラエボの人々をアイロニー(嘲笑)ではなく、ユーモアとして受け容れる資質について、私は改めてこのエッセーから教えられつつ、「サラエボで傘をさす人々」と「蓑着て浜まで歩く海女さん」がつながったのでした。

それは同時に、現在の私が、「物事を受け容れる心の構えのような感覚がユーモアなんだろうね」と、26年前の私に同意を求めたかのような不思議な感覚であります。(少し自分に酔っているようで、申し訳ございません。)

つまり、こうしたユーモアの資質に、生き方としての「余裕」という態度があるのではないかと思うのです。

(もちろん、いまなお世界各地で起こっている人権蹂躙の最たる紛争自体をユーモアとして受け止めるべきなどと言っているわけではありません。人間の罪業ともいうべき争いは、悲痛の現実にほかなりません。)

  • ユーモアとしての余裕

さて、このことを「浄土真宗」の文脈の中で一考してみたいと思います。

考えてみますと、私という存在は、自分自身を離れては存在していないのですから、私が(あなたが)「気持ちよく」生きていくには、自分を知って、他者を知って、また私たちが生きている環境(社会)を知っていくことが不可欠な要素なのと思います。ですから、仏教においては、自分自身を知るということ、すなわち自己認知することを言い当てた言葉として「自覚」ということが課題となるのでしょうし、また、「自覚・覚他」とも言われますので、他者にも私の「自覚」がうながされていくのでしょう。

真宗大谷派の教学者・宮城顗氏は「自分の分限を知るということ」について、次のように著述されています。(私の所有するこの著作の最終ページに、2004年8月読了のメモがありましたので、17年の年月が流れていました。)宮城氏は言われます。

「自分の分限を知るということは、・・・私を生かしてくださっているすべての力に出会い、目ざめた心なのです。今まで自分の力だけで生きているつもりだった自分が、はじめて、すべての人々のおかげで生かされておったことに気づいた心なのです。」

「自分の分限を知るということ」。それは自分の限度を分けること(分限の自覚)であり、すなわち「今まで自分の力だけで生きているつもりだった自分」から、「すべての人々のおかげで生かされておった」自分に目ざめていく、そのように「気づいた心」であると確言されます。

そして、さらに宮城氏は、先達の曽我量深氏より教えられた「分限の自覚」とは、「綽々(しゃくしゃく)たる余裕」のことであるという言葉を紹介されます。

「私が静かに『自身は現に是れ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に没し常に流転して、出離の縁あること無き』自分であると見つめていくことができるのは、これは一つの余裕というものである。綽々として余裕がある。人間にはそれが解らないために余裕がない。自分は常に弱点を見せまいとしている。見せまいとしているから、その見せまいとしているところに弱点がある。だから他人はちゃんとその弱点を衝(つ)いてくる。それを衝かれると、恐ろしいものだから狂乱する。これが即ち今日の争いというものの状態である。」

「自身は現に是れ罪悪生死の凡夫、曠劫(こうごう)より已来(このかた)、常に没(もつ)し常に流転して、出離(しゅつり)の縁あること無き』自分であると見つめていくこと」は、すなわち浄土真宗の教学でいうところの「機の深信(じんしん)」は、弱点を見せまいとしている自分などではなく、むしろ「弱点」をもつ人間(罪悪生死の凡夫)であることを見つめていくことができる自分なのであり、これは「一つの余裕というものである」というのです。

どうしてそのように言えるでしょうか。なぜなら、「すべての人々のおかげで生かされておった」自分に気づいた心には、「弱点」を見せまいとする必要が無くなるからではないでしょうか。

自分自身を知るということ・・・自分の分限(有限)を仏・如来のはたらき(無限)によって知らされるということは、「弱点」を見せまいとすることなどではなく、むしろそれは「綽々として余裕がある」ということなのだ、と教えられた一節です。

 

以上をまとめてみます。

話は、「お寺の掲示板」の撤去から始まり、「蓑着て浜まで歩く海女さん」の格言にふれ、「サラエボの傘」を思い出し、そして、真宗教学で導き出された人間の「余裕」について味わったことでした。通底するのは、ユーモアとは「余裕」としての態度である、という私の仮説であったのかもしれません。

さいごに、もう一度「掲示板」の話しにもどります。

私は本コラムを通して、大病をされ「開腹」手術というたいへんな思いをされた看板屋さんの「自分の体も、掲示板も、開いて見ないと分からない」と言わしめたユーモア=「余裕」をどこかで記しておきたい、そう思っての試み(エッセー)であったと「自覚」した次第です。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。