======ご講師紹介======
金子 兜太さん(現代俳句協会名誉会長)
☆ 演題 「荒凡夫・一茶」
大正8年埼玉県生まれ。
高校在学中に俳句を始め、加藤楸邨(かとうしゅうそん)に師事。
昭和18年、東京大学経済学部を卒業して日本銀行に入行、定年まで勤務されました。
昭和30年に第一句集「少年」を発表。
中国との俳句交流に力を尽くし、現在、現代俳句協会名誉会長、日本芸術院会員、「朝日俳壇」選者をお務めです。
「金子兜太集」(全4巻、筑摩書房)ほか著作多数。
桜島にある「溶岩なぎさ遊歩道」に句碑があります。
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江戸時代の俳人、小林一茶。
彼が結婚したのは、52歳の時です。
その後、子ども授かるのですが、57歳の時に可愛がっていた娘のサトが死んでしまいます。
その前の年の終わり頃からずっと書いていたのが
「おらが春」
という日記風の句文集です。
一茶の書いたもので世間で有名なのは
「七番日記」
という長い日記、それからここで紹介する
「おらが春」
です。
この日記は、サトが元気でいた頃から書き始めています。
特に女の子ですから、可愛くてしょうがないんですね。
大喜びでした。
そうしている内に、サトが疱瘡(ほうそう)で亡くなってしまい、あとは非常に悲痛な気持ちでおります。
そのことをずっと書いています。
「おらが春」
の最後には
「他力本願、自力本願」
ということが書かれています。
一茶は浄土真宗の門徒でしたが、彼がこういう言葉を本気で書きとめたのを見たのは、そこが初めてです。
この言葉について浄土真宗の学者さんに聞いてみたんですが、ほとんど評価されませんでした。
でも、私は専門家から見たら他力本願も自力本願もよくわかっていないような人間が書いたということが、一茶らしくて好きなんです。
これはひと言でいうと、阿弥陀如来さまの前に身を投げ出して、あとは自分勝手なことをさせてもらいます。
どうぞ、煮て食おうと、焼いて食おうとご勝手に、というような文章だと思います。
それで、その終わりに書いた句が
「ともかくも あなた任せの 年の暮れ」
です。
この「あなた」は阿弥陀如来さまです。
そのときの一茶の心中を察すれば、私はこの句は非常によくわかるんです。
そしてそこからしみじみと思いますことは、一茶という人は阿弥陀如来さまに甘えていたということです。
甘えている人だからこそ、こんなことが書けたのだと思います。
尊敬される、敬愛される神さま仏さまというのは普通です。
むしろそうでなかったら、神さま仏さまじゃないと思うくらいですが、甘えられる仏さまというのは大変なことじゃないでしょうか。
これが本当の信仰だと私は思います。
この
「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」
という句で、私はそのことを確認しました。
一茶はその後まもなく、脳出血で倒れまして、軽い言語障害になってしまいますが、しばらくお弟子さんの温泉で療養して回復します。
そして60歳になって迎えたお正月に
「自分は、これから荒凡夫(あらぼんぷ)として生きたい」
とはっきり書いています。
荒っぽい平凡な男ということですね。
どういうことかと言いますと
「おれは煩悩具足、五欲兼備、愚のかたまり、いわば本能のかたまりみたいな男で、それをどうにも抑えられない人間だ。
そんな下らない男だけれど、このまま生かして下さい」
ということですね。
その下らない男のことを、彼は
「荒凡夫」
と表現しているんです。
「荒い」というのは、非常に粗雑な人間という意味で書かれているのだと思いますが、私はそれを「自由」という意味に受け取っています。
阿弥陀如来さまの前に身を投げ出して、自由で平凡な荒凡夫で生かして下さいという気持ちの中には、あふれるような
「甘え」
があると感じ取れます。
ちょうど赤ん坊がお母さんの目の前で、丸裸になって泣きわめく感じとそっくりです。
いい風景です。
私はこういう風景が大好きでして、そのとき一茶は真人間になったんだなと思います。