浄土真宗本願寺派には
『ほとけの子のちかい』
というのがあります。
一、ほとけの子は すなおにみ教えをききます
一、ほとけの子は かならず約束をまもります
一、ほとけの子は いつも本当のことをいいます
一、ほとけの子は にこにこ仕事をいたします
一、ほとけの子は やさしい心を忘れません
という5箇条の文言です。
保育園の子供達が週二回の本堂参拝のお勤めの後で唱えています。
いつも一緒に唱えながら、大人の私たちはどうだろう、と考えてしまいます。
素直にみ教えが聞けているだろうか、約束が守れているだろうか、本当のことを言えているだろうか、仕事がニコニコ出来ているだろうか、いつも優しい心で人に接しているだろうか…。
どの一つもなかなか行うことは難しいように思えます。
み教えどころか、身近な人の親切なアドバイスにでさえ「分かってる!」と口答えをする私。
必ず守ろうと精一杯がんばっても果たせなかった約束だらけ、あるいは、今度こそと堅く心に誓った事ですら、ちょっとしたことでくじけてしまう私。
仕事の大切さが分かっているつもりでも、口をついて出る愚痴や不満。
やさしさを周りに振りまくどころか、真反対の事をついついしてしまう私。
ほとけのこどもの誓いを、こども達には
「大切な事なので、心がけましょう」
と言いながら、ふと
「大人になる」
ということは、それが果たせない自分であることを思い知るプロセスじゃないかと思えてきます。
そういえば少し前に話題になった、ロバート・フルガムという人の
「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」
という本にも同じようなことが書かれていたような…。
良いこととわかってても出来ない、どんなに心がけても不可能な事がある、あるいは時には本当の事を言わないことが、正しいことさえある。
そんな世界が「娑婆」(苦しみに耐えていく世界)であり、そんな私が、煩悩にまみれた虚仮不実(『真実(まこと)』のかけらもない)なのでしょう。
そんな私がこの世界をどう生きていくのか、常に考え求めていく。
それが私の人生の宿題のように思います。