早いもので、今年も12月になりました。
年を重ねると、月日が過ぎるのが早く感じると言われますが、私自身がそのことを身をもって感じているこの頃。
今年を振り返ってみますと、東日本大震災や豪雨被害などの自然災害、原発問題などを通して色々と考えさせられる年でした。
また、京都・本願寺では親鸞聖人750回大遠忌法要をお迎えされる年でもありました。
法要のスローガンの
「世の中安穏なれ」
は『親鸞聖人御消息』の第25通の中の
「世の中安穏なれ仏法弘まれ」
に述べられています。
親鸞聖人が示された
「世の中安穏なれ仏法弘まれ」
という言葉は、人々が不安と争いの時代にあって、聖人が念仏者のめざす道を示されるなかで述べられた言葉です。
「安穏」は、
「安らかで穏やかなもの」
「平和」
といった意味で受け止められると思います。
1人1人が平和に暮らす社会を願った言葉であると受け止めています。
ある新聞の記事に、東京で開かれた対話集会の中で、コスタリカ元国連大使のカレン・オルセンさんという方が、“平和の対義語は?”と問われた際に“平和とはいかに生きるかということ。
平和に対する言葉は戦争だけでなく飢餓、貧困、無知、暴力、残虐などたくさんある”と述べられたそうです。
私たちが暮らしている現代社会を考えてみますと、科学の進歩で様々なものがあふれ、便利な時代になっています。
今の時代の生活が当たり前になっている私自身、昔の時代は正直なところ分からないことが多いですが、ものが豊かになり便利になれば良いとは言い難いように感じます。
便利さや豊かさを求める中で、忘れてしまったことや気付けなかったことが沢山あり、カレン・オルセンさんの述べられた
「戦争、飢餓、貧困、無知、暴力、残虐」
といった苦しみが、悩みも今なお多く存在している現代社会。
その現代社会に生きる私たちは、
「いかに生きるべきか?」
を自らに問うていくことが必要だと感じます。
仏法は、私に自らのあるがままの姿を見つめさせてくれます。
親鸞聖人の
「世の中安穏なれ仏法弘まれ」
の言葉は、私に自らが生きる道、真の安穏を求めていくように示して下さっていると重く受け止めることです。