投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

『人は独りでは生きられない』

  桜が満開を迎える季節になりました。

年齢を重ねるにつれ、人とのふれあいの大切さが特に身にしみるよう

に思われるこの頃です。

 昨年末からお正月にかけて、ウィル・スミス主演の

『アイ・アム・レジェンド』

(4月24日DVD発売)というアメリカの映画がありました。

これは、過去に二度映画化されたリチャード・マシスンのSF小説をリメイクしたもので、近未来のニューヨークを舞台に、新種ウイルスのまん延による地球規模の災厄から生き残った男の孤独な戦いを描くという内容だったのですが、自分と重ね合わせてみると、想像しただけでとても寂しい気持ちになりました。

 実際にそのような状況になってみないと自分がどうなってしまうかわかりませんが、少なくとも言いようのない孤独感にいたたまれなくなると思います。

なぜなら、地球上でたった独りになってしまったとしたら、まず会話をすることが出来なくなります。

何を言っても

「ひとりごと」

になってしまうのです。

私たちは、自分以外の人がいて、初めて自分を客観的に見ることが出来るようになります。

もし最初から独りだったら、もしかすると自分が独りでいることにさえ気付かないかもしれません。

しかしながら、私たちは生まれたときから独りではありませんでした。

親あってこその

「いのち」

なのでした。

しかも、生まれたときから決して独りでは生きられない状態にありました。

 にもかかわらず、

「どうせ自分はひとりぼっちだ」とか、

「誰も自分のことをわかってくれない」

という思いから、他の人々とのまじわりを避けて家に引きこもったり、社会に出ることをためらったりする人がいるのかもしれません。

けれども、そのような考え方はいつしか独善的な主観を生み出し、それが社会に向けて偏向した形で表れたときに大きな事件を引き起こす要因となっているようにも窺われます。

 人生は、多くのいのちといのちとのふれあいやつながりがあってこそ成り立っていることを知らしめてくださるのが仏さまの教えです。

「独りで生きている」

と思っていた私が、実は多くのいのちに支えられていることに気付かしめられ、共に生きることに喜びを見いだしていくところに仏教的生き方の特色があります。

 親鸞聖人は

「一人でいて喜んでいる時には二人で喜んでいると思いなさい。

二人で喜んでいる時には三人で喜んでいると思いなさい。

そのもう一人はこの親鸞ですよ」

と述べておられます。

共に喜び、共に涙を流してくれる人がいてくれてこそ、私たちは悲喜こもごもの人生を生き抜いていく勇気を持つことができるのだといえます。

「親鸞聖人における信の構造」

(2) 念仏と信心4月(前期)

 親鸞浄土教の最大の特徴は、自らの力による往生のための行を持たない点にあります。

おそらく、仏教思想の中で、仏果に至るために、自分自身が行じるべき修行の方法を説かない仏教は、親鸞浄土教のみであると思われます。

 では、なぜこのような思想が生まれたのでしょうか。

それは、既に述べてきたように、親鸞聖人の比叡山での行道の結果によります。

親鸞聖人自身、阿弥陀仏の浄土への往生を願われながら、その往生行において、最終的に必ず往生するという行の決定が得られず、そのために一心に求められた阿弥陀仏の本願による救いも、結果的にはいかなることがあっても揺るがないという、その本願を信じる確固不動の信が、親鸞聖人には生じなかったのです。

 それは、親鸞聖人が比叡山で浄土往生の行を怠惰な心で行じられたからではありません。

まったく逆であって、当時の比叡山の修行僧の中で、ただ一人、真に誤魔化しのない心で、真剣にただひたすら浄土往生の行を修そうと努力されたが故に、自分自身に確証が得られる行も信もついに親鸞聖人には成就することがなかったのです。

 親鸞聖人は二十九歳の時、比叡山における仏道修行の一切が破綻し、山を降りて法然聖人をお訪ねになります。

親鸞聖人の妻、恵信尼公は、この時の親鸞聖人の心を、夫の死後に娘の覚信尼公に綴られたお手紙の中で次のように語っておられます。

***

比叡山での修行に挫折されたお父さまは、

山おりて百日間、

六角堂に籠もられ、

後世をお祈りになられたのですが、

九五日目の暁に、

後世が助かる縁に会いたいのであれば、

法然聖人のもとをお訪ねなさいという、

聖徳太子からの夢のお告げをいただかれて、

それからまた百日間、

法然聖人のもとにお通いになり、

後世のことをお聞きになられたのです。

***

 この手紙によれば、親鸞聖人の比叡山での最大の関心事は「後世」の問題であったといえます。

では、後世の問題とは何でしょうか。

これは単なる死への恐れではありません。

仏教は常に二つの事を問題にします。

一は悟りであり、二は迷いです。

この両者の関係は、一度悟れば二度と迷うことはありませんが、もし悟れなければ永遠に迷い続けなくてはならないということです。

 ところで、迷っている生きとし生けるものの中で、ただ人間のみが悟りに至る機会を得ることが出来ます。

それは仏法を聞く心を有しているからで、だからこそ人は仏法を聞き、その真理を心から喜ぶのです。

この点を源信僧都は、すでに仏法と出会う縁を得ている人々に対して、

「あなた方は今、宝の山の中にいるようなものだ。

それなのになぜ、宝を手にしないで、空しく山をおりようとしているのですか」

と言われます。

「念仏のうちに千の風」―いのちの尊さ・医学・仏教音楽からー(上旬) 私も生まれる前に戦争中を生き残っていた

======ご講師紹介======

姜 暁艶(ジャン ショウイエン)さん(二胡奏者)

☆ 演題 「念仏のうちに千の風」―いのちの尊さ・医学・仏教音楽からー

中国、大連市出身。

1997年、広島大学医学部の客員研究員として来日。

2002年には医学博士号を取得。

以来、日本全国やアメリカで医学・仏教講演と二胡演奏を通じて「いのちの尊さと平和」「心の豊かさと癒し」などをテーマとして幅広い活動を展開している。

また、二胡が奏でる仏教讃歌の第一人者として、CDアルバム「願」「慈響」「めぐみ」「輝けいのち」をリリースしている。

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 ホテルから桜島を見ると、山の上に水蒸気がゆっくりと空に上がっていました。

私は温泉に入ってその水蒸気をじっと見ながらいろんなことを思いました。

この山はいつ噴火するのか、あるいは静かになるのか。

そんなことは誰も予測できませんね。

 観光客の中には、自分たちが来た時に噴火しているのを見たい人もいるでしょう。

でも、ここに住み生活している人たちは、どのようにあの山を見ているのでしょうか。

大噴火したら困るはずです。

私たちは、物事をいろんな立場から見ています。

一つのことでも見る目が異なれば悲しさ、幸福感も人それぞれに異なるんですよね。

 私は中国の大学病院で、十年間臨床の仕事をしてきました。

病院には毎日多くの患者さんが救急車で運ばれてきます。

私の専門は心臓内科です。

心筋梗塞、心不全などの救急処置を要する仕事ばかりですが、助けるために毎日走り回って、いのちが助かったときは本当に良かったという達成感があります。

 でも、いくら頑張ってもどうにもならない時もあります。

特に、若い人のいのちが失われていくときは、悔しい思いばかりです。

今、世の中には自殺や殺人事件などが数多くあります。

中国でもそういった事例は日本の数倍あり、私も仕事の中で、毎日死と向き合っていました。

 皆さんは「死」に対して、なかなか実感のわかない、遠いことのように思われるかもしれませんが、実際はそうではありません。

例えば、女性が妊娠して子どもを授かったとします。

どんな子どもが生まれてくるだろうかと不安に思うこともあるでしょう。

 しかし、中には障害を持って生まれてくる子どももたくさんいます。

妊娠して約一年という辛い期間を過ごしたお母さん方を見ると、悲しい思いがします。

そんな時、もっと早くにわかっていれば流産していたのにと思うかもしれません。

でも、いのちはそんな簡単なものではありません。

生まれた子どもは親を選ぶことは出来ません。

いのちというのは、実に不思議です。

 私たちは今日、平和な時代に生まれてきています。

戦争中に生まれなくて良かったと思う人はたくさんいるでしょう。

私も、戦争のときに生まれていたら、生きてはいなかったかもしれません。

しかし生まれていなくても、私のいのちはその時代をくぐり抜けていたのです。

 実際に戦争の時代を生きたのは両親です。

いのちは連綿とつながっているものととらえますと、両親が戦争の中でも、お互いに欠けることなく私を産んでくれたということは、私もまた、生まれる前に戦争中を生き残ったということになります。

そう思うと不思議なものだと感じます。

「知識」

 一般に「知識」という言葉は、知っている内容や事柄を指して用いられます。

ところが、仏教では数量で得られる知識ではなく、師匠や友人を意味する大切な言葉です。

仏道を学ぶ上での善き師・善き友を「善知識」といいます。

それとは逆に、悪い師や友を「悪知識」といいます。

 習い事やスポーツ、勉学においても先生や友達は大切な存在です。

また、知らない土地で道に迷った時など、私たちは正しい道を教えてくれる人を求めたりします。

 まして、仏道修行の場合はなおさらのことです。

善知識がいなければ、悟りや救いを得ることは出来ません。

自分がこの世に生まれた意義を尋ね、それを明らかにしようと志す求道者にとって、善知識との出遇いは、必須条件ともいえます。

「親鸞聖人における信の構造」3月(後期)

親鸞聖人は後年、この時の自分の心を振り返られ、自分はその時「難思往生」を求めていたと告白されます。

「難思」というのは、思いはかることが困難であるという意味です。

阿弥陀仏やその浄土は、本来的に私たち凡夫の思議を越えています。

人間の知識ではとうてい知ることは出来ませんし、凡夫には仏の真実を見ることも出来ません。

それを信じようとすれば、当然かえって強い疑いが生じることになります。

 だからこそ、阿弥陀仏はこり凡夫の心をとっくに見通して、凡夫の心に条件をつけず、

「ただ念仏せよ、救う」

と願われているのです。

ところが、愚かなる凡夫は、その仏の大悲心を知り得ず、自分の心に確固不動の信を作ろうと努力して、結局は疑惑心を消せないことへの苦悩に陥ってしまうことになります。

 そこで、親鸞聖人はこの『阿弥陀経』による往生を「難思往生」と呼び、この一心に阿弥陀仏を信じようと努力している心を、仏智を疑惑する心であるとされ、この者は

「疑城胎宮(仏の本願を疑うが故に生まれる、阿弥陀仏の方便の浄土)」

にしか往生しないことを明かされます。

 ただし、この真理が親鸞聖人に覚知されたのは、獲信以後のことです。

したがって、比叡山における親鸞聖人は、ただ疑惑心のみの中にあり、全く救いは生じていませんでした。

 「観経往生」によって行道に破れ、今また「弥陀経往生」によって信の確立に破れられたのですから、この時の親鸞聖人は、まさに苦悩のどん底にあったと窺うことが出来ます。

一切の努力、あらゆる行道がここでは完全に打ち砕かれているのです。

法然聖人に出遇われる以前の親鸞聖人は、最終的にどのような行も信も成立し得ず、ただ絶望の淵に沈むのみであられたのです。

「穢土と浄土」(下旬)

穢土を包み込んで悟りの世界へ

 その浄土といいますのは、悟りの智慧(ちえ)によって穢土を作っている私たちを照らしだし、本当の意味での反省、懺悔をさせる、そういう光なんですね。

ですから、悟りの智慧のことを仏法ではよく光にたとえられます。

 『仏説無量寿経』というお経を読ませて頂くと、仏さまの智慧の光を十二の光にたとえておられます。

 親鸞さまも『正信念仏偈』にそのことを書いておられますが、

無量光、

無辺光、

無碍光、

無対光、

光炎王、

清浄光、

歓喜光、

智慧光、

不断光、

難思光、

無称光、

そして最後に超日月光

と呼ばれます。

これらの光は、仏の悟りの智慧を表しているんですね。

 光がさすことによって、迷いの闇は消えていく訳ですが、そういう象徴的なことだけではなく、実際に生きる中で私たちはどのように迷い、どのように餓鬼道に苦しみ、畜生道を徘徊し、そして挙げ句の果てに、それら苦しみの集大成ともいえる地獄をつくってしまっているなでしょうか。

 『歎異抄』というお書物の中に、親鸞さまがご自身の生き方を述べられた

「地獄は一定すみかぞかし」

というお言葉があります。

自己を厳しく見つめられた中で、私のような者は地獄行きしかできない生き方をしているじゃないかという、深い懺悔の中から出てきたお言葉です。

親鸞聖人のこの深い反省はどこから出てきたのでしょうか。

 それは浄土という悟りの世界の阿弥陀さまの智慧の光に照らされて起こってきた訳です。

穢土と浄土というのは、決して相対する世界ではありません。

浄土は人間の苦しみだけでなく、他の生物まで苦しめ殺すというようなことに満ちている世界、すなわち穢土をあまねく照らし出して包み込み、何とかして悟りの世界に変えて行きたいという阿弥陀さまの願いが表された仏の国なのです。

つまり、穢土を包み込みながら、悟りの世界に変えて行くというのが、浄土のはたらきです。

 今もいのちを頂いて生かされている日々ですが、その中で悟りの智慧を少しずつ頂いて、浴にこもり、怒りや苦しみにくらんだ目が開かれて行く。

そして、悟りの世界に一歩一歩、進ませていただく、それがいのちを頂いて生きている私ども人間の在り方なのではないでしょうか。