投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

親鸞・登岳篇 黒白(こくびゃく)8月(4)

「おうっ――」

孤雲は、土牢の口へ、われを忘れて飛びついていた。

「若様。――寿童丸様」

朱王房は、牢内の闇から、じっと、孤雲の面を見つめていたが、躍り上がるように立って、

「やっ。七郎ではないか」

「七郎です。わ、若様、七郎でございまする」

「なつかしい」

と、朱王房は、痩せた手を牢格子のあいだから差し伸べて、

「会いたかった……」

「七郎めも、どれほど、お行方を尋ねていたかも知れませぬ」

「おお」

と、朱王房は、思い出したように、牢格子へ手をかけて、

「いいところへ来てくれた。

お前の腰の刀(もの)を貸せ」

「どうなさるのでございます」

「知れたこと、この牢を破るのだ。斬り破るのだ。――人の来ないうちに、早く」

「でも……」

と、孤雲はおろおろして、厳(いか)めしい高札に憚(はばか)ったり、道の前後を見まわしたが、折ふし、人影も見えないので、彼も、勃然(ぼつぜん)と、大事を犯す気持に駆られた。

脇差を抜いて、牢格子の藤(ふじ)蔓(づる)を切りはじめた。

朱王房は、渾身(こんしん)の力で、それを、揺りうごかした。

四、五本の鎹(かすがい)が、ぱらぱらと落ちると、牢の柱が前に仆(たお)れた。

炎の中からでも躍りだすように、朱王房は外へ出て、青空へ、両手をふりあげた。

「しめた。もう俺の体は、俺の自由になったぞ。――うぬ、見ておれ」

走り出そうとするので、

「あっ、若様っ、どこへ――」

と、孤雲は彼が歓びのあまりに気でも狂ったのではないかと驚いて抱きとめた。

「離せ」

「どこへおいでになるのです。若様の行く所へなら、どこへまでも七郎とてもお供をいたす覚悟でございます」

「山を去る前に、範宴の細首を引ン捻(ねじ)ってくれるのだ」

「滅相もない。範宴さまと、性善房どのとは、この身に恩こそあれ、お恨み申す筋はありません」

「いや、俺は、嫌いだ」

「嫌いだからというて、人の生命(いのち)をとるなどという貴方様のお心は、鬼か、悪魔です」

「貴様までが、俺を、悪魔だというか。俺は、その悪魔になって、範宴とも、闘ってやるし、この山とも、社会とも、俺は俺の力のかぎり、争ってやるのだ」

「ええ、貴方様はっ」

満身の力で、狂う彼をひきもどして、道へ捻じふせた。

そして、

「まだ、そのねじたけお心が、直(すぐ)におなり遊ばさぬかっ。お父上のご死去を、ご存じないのですか。家名を何となされますか。ここな、親不孝者っ」

と主人の子であることも忘れて、胸ぐらを締めつけた。

「あっ。くるしい。こらっ七郎、貴様は俺を撲りに来たのか」

「打ちます、撲ります。亡きあなた様のお父上にわって、打たせていただきます」

「この野郎」

刎ね返そうとすると、七郎は、さらに力をこめて、朱王房の喉(のど)を締めつけた。

うウむ……大きな呻きを一つあげて、朱王房は、悶絶してしまった。

親鸞・登岳篇 黒白(こくびゃく)8月(3)

どこからともなく流れてくる尺八の音に、

(おや)というように、二人は眼を見あわせた。

性善房は、ここに姿の見えない菰僧の孤雲を思い出して、

「孤雲です……きっと水を飲みに行って、この下の谷で、何か考え出して、携えている尺八をすさびたくなったのでしょう」

といった。

範宴は、すぐ、

「はよう呼べ。――あの孤雲が多年たずねている寿童丸は、ここにいる。それを、孤雲はまだ知らぬのじゃ」

「そうだ、孤雲が来たら、どんなに喜ぶか知れません。呼んでやりましょう」

性善房はすこし離れた崖の際まで駈けて行って、

「オオーイ」

谷間をのぞいて呼んだ。

姿は青葉や山藤の花などで、見えないが、尺八の音は、糸の切れたように、やんだ。

孤雲はその時、ずっと下の渓流のふちに平たい巌(いわ)を選んで、羅漢(らかん)のように坐っていた。

ここへは、性善房が察したとおり、口が渇いたので、水を飲みに下りてきたのであるが、孔雀(くじゃく)の尾のような翠巒(すいらん)と翠巒の抱くしいんとして澄んだ静寂(しじま)のなかに立っていると、彼は、傷だらけな心をややしばし慈母のふところにでも休らいでいるように、いつまでも、去りがてな気持がして、そこの岩の上に、坐ってしまった。

何かは知らず、とめどもなく涙があふれてくる。

昼の雲が、静かな峡(かい)のあいだを、ふわりと漂っていた。

母も妻も子も、また家もない自分の境遇と似ている雲を、彼は、じっと見ていた。

誰にとも訴えようのない気持がやがて、尺八の歌口から、哀々と思いのかぎり、細い音を吹きだしたのであった。

その音のうちには、人生の儚(はか)なさだの、煩悩だの、愚痴(ぐち)だの、歎きだのが、纏綿(てんめん)とこぐらかっているように聞えた。

「おうーい」

誰か、上で呼ぶ声に、孤雲はその尺八の手を解いて、

「あ……。性善房どのだな」

行く先は、分かっているので、自分は遅れて後から追いつくつもりであったが、範宴たちの二人が自分を待っているとすれば、これは、済まないことをしたと思った。

にわかに、立ち上がって、

「おうーい」

と、下からも、峰の中腹を見上げて答えた。

そして、崖道を、攀(よ)じながら、元の所へのぼってゆくと、性善房はそこへ駈けてきて、

「孤雲どの。よろこばしいことがあるぞ」

「え?」

唐突なので、眼をしばたたいていると、性善房は、はや口に、そこの土牢の中にいる若い僧こそ、寿童丸であると告げて、

「わし達は一足先に無動寺へ参っておるから、ゆるりと、旧主にお目にかかって、よく、不心得を、諭してあげたがよい」

といい残して、立ち去った。

範宴と性善房の姿が、山蔭にかくれるまで、孤雲は、茫然(ぼうぜん)と見送っていた。

半信半疑なのである。

自分が多年探している寿童丸が、ついそこの土牢の中にいるなどとは、どうしても、信じられないことだった。

ふと見ると、なるほど、土牢の口が見える。

高札が立っている。

――彼は、怖々(こわごわ)と、やがてその前へ近づいて行った。

親鸞・登岳篇 黒白(こくびゃく)8月(2)

しかし、範宴は、

「かわいそうじゃ」

と、かぶりを振って、肯(き)かないのである。

性善房が止める手を退けて、牢のそばへ、走り寄っていた。

そして、懐かしげに、

「寿童どの」

と、声をかけた。

朱王房は、かっと、闇の中からにらみつけて、

「十八公麿、おぼえておれ、よくもこの俺を、土牢へいれたな」

性善房は聞くに耐えないで、

「だまれっ」

と側からいった。

「――お師さまには、何もご存じないことだ。糺(きゅう)命(めい)されたのは、汝の自業自得ではないか」

「いや、貴様たちが、手を下したのも、同様だ。恨みは、こんどのことばかりではない、糺の原でも、あの後で、野火のことを、六波羅の庁に、訴えたろう」

「いやいや、幼少の時に、俺が、日野の館へ、石を投げこんだことを遺恨に思って、それから後は、事ごとに、貴様たちか、わしの一家を陥れようと計っていたに違いない。噂は、俺の耳に入っている」

「これだから……」

と、呆れ果てたように、性善房は、範宴の顔を見て、

「……救えない悪魔です」

「なにっ、悪魔だと」

朱王房は、聞き咎めて、かみつくように、罵った。

「よくも、俺を、悪魔といったな。ようし、悪魔になってやろう。こんな偽瞞(ぎまん)の山に、仏の法のり、虚偽な衣に、僧の面をかぶっているより、真っ裸の悪魔となったほうが、まだしも、人間として、立派だ」

「こういう毒口をたたくのだから、土牢に抛(ほう)りこまれるのも、当然じゃ。自体、幼少から、悪童ではあったが」

「大きなお世話だ。十八公麿のような、小ましゃくれた、子どものくせに、大人じみた、俺ではない。俺は、真っ裸が好きだ、嘘がきらいだ。―――今にみろ、うぬらの仮面や、偽装の衣を剥(は)いでくれる」

ものをいうだけが無益であると見たように、性善房は、範宴の手をとって、

「さ、お師さま、参りましょう……」

と促した。

ベッと、土牢の中から、白い唾がとんで範宴の袂にかかった。

範宴は、何を考えだしたのか、性善房が手をとっても歩もうとせず、両手を眼にやって泣いた。

「……参りましょう、こんな悪魔のそばにいると、毒気をうけるだけのことです。ことばを交わすのも、愚かな沙汰です」

「…………」

動こうともしないので、さめざめと範宴は泣き竦(すく)んでいるので、

「なにがお悲しいのですか」

と、性善房がたずねると、範宴は、紅い瞼をあげて、

「かわいそう」

と、唯それだけを、くりかえすのであった。

ものに感じることの強い範宴の性質を性善房はよく知っているのが、かくまで、宿命的に己を憎んでいる敵をも、不愍(ふびん)と感じて、嗚咽(おえつ)している童心の気だかさに、性善房も、ふたたび返すことばもなく、心を打たれていた。

すると、どこからか、拙(つたな)い尺八の音がしてきた。

――緑の谷間から吹きあげる風につれて、虚空(こくう)にながれてゆくのである。

「東日本大震災から2年を経て」〜原発事故被災者の現状について〜(上旬)放射性物質が飛んでくる

ご講師:白江順昭さん(福島県光慶寺住職)

東日本大震災発生の瞬間、ラジオと携帯電話から同時に緊急地震速報が鳴り、

「これはただごとじゃない」

と思って、すぐに外に飛び出しました。

すると、それまで経験したことのない、宮城県沖地震をはるかに超えるような揺れに襲われたんです。

外から本堂を見ると、屋根と柱が曲がるようにものすごい音がして、いつ本堂が倒れるんだろうかと思いました。

本堂は地震の影響で扉が閉まらなくなり、境内の灯籠(とうろう)は映画のワンシーンのように、スローモーションで舞うような感覚で崩れていきました。

地面からは液状化現象で水が吹き出し、親鸞聖人の銅像は揺れによって前のめりに傾き、お墓は倒れるといった被害がありました。

3月11日の地震発生時、家内は市の幼稚園の手伝いで、近くの小学校に行っていました。

その地域は、かなりの家が津波被害に遭い、学校の体育館や教室が避難所になるため、家内はその日の晩はお寺に帰らず、みなさんのお世話をすることになりました。

高校1年生だった息子とは全く連絡がとれないままの状態が続きましたが、数時間してなんとか連絡がとれ、先生から学校まで迎えに来てほしいと言われました。

学校へ行く4キロメートルの旧街道は大渋滞して、普段は15分で到着する道のりに30分以上かかりました。

学校に到着すると、そこには家に帰れずに残っている生徒がたくさんおり、私は息子と近くに住んでいる同級生2人を乗せて帰路につきました。

同乗した同級生の1人は、お父さんお母さんが仕事で帰りが遅くなるとのことだったので、コンビニに寄って晩ご飯を買うことにしたんです。

しかし、午後6時30分でしたが、ジュースはあったものの、水やお茶は売り切れ。

おにぎりやお弁当もありませんでした。

それが3月11日の夕方から夜にかけての状況です。

翌日の12日と13日はお寺で法事を受けていたんですが、本堂はとても使える状況ではありませんでした。

何とか連絡したくても電話が通じませんので、それぞれのご自宅に行って、会えた人には直接お伝えし、会えなかった人には伝言メモを書いて置いてきました。

私は何かあってはいけないので、とにかく留まれる限りお寺に留まりました。

周りの方からは

「白江さん、何やってんの。早く逃げないとダメだよ」

と言われましたが、14日の午前に火葬がありましたから、私はお寺に留まりながら、テレビやラジオで情報を収集し続けました。

火葬が終わり、14日の午後になって、やっと近くの小学校に避難している家族と会えました。

ホッとしたのもつかの間、テレビから福島第一原発3号機の建屋が水素爆発を起こしたというニュースが流れました。

避難所にいた人たちは、それぞれに窓に目張りをするなどして、懸命に外からの放射性物質の侵入を防ごうとしたんです。

同時に、避難所から数キロメートル東にある原町火力発電所で火災が発生したという連絡も入りました。

避難所の窓から外を見ると、この日は普段吹く風とは逆向きで、煙がこっちに向かってるんですよ。

ですので

「これはまずい」

と思いました。

福島第一原発も同じ方角にあったため、放射性物質が自分たちに向かって飛んでくるのをみんな恐れたのです。

『お盆深い縁に心を寄せる』(前期)

みなさんお誕生日の思い出ってどのようなものですか?

家族や友人たちと食事をして、ケーキが出てきて、プレゼントをもらうのが一般的でしょうか。

個人的なことですが、私は自分の誕生日にワクワクするような、ドキドキするような思い出や、経験がほとんどありません。

なぜかと申しますと、お盆の中日である8月14日が私の誕生日になるからです。

ご存知の通り、お寺にとってお盆は非常に忙しい期間です。

小さい頃の記憶はあまりないのですが、僧侶である父はもちろんのこと、母や家族も皆が忙しく動き回り気がつけば誕生日が終わっている・・・。

僧侶とならせていただいてからはなおのこと、いつの間にか誕生日を過ぎて、

「そういえばアンタ誕生日やったな」

と言われることの方が多いからです。

誕生する、生まれるということは同時に、いずれ死を迎えなければならないということでもあります。

仏教には、ただ

「死んでしまった」

「亡くなってしまった」

で終わりではなく、

「往生(おうじょう)する」

という言葉があります。

「生まれ往く」と書いて「往生(おうじょう)」と言われます。

どこまでも、どこまでも命は繋がっているとお聞かせいただくことができるのではないでしょうか。

生まれ往くとはどういうことなのか。

私はまだ生まれていなかったのか、そしてどこに生まれていくのだろうか。

そんな疑問を感じた方は、いらっしゃいますでしょうか。

簡単に申しますと、仏さまの国・お浄土へ生まれ往くという意味です。

私というのは、先が見えないと不安になります。

自分の中の当たり前が通用しないと、戸惑います。

人生が思い通りにいかないと分かっていても、何かに頼って生きているのが私です。

私という人間は、どんなに有難いお話を聞いても、どんなに厳しい修行を重ねても、どこまでいっても自分勝手に、自分中心に物事を見てしまうのが人間の姿です。

子どもはワガママだと思うこともあるかもしれませんが、知識・知恵を身に付けた大人ほどワガママな存在はいないのではないでしょうか。

愚痴が出なかった日が何日あったでしょうか。

腹をたてなかった日が何日あったでしょうか。

そのことすら、他人に気づかれないよう隠してしまう。

そんな私ですので、自分ではどうしようもできない、理解できないことに直面したりすると、その原因を探し求め、都合の悪いことは全て何かに押しつけてしまうことがあります。

そして、先に往生され仏となられているはずの大切な方々にさえ、自分の迷いから責任を押し付けてしまうのです。

私は何を頼りに人生を生きているのか。

「そんな悲しい人生はない、そんな悲しい命はない、どうかしっかりと命を見つめてほしい、あなたもお浄土へと生まれ往く命をいただいているのですから」

と教えてくださるのが阿弥陀という仏さまであり、先に往生されたたくさんの先人たちではないでしょうか。

「往生するということは、仏とならせていただいた誕生日でもあるんだよ」

というお言葉を聞かせていただいたことがありました。

お盆とは、お一人お一人が、先に往生された方々を偲ばせていただくと同時に、私の本当の姿をお聞かせいただくご縁でもあるのではないでしょうか。

私にとっての誕生日は、お盆のお参りをされるたくさんの方々と、先にお浄土へ往生された、たくさんの仏さま方に出遇わせていただくことができる、数限りない仏さま・先人の命を通して、私の命の行く先を知らせていただく尊いご縁をいただいているのだと感じております。

お盆には迎え火、送り火をしなくてもよいのでしょうか?

浄土真宗の門徒としてお盆をむかえるにあたり、迎え火、送り火は全く必要ありません。

そもそもお盆とは、正しくは

「盂蘭盆会」(うらぼんえ)といい、

浄土真宗では「歓喜会」(かんぎえ)ともいいます。

お釈迦様の弟子であった目連尊者が、亡くなった母を餓鬼道という苦しみの世界から救おうとして、その母に食物を与えるのですが救われず、お釈迦さまの導きで多くの僧侶に供養して初めて救われたという、

「盂蘭盆経」というお経の故事から起こった行事です。

すなわち、亡き母や特定の先祖に供物を捧げるというのではなく、自らが深く仏法に帰依して、限りなき仏さまのはたらきを仰いでいくことの大切さを、このお話は伝えています。

ですから、他の誰かではなく私自身が仏法を聴き、浄土へ生まれる真実の教えに目覚めいくことが、このお盆だけでなくすべてのご法事において、浄土真宗の門徒としての大切なこころ構えであると思います。

しかし、お盆も一般的には迷信的・俗信的な考えがかなり影響を及ぼしています。

先の「盂蘭盆経」の故事と「先祖の霊が帰る」

という日本独自の民間信仰が結びつき、現在の俗信的なお盆のカタチが生まれたものと思われます。

十三日には先祖の霊が家に帰り、十六日にはお墓に戻る、その行き帰りの目印として提灯が必要となり、送り火・迎え火が行われるようになったそうです。

浄土真宗では迎え火を焚いたり、精霊棚(しょうりょうだな)といわれる先祖の霊を迎えてもてなすために用意する棚など、死者の霊を迎えるためのさまざまな準備も必要ありません。

お飾りも一般の法要と同じように、菓子、果物といった供物をお供えし、花瓶や香炉を置く台(前卓・まえじょく)には、打敷(うちしき)という布を三角形状に敷けばよろしいでしょう。

なぜならご先祖はお盆の時期にだけに帰ってこられるわけではないからです。

いつでもこの娑婆世界に戻られ私たちを見守り、わたくしたちが如来さまのご本願を信じ、力強い人生を歩めるように、はたらいてくださっています。

ですからお盆をお迎えするのは、亡き人や特定の先祖の霊を供養するためではなく、亡き人を偲び、わが身・わがいのちを振り返る大切な時といただくべきでしょう。