投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

おひとりさま

おひとりさま

元々一人で行動することが嫌いではない。

ごはんでも映画でも旅行でも、

「おひとりさま」

は割と平気。

一人焼肉と一人カラオケは未経験ですが…

春先、どうしても行きたい衝動を抑えられずカンボジア旅行を決行した。

「おひとりさま」で。

数人に声をかけてみたが、急だったこと。

また、怪訝そうに

「なんで、カンボジア?」

ということで全員にフラれ、おひとりさまになった。

国内はどこそこ一人で行動することは多いが、さすがに海外に一人で行くのは初めて。

航空券とホテルは旅行社に頼み、あとは行き当たりばったり。

しかしアンコールワットのあるシェムリアップという一都市滞在だったので、

「どうにかなる!!」

と思い、旅立った。

そして、どうにかなって帰国した。

学生の頃、考古学を専攻していたこともあり、遺跡巡りは実に楽しかった。

早朝から夕方まで、遺跡オンパレード。

現地のごはんは大変おいしく、夜には歩き回って疲れた身体を癒しにスパ三昧!!(←シェムリアップはスパやマッサージが充実した都市なのです。)

「バブリー」

という言葉を噛みしめた日々だった。

ただ一カ所、どうしても

「おひとりさま」

では行けない場所があった。

30年ほど前、ポルポト政権下で大量虐殺が行われた場所、キリングフィールド。

現在はお寺が建てられ、遺骨や当時の写真が展示されていると本に書かれていた。

「どのような状況下にあったのか、事実を知りたい、行ってみたい」

という思いはあったが、色々なものを見た後に、果たして一人で気持ちの整理ができるのだろうか…。

いや、恐らくできないだろう。

そう思い、今回は断念した。

今回の旅で

「おひとりさまじゃなかったら…」

と思ったことが、上記のキリングフィールドに行けなかったことと、あともうひとつ。

帰路、ベトナムのハノイでトランジットの待ち時間が5時間あったこと。

小さな空港で、しかも深夜。

さすがに暇になりすぎた…

何はともあれ

「おひとりさま」

で無事に帰ってこられて良かった。

真宗講座 末法時代の教と行 末法と衆生の行業 6月(後期)

けれども、同時にこの心は、真宗者のすべて、ひいては末法の世に生きる一切の凡愚に通じることも、動かすことのできない真理だと言えます。

この和讃には

「浄土真宗に帰依していても、自身に真実清浄の心は一かけらも存在しない」

ということが述べておられるのですが、そうすると、その者がどうして清浄なる心で浄土を願い、真実なる心で念仏を行じることが出来るでしょうか。

そのような心では、一声の真実の念仏さえ称えることは不可能です。

ここに衆生の行として、念仏行さえ修することの出来ない末法者の姿があります。

また、次の和讃は、さらに鋭く末法の仏教者の姿を明らかにしておられます。

五濁増のしるしにはこの世の道俗ことごとく
外儀は仏教のすがたにて内心外道を帰敬せり

この世は末法であり、どうしようもなく濁り汚れており、その証拠に今日の仏教者はすべて、僧侶も在家の信者も例外はなく、たとえ外見はまるで仏教に帰依しているかのように見えたとしても、心の内は外道の教え(世俗の欲望)に魅惑されて、既に仏道を離れてしまっていることを指摘されます。

ここで、まず第一に私たちは、末法の仏教者を見るに際して、親鸞聖人は

「道俗ことごとく」

と、一切の例外を認めておられないことに注意する必要があります。

したがって、そこには当然浄土教者の心も含まれていると見なければなりません。

第二は

「外儀は仏教のすがた」

ということが問題になります。

この言葉は、しばしば真宗者が他宗の仏教を批判する時に使われます。

具体的には、仏教寺院でありながら御神籤(おみくじ)を売り、方角を占い、現世の利益を祈祷していることを

「外儀」

と呼んでいます。

けれども、この和讃で批判されているのはそのようなことではありません。

もちろん、親鸞聖人はそのような道俗の在り方も批判されます。

ただし、それは他の和讃においてのことであって、この和讃で問題にしておられるのはそれらのことではありません。

なぜなら、現世利益を説き、良時吉日を選び、卜占祭祀をつとめとすることは、すでに

「外儀(そとのすがた)」

であり仏教ではないからです。

では

「外儀は仏教のすがた」

とはどのようなことなのでしょうか。

それは、自分自身が、まさにこれこそが仏教だと思って、帰依の心を表白している、仏教儀式の一切を指しておられると見ればよいのだと言えます。

同じように、まさにこれこそが仏教だと信じて、心身を集中して厳しく修している行道の一切を、さらには学道の一切を指しておられると見ればよいのではないかと思われます。

例えば、各本山が全山をあげて一心に修している、祖師に対する御遠忌大法要の儀。

これが

「外道に帰依するすがただ」

と、いったい誰が言うでしょうか。

けれども、もしその

「外儀」が、仏の「証果」

に通じるものではなく、ただ自分達の世俗的欲望を満たしているだけに過ぎないとすればどうでしょうか。

欲望を満たすという点では、身命を顧みることなく求められる行道、あるいは学道であっても同じであって、その道の成就は仏の悟り(証)に至るのではなく、ただ世俗的栄誉に埋没するだけだからです。

そして、もしこのような世間の栄誉を得、高位に達した仏教者が、自分こそ仏道を求めているのだと自認したとすれば、これこそ

「内心外道を帰敬」

する姿だといわなければなりません。

まさに末法には、仏の行道を修しうる者は誰一人としていません。

まして証果に至りうる者も誰もいません。

この行も証も存在しない末法の釈尊の仏教において、もし真実の行と証があるとすれば、それはどのような行と証なのでしょうか。

私たち凡愚が、行業を通して証果を獲得することのできる仏道があるとすれば、それはどのような行業なのでしょうか。

ここに親鸞聖人によって顕彰された

「大行」

の義があります。

『心の眼を開けばあたりまえがおどろきになる』(後期)

「虫の夜の星空に浮く地球かな」

この俳句は元大阪大学の教授で浄土真宗の僧侶でもある大峯あきら師の俳句です。

星空を見上げて、虫の音を聞いてる自分も地球も、見ている星と同じく宇宙に浮かんでいるのです。

地球を飛び出して宇宙空間から地球を見ている壮大な俳句です。

私たちは地球と宇宙は別の世界と考えています。

ですからロケットを発射して、宇宙空間にロケットが飛び出したと、表現します。

しかし、この地球も宇宙空間に浮かんでいる存在です。

だからロケットが発射されたところも宇宙で、ロケットが今いるところも宇宙です。

地球が宇宙空間にあれば、私が立っている所も宇宙空間のど真ん中です。

「宇宙人はいます。なぜならこの私が宇宙人だからです。」

と言う事も言えると思います。

私は果てもなく広がる宇宙空間の中に浮かんでいる存在です。

そのことを科学の智慧が私たちに教えてくれます。

有難いことです。

阿弥陀仏の浄土の世界もまた広大な世界です。

この宇宙空間すべてです。

阿弥陀仏のおられる世界を、無量光明土と、お釈迦様は説かれました。

限りなく広がっているのです。

あらゆる存在が、阿弥陀仏の光明の中にあるのです。

すべての衆生が阿弥陀仏の光明の中にあります。

この私ももうすでに阿弥陀仏の光明のうちにあるのです。

日々の暮らしは目先の事や、怒りや愚痴や欲望の、煩悩だらけの生活ですが、その私がすでに仏の光明の中にあるのです。

仏の光明のど真ん中にいるのです。

信心の智慧がそのことを私に教えてくれています。

有難いことです。

世界虚空がみな仏わしもそのなかなむあみだぶつ(才市)

小説 親鸞・大衆(だいしゅ)6月(7)

根本中堂は、静かだった。

一山の若い学僧たちのあいだに範宴の問題から、座主の慈円僧正に、ごうごうと、非難が起こっているなどとは、登岳以来、そこに、常住していた僧正も、範宴も、性善房も、すこしも、知らないことであった。

中堂の薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)のまえに小さな範宴は、朝に夕べに、生涯の精進をちかっていた。

この北嶺(ほくれい)の頂(いただき)へのぼってからは、何か、今までよりは、仏の側へ、一歩、近づいてきたような心地がして、うれしかった。

範宴が、師の僧正に仕えているように、その範宴のゆく所に添って、影のように、彼を守っているのは、性善房だった。

その性善房は、今日、東塔の南谷まで、使いに行って帰ってくる途中であった。

「おいっ」

誰か、呼ぶので、

「はい」

性善房は、ふり向いた。

肱(ひじ)を突っ張った一人の大法師がつかつかと、寄ってきて、

「中堂の宿房(しゅくぼう)にいる性善房というのは、おまえか」

「そうです」

「おれは、西塔の双林寺にいる妙光房浄峨(みょうこうぼうじょうが)というものだが」

「はい」

「ま、そこへ掛けろ」

と、妙光房は、岩を指指した。

素直に、腰かけると、

「範宴少納言という童(わっぱ)は、おまえの主人だそうだな」

「主従とは、もとの俗縁でございます。

ただいまでは、この性善房にとりまして、天地にお一人の師の御房でございます」

「はははは」

大法師は、歯の裏が見えるような、大きな口を開いて、

「あの、人形みたいな小法師が、おまえの師か。うわははは……」

肩を揺すぶっておかしがるのである。

性善房は、まじめに、

「はい、私の師は、範宴さまお一人にございます」

「ものずきな奴もある。まあ……そんなことはどうでもいい、訊きたいのは、別儀でもないが、その小法師が、近いうちに、入壇いたして、大戒を授かるとかいう噂がもっぱらにあるが、嘘だろうな」

「さあ?」

「ほんとか」

「ありそうなことに存じます。けれど、嘘かも知れませぬ」

「あいまいなことをいうな。貴様の師のことを、貴様が、知らんはずはない」

「これは、迷惑なおたずねです。入壇授戒の大法は、一に、御仏のお心にあることです。

それを執り行う碩学のお眼にかのうた者が授かるものだと伺っております。

なんで、私のような末輩が、知ろう道理はありません」

「こいつ、誤魔化し言をいうて、このほうを、小馬鹿にいたすな」

「決して」

「じゃあ、嘘か、真か、はっきりといえ」

「いえないものは、いえないではございませんか」

まだ、登岳してから、半年も経たない新参なので、性善房は、できる限り、辞を低く答えてはいるけれど、根が、侍である。

公卿の館にはいても、太刀をさしていた人間の根性として、余りに、相手が横柄(おうへい)であったり、人をのんでかかってくると、つい、憤(む)っとするものが、こみあげてくる。

小説 親鸞・大衆(だいしゅ)6月(6)

「いや、問題は範宴少納言を、登岳させたというだけではない」

朱王房は、語気をつよめて、

「――それだけなら、何もたいして、騒ぐこともないが、近ごろ、チラと聞くところによると、座主は、何と心得ているのか、あのわずか十歳の稚僧に、授戒入壇(じゅかいにゅうだん)の式を、許されるという噂なのだ」

「はははは」

学僧たちは、一笑に附して、

「そんな馬鹿げた話が、あるものか。

それや、朱王房の聞きちがえだろう」

「なに、たしかなことだ」

「うそだよ」

「ほんとだ!」

笑いさってしまうには、あまりに、彼の顔つきは、真顔だった。

「誰に聞いた」

「中堂の執務から――」

「何日(いつ)」

「近いうちに、授戒入壇をさせるからと、支度を命じられたという」

「はてな?」

解せない顔つきで、人々は、小首をかしげたが、

「朱王房、よもや、嘘ではあるまいな」

「誰が、こんな嘘をいうか」

「事実とすれば、言語道断だぞ」

「怪(け)しからぬ儀だ」

「私情というほかはない」

「法規の蹂躙(じゅうりん)だ」

学僧たちは、不平と、公憤に、熱して、怒りをおびた。

「まだ十歳や、十一の小童を、山へ連れ登られたことさえ、奇怪であるのに、ものものしい入壇授戒を、あの洟っ垂れの稚僧に、ゆるすとあれば、すこし、狂気の沙汰である」

「陽気のせいだろう」

「笑いごとじゃないっ」

憤然と、立つ者がある。

鼎(かなえ)のように沸いてきた。

昂奮した顔が、

「諸公!」

拳(こぶし)を振って、演舌(えんぜつ)した。

「聞いたか、朱王房のことばを、もし、それにして、事実ならば、吾々は、黙っていられないッ」

「そうだっ」

衆が、答える。

「――範宴少納言とやら、どんな天才か、麒麟児(きりんじ)かしらぬが、そもそも、授戒入壇のことは、円頓菩薩(えんどんぼさつ)の大戒として、吾々が、この山にあって、十年、二十年の修行をしても、容易にゆるされない格式のものだ」

「然り、ここにいる者を、見渡しても、まだ一人も、入壇をうけたものはないぞ」

「それをだ」

と、憤怒の手は空(くう)を打つ。

「まだ、去年の十二月に、麓から、よたよた這い上がった十歳の稚僧に、突如として、これを、授けるとは何事だ。依怙(えこ)にも、ほどがある。私情をもって、大法を紊(みだ)すといわれても、いい開きはあるまい。それでも、吾々は、一山の座主のする業(わざ)であるからと、黙過するか」

「ならん」

「断乎と、排撃すべきである」

また、座の一角から立つ者があらわれて、

「かかる、悪例をひらいては、日本四大山の戒壇(かいだん)にも、悪影響を及ぼそう。また、叡山そのものの恥辱である。こぞって、吾々は、座主の私心を糾弾しようじゃないか」

「そうとも、おのおのは、宿房に帰って、院主や阿闍梨(あじゃり)たちにも、このことを告げて、一山をうごかせ!」

と、さけんで、別れた。

お棺に遺体と共にお名号を入れるのはなぜですか?

お葬儀の時に、お棺の中に

「南無阿弥陀仏」

と書かれた位牌のようなもの、もしくは

「南無阿弥陀仏」

と書かれた紙を入れるのをご存じでしょうか。

地域によっては、お棺に直接

「南無阿弥陀仏」

と書かれるところもあるのかもしれません。

これは、

「納棺尊号」(のうかんそんごう)と呼ばれるものです。

では、なぜ納棺尊号をわざわざお棺に入れるのでしょうか。

それは、浄土真宗の礼拝対象が阿弥陀如来さま(ご本尊)だけだからです。

葬儀場では、正面にご本尊をお迎えし礼拝読経を執り行います。

しかし、出棺後、火葬場において火屋勤行などを執り行う時に、ご本尊をわざわざご用意することが難しい場面も多くあります。

出棺時もしかりです。

出棺の合図と共に霊柩車に向かい合掌礼拝されることも多いと思いますが、そのときにも霊柩車にご本尊を掲げるわけにはいきません。

ですので、ご本尊をお棺に入れることによって、どの場面においてもご本尊を礼拝の対象とすることができるのです。

お葬儀の時は、亡くなっていかれた大切な方への思いが強く、故人へ目が向きがちになります。

それは、人として恥じるべきことでもなく、ごく自然なことと思います。

しかし、一方で、やはり私たちは、お葬儀のようなご縁に際しても阿弥陀如来さまのお慈悲とともに生かされているのだという気づきも必要なことなのです。

ですので、納棺尊号をわざわざご遺体と一緒にお収めするのです。

もちろん浄土真宗は、偶像崇拝を主とする教えではありません。

しかし、よもやとすると阿弥陀如来さまのお慈悲に気づいていけないのも、私たちの有り様であります。

ですので、納棺尊号を必要としなければならないのです。