投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

小説 親鸞・大衆(だいしゅ)6月(7)

根本中堂は、静かだった。

一山の若い学僧たちのあいだに範宴の問題から、座主の慈円僧正に、ごうごうと、非難が起こっているなどとは、登岳以来、そこに、常住していた僧正も、範宴も、性善房も、すこしも、知らないことであった。

中堂の薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)のまえに小さな範宴は、朝に夕べに、生涯の精進をちかっていた。

この北嶺(ほくれい)の頂(いただき)へのぼってからは、何か、今までよりは、仏の側へ、一歩、近づいてきたような心地がして、うれしかった。

範宴が、師の僧正に仕えているように、その範宴のゆく所に添って、影のように、彼を守っているのは、性善房だった。

その性善房は、今日、東塔の南谷まで、使いに行って帰ってくる途中であった。

「おいっ」

誰か、呼ぶので、

「はい」

性善房は、ふり向いた。

肱(ひじ)を突っ張った一人の大法師がつかつかと、寄ってきて、

「中堂の宿房(しゅくぼう)にいる性善房というのは、おまえか」

「そうです」

「おれは、西塔の双林寺にいる妙光房浄峨(みょうこうぼうじょうが)というものだが」

「はい」

「ま、そこへ掛けろ」

と、妙光房は、岩を指指した。

素直に、腰かけると、

「範宴少納言という童(わっぱ)は、おまえの主人だそうだな」

「主従とは、もとの俗縁でございます。

ただいまでは、この性善房にとりまして、天地にお一人の師の御房でございます」

「はははは」

大法師は、歯の裏が見えるような、大きな口を開いて、

「あの、人形みたいな小法師が、おまえの師か。うわははは……」

肩を揺すぶっておかしがるのである。

性善房は、まじめに、

「はい、私の師は、範宴さまお一人にございます」

「ものずきな奴もある。まあ……そんなことはどうでもいい、訊きたいのは、別儀でもないが、その小法師が、近いうちに、入壇いたして、大戒を授かるとかいう噂がもっぱらにあるが、嘘だろうな」

「さあ?」

「ほんとか」

「ありそうなことに存じます。けれど、嘘かも知れませぬ」

「あいまいなことをいうな。貴様の師のことを、貴様が、知らんはずはない」

「これは、迷惑なおたずねです。入壇授戒の大法は、一に、御仏のお心にあることです。

それを執り行う碩学のお眼にかのうた者が授かるものだと伺っております。

なんで、私のような末輩が、知ろう道理はありません」

「こいつ、誤魔化し言をいうて、このほうを、小馬鹿にいたすな」

「決して」

「じゃあ、嘘か、真か、はっきりといえ」

「いえないものは、いえないではございませんか」

まだ、登岳してから、半年も経たない新参なので、性善房は、できる限り、辞を低く答えてはいるけれど、根が、侍である。

公卿の館にはいても、太刀をさしていた人間の根性として、余りに、相手が横柄(おうへい)であったり、人をのんでかかってくると、つい、憤(む)っとするものが、こみあげてくる。

小説 親鸞・大衆(だいしゅ)6月(6)

「いや、問題は範宴少納言を、登岳させたというだけではない」

朱王房は、語気をつよめて、

「――それだけなら、何もたいして、騒ぐこともないが、近ごろ、チラと聞くところによると、座主は、何と心得ているのか、あのわずか十歳の稚僧に、授戒入壇(じゅかいにゅうだん)の式を、許されるという噂なのだ」

「はははは」

学僧たちは、一笑に附して、

「そんな馬鹿げた話が、あるものか。

それや、朱王房の聞きちがえだろう」

「なに、たしかなことだ」

「うそだよ」

「ほんとだ!」

笑いさってしまうには、あまりに、彼の顔つきは、真顔だった。

「誰に聞いた」

「中堂の執務から――」

「何日(いつ)」

「近いうちに、授戒入壇をさせるからと、支度を命じられたという」

「はてな?」

解せない顔つきで、人々は、小首をかしげたが、

「朱王房、よもや、嘘ではあるまいな」

「誰が、こんな嘘をいうか」

「事実とすれば、言語道断だぞ」

「怪(け)しからぬ儀だ」

「私情というほかはない」

「法規の蹂躙(じゅうりん)だ」

学僧たちは、不平と、公憤に、熱して、怒りをおびた。

「まだ十歳や、十一の小童を、山へ連れ登られたことさえ、奇怪であるのに、ものものしい入壇授戒を、あの洟っ垂れの稚僧に、ゆるすとあれば、すこし、狂気の沙汰である」

「陽気のせいだろう」

「笑いごとじゃないっ」

憤然と、立つ者がある。

鼎(かなえ)のように沸いてきた。

昂奮した顔が、

「諸公!」

拳(こぶし)を振って、演舌(えんぜつ)した。

「聞いたか、朱王房のことばを、もし、それにして、事実ならば、吾々は、黙っていられないッ」

「そうだっ」

衆が、答える。

「――範宴少納言とやら、どんな天才か、麒麟児(きりんじ)かしらぬが、そもそも、授戒入壇のことは、円頓菩薩(えんどんぼさつ)の大戒として、吾々が、この山にあって、十年、二十年の修行をしても、容易にゆるされない格式のものだ」

「然り、ここにいる者を、見渡しても、まだ一人も、入壇をうけたものはないぞ」

「それをだ」

と、憤怒の手は空(くう)を打つ。

「まだ、去年の十二月に、麓から、よたよた這い上がった十歳の稚僧に、突如として、これを、授けるとは何事だ。依怙(えこ)にも、ほどがある。私情をもって、大法を紊(みだ)すといわれても、いい開きはあるまい。それでも、吾々は、一山の座主のする業(わざ)であるからと、黙過するか」

「ならん」

「断乎と、排撃すべきである」

また、座の一角から立つ者があらわれて、

「かかる、悪例をひらいては、日本四大山の戒壇(かいだん)にも、悪影響を及ぼそう。また、叡山そのものの恥辱である。こぞって、吾々は、座主の私心を糾弾しようじゃないか」

「そうとも、おのおのは、宿房に帰って、院主や阿闍梨(あじゃり)たちにも、このことを告げて、一山をうごかせ!」

と、さけんで、別れた。

お棺に遺体と共にお名号を入れるのはなぜですか?

お葬儀の時に、お棺の中に

「南無阿弥陀仏」

と書かれた位牌のようなもの、もしくは

「南無阿弥陀仏」

と書かれた紙を入れるのをご存じでしょうか。

地域によっては、お棺に直接

「南無阿弥陀仏」

と書かれるところもあるのかもしれません。

これは、

「納棺尊号」(のうかんそんごう)と呼ばれるものです。

では、なぜ納棺尊号をわざわざお棺に入れるのでしょうか。

それは、浄土真宗の礼拝対象が阿弥陀如来さま(ご本尊)だけだからです。

葬儀場では、正面にご本尊をお迎えし礼拝読経を執り行います。

しかし、出棺後、火葬場において火屋勤行などを執り行う時に、ご本尊をわざわざご用意することが難しい場面も多くあります。

出棺時もしかりです。

出棺の合図と共に霊柩車に向かい合掌礼拝されることも多いと思いますが、そのときにも霊柩車にご本尊を掲げるわけにはいきません。

ですので、ご本尊をお棺に入れることによって、どの場面においてもご本尊を礼拝の対象とすることができるのです。

お葬儀の時は、亡くなっていかれた大切な方への思いが強く、故人へ目が向きがちになります。

それは、人として恥じるべきことでもなく、ごく自然なことと思います。

しかし、一方で、やはり私たちは、お葬儀のようなご縁に際しても阿弥陀如来さまのお慈悲とともに生かされているのだという気づきも必要なことなのです。

ですので、納棺尊号をわざわざご遺体と一緒にお収めするのです。

もちろん浄土真宗は、偶像崇拝を主とする教えではありません。

しかし、よもやとすると阿弥陀如来さまのお慈悲に気づいていけないのも、私たちの有り様であります。

ですので、納棺尊号を必要としなければならないのです。

小説 親鸞・大衆(だいしゅ)6月(5)

「あっ」

打たれた頬を抑えながら、

「生意気とはなんだ」

朱王房も、拳をかためて、立ち上がった。

あわや、組み打ちになろうとする双方の血相なので、

「まあ、待てっ」

「議論のことは、議論でやれ」

学僧たちは、引きわけて、

「朱王房のことばも、あまり過激すぎる。そんなに不甲斐のない叡山なら、自分からさっさと山を下りたらいいじゃないか」

「そうだ、いくら、叡山が無能だからといって、自己の生涯を托している御山(みやま)のことを、今のように、いうのはよくない」

「若い、若い口は誰でも、悲憤慷慨(ひふんこうがい)はいえるものだが、自分で、やれといわれたら、何もできるものじゃない」

「社会もそうだ、山もそうだ」

多勢(おおぜい)の声には、朱王房も、争えなかった。

打たれた頬の片方を、赤くして黙りこんだ。

すると、さっき、彼のことばに賛意を表した妙光房が責任を感じたように、

「いや、朱王房のことばは、露骨で、云いかたが悪いのだ。彼には、何かほかに、感じることがあって、ついその余憤が出たのだろう。なあおい、そうじゃないのか」

「うん……」

朱王房は、うなずいた。

「この間も、俺をつかまえて、憤慨していたから、あのことをきっと、いいたかったに違いない」

「あのこことは?」

「新座主の問題だ」

「ふーム」

学僧たちは、新しい話題に、好奇な眼を光らしあって、

「新座主といえば、こんど、青蓮院からのぼられた慈円僧正だが、その座主について、何か問題があるのか」

「朱王房、いってみろ」

「ないこともない――」

と、朱王房は、顔を上げた。

「どんなこと?」

「ほかではないが」

「うむ」

「俺のような、一介の末輩がいうのは、おそれ多いとも思ってだまっていたが……。慈円僧正の態度は、三千のわれわれ大衆を無視しているばかりでなく、真言千古の法則を、座主自ら、勝手に紊(みだ)しているものと、俺は思うのだ。
――そんなだらしないことでは、山の厳粛がたもてるわけのものじゃない。だから、吾々の法城は、もう実のところ何の力もないのだ。鴉の番人というように嘆息が、つい出てしまう……。いい過ぎだろうか」

「座主が、自ら、山の法則を紊(みだ)したとは、どんなことか」

「誰も、知らないのか」

「知らん」

「じゃ、いうが……。この冬、新座主と共に、登岳した範宴少納言という者を、各々は、見ていないか」

「あの小さい稚僧か」

「そうだ」

「あれなら、よく見かけるが、まるで嬰(あか)ん坊じゃないか。未丁年者を、山へ連れてきたということは、ちょっと、碩学の中で、問題担ったが、結局、取るにたらん子どものことだし、僧正が青蓮院に在住のころから、お側に侍(かしず)いていた者でもあるし…と黙認になっているのだから、そのことなら、問題にはならんぜ」

真宗講座 末法時代の教と行 末法と衆生の行業 6月(中期)

ところで、衆生の生因に関して、阿弥陀仏の誓いに三種の願を見るのは、阿弥陀仏の心に差別のあることを意味しているのではありません。

あくまでも阿弥陀仏の心はただ一つなのであって、何としても迷える一切の衆生を救い、我が浄土に生ぜしめたいという願いがあるのみです。

けれども、衆生の側に三種の心の状態があるのならば、それぞれの心の状態に応える願が仏の側でも開かれている必要があります。

たとえ、衆生の心の状態が、阿弥陀仏の願の真意に添わないものであったとしても、仏はその心を直ちに拒絶するのではなく、限りなく衆生を仏の方向へ引き寄せようとされます。

そこで、衆生の心の求めにしたがって、阿弥陀仏は衆生のために三つの誓願をたてられ、衆生を仏果へ導こうとされるのです。

この故に、いずれの願文も、文当面の意はどこまでも衆生の

「行道」が中心となっています。

つまり、衆生が一心に念仏行を修して浄土に往生すべく

「行道」が説かれているのです。

そして、このような立場を取る限り、浄土教の念仏もまた、衆生から仏への方向を取るといわなくてはなりません。

ところで、もし浄土教の念仏を修している衆生が、末法時代の

「愚悪者」であったとしたらどうでしょうか。

愚悪者というのは、根源的に愚かであり鈍であり邪であり悪なる者のことで、どれほど努力して行道に励んだとしても、究極的に清浄真実の心にはなりえません。

そのため

「愚鈍邪悪」と呼ばれます。

そうだとすれば、この者にとっての

「行道」とは何でしょうか。

明らかに言えることは、この者は行道そのものが過ちの中にあるため、この者の行く手には、仏果は絶対にあり得ないということです。

それは、行者が仏道としての意義を全く欠いているからです。

したがって、たとえそれが念仏行であったとしても結果は同じことで、邪悪なる凡愚においては、清浄なる心でその行を修することは出来ないのですから、必然の結果として念仏行そのものが往因行とはならないのです。

阿弥陀仏の本願には、衆生の意念に応じて、第十九・第二十・第十八の三つの願が開かれています。

そして、それぞれの願に衆生の往因行としての念仏が説かれているかのように見受けられます。

しかも、衆生の行道としてこの願意を窺う限り、第十九願の念仏行が最も尊く、第十八願の念仏は最も劣っているようにみなされていました。

ところが、末法の世においては、どの立場に立っても行道が行道としての用をなさないのですから、三願はともに私にとって同等の価値になってしまいます。

それは、第十九願の念仏も、第二十願の念仏も、さらには第十八願の念仏さえも、凡愚には行ずることの出来ない行であるために、このような生因願文は、末法の凡愚には全く関係のない教えとなってしまっているということです。

ここにおいて私たちは、今一度今の世は末法の時であるということを、極めて強く意識する必要があります。

末法の時代というのは、仏教の中にあって、もはや真似ごとほどの仏道を行ずる者もなく、まして証を得る者は誰一人としていないということです。

ただ仏の「教」のみしか残っていない時代なのです。

どのような行も修する者がいないということは、念仏の行者もまた例外ではないのであって、衆生が仏果に至るために修する行道としての念仏行は

「今」の時代では成立し得ないのです。

それは、衆生の側に仏道を真に修そうとする心が存在しないからで、真実の心をもって修されていない行為は、仏教的に見てどれほど類似の行であったとしても、仏道とは呼び得ないのです。

この仏道者の心を、そして仏教的行者の姿を、親鸞聖人は『正像末和讃』の中で次のように詠んでおられます。

浄土真宗に帰すれども真実の心はありがたし
虚仮不実のわが身にて清浄の心もさらになし

この和讃は「愚禿悲歎述懐」と題されていますが、今ここで詠まれているのは、親鸞聖人ご自身の心であることはいうまでもありません。

『心の眼を開けばあたりまえがおどろきになる』(中期)

私たちは、漠然とではあるのですが、

「いつかは死ななければならない」

ということは一応知っています。

けれどもその一方で、自分だけは

「死ぬのは、まだずっと先のことだろう」

と、思っていたりします。

ところが、だんだん年を重ねていくと、ふと

「あと何年生きられるだろうか…」

と、考えることがあります。

思うに、このような考え方は

「引き算の人生」

という言い方ができるのではないでしょうか。

つまり、単に自分が知らないだけのことで、それぞれ人には初めから

「寿命」が定まっているとする考え方です。

そのため、まるでローソクがだんだん小さくなっていって、最後には炎が消えてしまうように、年を重ねるごとに私のいのちのローソクも年々小さくなり、最後にはローソクの炎が消えるように、いのちの炎も消えてしまうというイメージです。

そこで、

「私のいのちローソクは、あとどれくらい(何年)残っているのだろうか」

ということになる訳です。

ところで、あなたは自分の「死因」は何か、ちゃんと自覚していますか。

「まだ生きているのだから、そのようなことは分からない」

と言われるかもしれません。

周知のように仏教は、原因と結果の関係性を説く教えです。

この場合、結果から見るとそこには必ず原因があるとことを明らかにするのがポイントです。

したがって、

「死」

という結果の原因は

「生まれたことにある」

と、説き明かします。

もし「死にたくない」

という人がいたとすると、その人に対しては

「生まれなければ死なないですむのですが…、でも既に生まれた以上、その結果として必ず死ななければなりません」

と説くのが仏教です。

たとえ、病気にならなくても、不慮の事故や災害などを免れたとしても、生まれた以上、その結果として老衰という形で最後は死んでしまいます。

一般に、私たちは病気や事故、災害などを

「死因」と言っていますが、これは

「縁」です。

だから仏教では

「死の縁無量にして…」と言うのです。

死の縁(条件)はそれこそ無数にありますが、死因はあくまでも生まれたことにあります。

時折

「あなたは、今朝目が覚めて嬉しかったですか」

と尋ねると、

「いえ、別に…」とか

「今日は何の日ですか」

「今日何か良いことでもあるのですか」

などと、問い返されたりします。

なぜ、私たちは朝目が覚めた時、特に

「嬉しい」と思わないのでしょうか。

それは、無意識の内に朝目が覚めることを当然のこととしたり、

「当たり前」

と思っていたりするからではないでしょうか。

私たちは

「当たり前」のことは、特に嬉しくはないのです。

「有り難う」という言葉は、文字を見ればすぐ分かるように

「そう有ることが難しい」

つまり、その恩恵を受けるような私ではないにも関わらず、現にいまその恩恵を受けていること、言い換えると当然ではないことが今私の上に起きていることから発せられる、感謝の意を表す言葉です。

聞くところによると、人間は医学的には120歳くらいまで生きられる可能性があるのだそうです。

そういうことを耳にすると、

『電化製品ではないけれど、人間のいのちも120年とは言わないから、せめて「100年保証」とかしてもらえないのだろうか』

と思ったりします。

残りの20年は、その人、個々の頑張り方次第でも良いので…。

私たちのいのちには保証期間がない一方、既に死因はあるのですから、それがいつ私の中で起こったとしても、不思議でも何でもありません。

たとえそれが、本人はもちろんのこと、周囲の人にも

「突然」のように感じられても、原因と結果の関係性においては自然なことなのです。

なぜなら、いったいどこの誰が

「今朝目が覚めること」

を保証してくれているでしょうか。

前夜寝る前に、私だけが

「翌朝目が覚めること」を

「当然」と思っていただけのことです。

そうすると、私たちの人生は

「引き算」なのではなく、

「足し算」なのではないでしょうか。

今朝、目が覚めたということは、決して

「当たり前」のことではなく、むしろ

「死ぬべきものがたまたま生きていた」

というのが、その内実なのだと言えます。

そして、

「賜った一日を積み重ねてきたのが、今日までの私の人生」

ということになるのです。

仏法を聴く中で、心の眼が開くと、それまで

「引き算」だと思っていた人生が

「足し算」の人生へと転じるなど、あたりまえであったことがそうではなかったと頷けたり、気付かなかったこと、見落としていたことに驚かされたりすることが少なからずあります。

まさに、仏法によって心の眼が開かれれば、あたりまえがおどろきになるということを、この言葉は明らかにしているように窺えます。