投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

宗教の違う友人が亡くなった場合、通夜・葬儀ではどのようにしたら良いですか?

こんな話があるのだそうです。

『無宗教』を自認し

「葬式無用論」を説いていた大学教授がいました。

しかし、あるとき、思いもかけない

「我が子の死」に出会ったのだそうです。

すると、それまで盛んに主張していた説はどこかに吹き飛んで、涙ながらに

「盛大な葬儀をしたい」と…。

故人の死を縁に営まれる葬儀というのは、後にのこった遺族・縁ある方々が亡き方の死を悼み、その遺徳を偲ばずにはおれないという心情から行われる儀式です。

「死を悼み、遺徳を偲ぶ」

ことは、自らの信仰とは切り離し得ない心のはたらきです。

亡くなった方が無宗教や自分と宗教が違ったとしても、『私』が故人を偲ぶ時、そのことは私の宗教観でしか偲ぶことはできないのではないでしょうか?

では、仏教ではどうかというと、インド古来の礼儀作法にならって、合掌礼拝することになっています。

したがって、他宗や他教の葬式や通夜に参列したときも、合掌礼拝の作法で、敬虔(けいけん)に哀悼の意を表すことが大切です。

親鸞・紅玉篇 3月(6) 炎の辻

壁は、墨汁(すみ)によごれていた。

四側(よかわ)に並んだ机には、約二十人ほどの学童が、強いて姿勢を正して、師の講義を聞いていた。

「孝経」

であった。

日野民部の講義が終わると、

「先生……」

と、次の部屋に待っていた学僕が、側へすすんでいった。

「ただ今、御入門したいと申す児童が、二人の隨身を供に連れて、お玄関に控えておりまするが」

「そうか。通しておくがよい。――しかし何家(どこ)のお子だ」

「まだ伺っておりませぬ」

学僕が去る間に、児童たちは、もう机の上の書物を、あわただしく仕舞って、立ち騒いでいた。

「これっ」

民部は叱って、

「誰が、立てといいましたか、まだ、書物を仕舞ってはなりませぬ。今、先生が、読み解いた一節を、声をそろえて、復習するのじゃ」

すぐ静粛になる。

児童たちは、書(はん)を両手にもって、孝経の一節を、高らかに、読んだ。

「よろしい」

ばたばたと、また騒ぎかける。

「――よろしいが、まだ、学課はおしまいではありませぬぞ。硯(すずり)に、水をおいれなさい、そして、草紙を出す」

命じられるままに、手習(てならい)が始まった。

よしと見て、民部は、ほかの室へ立って行った。

その室には、何もなかった。

儒学者の家らしい唐机が一脚と、書物の箱が、隅にあるだけである。

そこの板縁を後ろにして、一人の少年が、さっきから待たされて控えていた。

民部は、そこへ何気なく入って行ったが、足をふみ入れるとすぐに、はっと思った。

この学舎には、堀河、京極、五条、烏丸などの、権門の子をはじめ、下は六、七歳から十五、六歳の子弟を預かっていて、民部は今日までずいぶん多くの少年を手にかけてきているが、まだこんな感じを初対面の時にうけた例(ため)しはなかった。

【凡(ただ)の子ではない】すぐ、感じたのである。

永年の体験で、教育者として直感したのではあるが、べつに、その少年の容貌(かおだち)とか、身装(みなり)とかに変った点があるわけではない。

少年は、手を膝に重ねて、入ってきた民部を、ちらと見上げている。

そして、すこし後へ退がって両手をつかえた。

良家の子ならば、これくらい作法は、どこの子弟でも仕込まれている。

だのに、民部は、そのあたりまえの動作のうちに、やはり感じるのであった。

【はてな?……何家の子だろうか。これは、鳳凰(ほうおう)の雛(ひな)だ】そう思いながら、

「入門したいというのは、そこもとか」

「はい」

すずやかな返辞である。

「お年は」

「八歳(やつ)になりました」

「おん名は」

「十八公麿(まつまろ)と申します」

「お父君は、武家か」

「いいえ」

「どなたで、何といわるる」

「六条源氏町の藤家範綱の子でございます」

「や、範綱うじの、御猶子(ごゆうし)か。……ウーム、道理で」

親鸞・紅玉篇 3月(5) 炎の辻

憎む者というと、その髪の毛を引き抜き、肉を裂いても、清盛の怒りは、容易に解けないのであった。

余憤は、院の法皇にすら向けられて、西八条は、夜明けにかけて、いよいよ兵気が旺(さかん)になる。

薔薇園の邸にいる子息の小松重盛は、それを聞くと、悲壮な決意をもって、父の清盛を訪ねた。

そして、面を冒して、重盛は、聖徳太子の古言をひいて、憤怒の父を諫めた。

それは、聖徳太子の憲法十七条のうちにあるおことばだった。

人、みな心あり

心、各々執あり

彼を是し

我れを非し

我れを是し

彼を非す

是非の理、誰か定むべき

相共に賢愚なり

環(たま)のごとく端(はし)なし

たとえ、人怒るとも

わが咎(とが)をこそ怒れよ

清盛はうつ向いて、内府の声を聞いていた。

大納言を殺すことは、思いとまったらしい。

しかし、怒りが解けたのではない。

やがて、囚人車(めしゅうどぐるま)に乗せられて、都から遠国へ差し立てられてゆく流人が毎日あった。

京の辻は、日ごとに、それを見物する者で雑鬧(ざっとう)した。

新大納言は、備前の児島へ。

近江の蓮浄、山城守基兼、式部正綱、等々々、一介の平人(ひらびと)になって、無数の檻車(かんしゃ)が、八方の遠国へ、生ける屍(しかばね)を送って行った。

わけても、極刑にひとしい厳罰をうけたのは、鹿ヶ谷の俊寛であった。

流されて行く先が、鬼界ケ島と聞いただけでも、人々は魂をおののかせた。

六条の範綱は法皇の御行動を、あやうい業火の淵からおすくいした心地がした。

もしあの時、西八条へ一筋の矢でも射(ひ)いてから法皇が、その軍勢のうしろにおいでになると分かったら、清盛の手は、院中にまでのびて、勢い、法皇のおん身にまで、どんな禍(わざわい)を及ぼしたか分からない。

「おそろしい世の中だ」

と、今さらに思うのだった。

つとめて、身を慎しみ、処世の一歩一歩に、細心な自適を心がけるよりほかはない。

「箭四、箭四はいるか」

ふと、思いついて呼ぶと、ほかの召使が、

「箭四郎どのは、今しがた、和子様を背に負って、流人の檻車を、見物に参りました」

やがてその箭四郎が、十八公麿を負って、帰ってくると、範綱は、

「和子に、さようなものを見せてはならぬ」

と、いって叱った。

しかし、十八公麿は見たがるのである。

六条の館は、以前の日野の里とはちがって、都の町中である。

眼をふさぎ、耳をふさいでも、ごうごうと騒がしい世態の物音や、恟々恟々(きょうきょう)と脅える人々のうわさなどが、敏感な童心のかがみに移らないはずはなかった。

母の病気のために、久しく郷里に帰っていた侍従介も、やがて、帰ってきたが、わずかな間に激変した都のさまや、人間の栄枯盛衰らおどろいて、

「こんなふうに、世の中が、三年も経ったら、一体、どう変るのでございましょうな」

しみじみと、無常のつぶやきを洩らしていた。

『支え会おう敬いあおうみんな同朋(なかま)だ』(中期)

『仏説無量寿経』の中に

「当相敬愛(まさにあい敬い愛すべし)」

という言葉が説かれています。

お互いが敬い、お互いが愛し合うということの大切を説き示されたものです。

一般に、

「汝の隣人を愛せよ」とか

「人類愛」

とかいう言葉を見たり聞いたりすることがありますが、その

「愛する」ということの根底に

「相手を敬う」ということを置くのが仏教の基本姿勢です。

では、相手の人を心から敬うということは、いったいどのようにすれば可能なのでしょうか。

日々の生活を振り返ってみますと、私たちは他の人々と関わる中で、いつでも何らかの意味で他の人々を見下すか、あるいはうらやむかのどちらかを選択しているのではないでしょうか。

つまり、相手を敬うことなく、その人よりも自分が上か下かを比べながら、周囲の人たちと接しているという事実が知られるのです。

曇鸞大師の著された『浄土論註』の中に

「それ忍辱(にんにく=苦悩・迫害を耐え忍んで心を動かさないこと)は端正(姿・動作などが整ってきちんとしているようす)を得。

一たび彼(かしこ=浄土)に生ずることを得れば、瞋忍(しんにん)の殊(ことなり)無し。

人天の色像、平等妙絶なり」

と説かれています。

普通に考えると、自分の苦しみやつらさに耐えて、人々のために努力を重ねてきた人や、自分の楽しみを捨てて、つらさをすべて受け止めながら人々のために尽くしてきた忍辱の人は、その心の徳として、姿かたちが端正になるということは素直に頷けます。

けれども、我がままいっぱいに自分の要求ばかりを周りに押しつけて、年中腹を立てては文句ばかり言っている瞋恚(激しい怒りの心)の人が、浄土に生まれると同じように端正なすがたを得ると言われると、首を傾げたくなります。

ところが、曇鸞大師は、浄土にひとたび生まれるならば

「瞋忍のことなり無し」

と言われます。

つまり、腹ばかり立てている人と、生涯自分の苦しみに耐えながら人々のために尽くしてきた人が、浄土に生まれるとその違いがなくなり、共に端正な顔を得ると言われるのです。

一般的には、これはどうにも不公平なことだと感じられます。

けれども、浄土とはその不公平だと感じる私の心を問う世界なのです。

実は、これを不公平だと感じさせるのは

「私は耐えてきた」

という思いです。

あの人は自分勝手なことばかりしてきたが、私は一生自分の思いを押さえて、ひたすらいろいろなことに耐えてきた。

だから、同じであることに納得がいかないのです。

ところで、もし自分の中に

「私は耐えてきたのだ」

という自負があるとすると、その意識は果たして

「浄らかな心」だと言えるでしょうか。

「耐えてきた」という思いを握りしめて、自分は

「こうなんだ!」

と、耐えてきた苦しみを前面に主張するというあり方は、実はその心に自分自身が苦しめられているのです。

『歎異抄』の第9条に、

「久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく…」

という言葉があります。

「苦悩の旧里」なのですから、誰もが一刻も早く捨てたいと思うものです。

ところが、ここでは

「すてがたい」と述べられています。

それは、なぜなのでしょうか。

考えてみますと、私たちは自分が耐えてきた苦しみほど手放せないものはないのです。

「自分ほど苦しみに耐えてきたものはいない」

「この私の苦しみは誰にも分かるものではない」

というように、私たちは良いことだけでなく、悪いことも独り占めしたいのです。

まさに、そのような自身に執着する心根を押さえたのが

「苦悩の旧里はすてがたく」

という言葉です。

そうすると

「瞋忍の殊無し」

ということを不公平だと思うのは、自分が耐えてきた苦しみというものに対して、自分のそういう耐えてきた心を握りしめて

「この心は誰にも分かるものではない」

と、自分を主張する心の所為に他なりません。

確かに、わがままいっぱい自分勝手に生きてきた人も、自分のことしか頭にないのですが、必死に苦難に耐えてきた人も、結局はその根底において自分を握りしめているのですから、まさに

「瞋忍のことなり無し」

どちらも同じということになる訳です。

つまり

「私はこうなんだ」

と自負する一方、

「あなたはこうではないか」

と主張することの一番根底にあるのは、結局

「分別心」です。

それは、いつも目の前の全てを二つに分けて、自分の物差しではかろうとする心です。

日頃の自身のあり方を振り返りますと、私たちはいつもあの人はこうだが私はこうだと、二つに分け比べて、最後には

「私の方が…」と主張します。

たとえ、周りの人に向って強く主張しなくても、心の中ではそういう自分をしっかりと握りしめています。

そこには

「相手を敬い愛する」

という心は、欠片も見出すことは出来ません。

では、そのような私に、本当の意味で生きているすべての人々を敬うということは、どうすれば可能になるのでしょうか。

それは、私自身のいのちに対する尊さというものに目が開くということにおいて、初めて可能になるのだと思います。

なぜなら、自分のいのちを尊ぶことが出来なければ、他の人のいのちを敬い尊ぶことなど出来るはずがないからです。

また、他の人々を敬うことができなければ、同時に本当の意味で他の人々を愛することもできないと思います。

人間にとって、他の人々とふれあう中で、そこにお互いが敬い合い、お互いが愛し合うという協同の世界というものが、本当に願わしい世界だとすると、それは何よりも自分自身のいのちの尊さに目が開かれることが不可欠なのです。

さて、私たちは今私の人生を私が生きて行くということに、喜びを持ち得ているでしょうか。

また、自分自身のいのちを尊いものと感じることができているでしょうか。

親鸞聖人は

「念仏の教えに出遇うものは、決して空しく過ぎるような人生を送ることはない」

と言われます。

お念仏の教えに真摯に耳を傾けることを通して、私たちは初めて自分自身のいのちの尊さというものに気付き、そこから周囲の人々と敬い合い、共に生きる同朋(なかま)として支え合いながら生きることが出来るようになるのだと思います。

今、新規に携帯電話を購入する人の大半はスマートフォン(以下スマホ)です。

今、新規に携帯電話を購入する人の大半はスマートフォン(以下スマホ)です。

また、機種変更をする場合も、従来のタイプを使っている人はほとんどスマホにするようです。

おそらく、今年中には従来タイプの携帯を持っている人とスマホを持っている人の数が同じくらいになると予想されています。

そこで、このサイトも従来の携帯電話対応から、スマホにも対応するようにしました。

「今でもスマホで見ている!」

と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、従来の携帯電話対応の場合、ページの容量が小さく、そのため画像を入れたり、太字等を使えなかったりするなどの制約がありました。

それをスマホ対応にしたことで、より見やすい画面を提供することが出来るようになりました。

さらに、スマホ対応にしたことに加え、ツイッターを用いてページ更新の告知も始めることにしました。

ところで、改めてスマホとは何かというと、一言で言えば

「ミニパソコンに電話機能がついている」

といったところでしょうか。

そのため、このスマホには従来の携帯電話にはなかった、けれどもパソコンには毎度おなじみのアップデートがあります。

ところが、アップデートすると何が起こるかわからないから、

「更新のお知らせ」

の案内があっても

「スルーしている……」

という人も少なくないようです。

その理由として

「スマホをアップデートしたら、動きが重くなった」

「一日に何度もフリーズするようになった…」

などの話を誰かに聞いたことがあるからではないでしょうか。

ここで知っておきたいのは、

「スマホのアップデートには2種類ある」

ということです。

一つめはOSのバージョンアップです。

これは

「メジャーバージョンアップ」

という言い方をされることもありますが、パソコンの

「Windows7」を

「Windows8」にするようなもので、基本ソフトの更新になります。

二つめは、ソフトウェア更新です。

パソコンで言えば

「ウィンドウズアップデート」みたいなものです。

どうやら、この2つを混同している人が意外に多いようです。

実は

「アップデートしたらスマホの動きが遅くなった…」

という事例は、ほとんどがこのOSのアップデートによるものです。

新しいOSは高機能な分、CPUやメモリに高い能力が要求されます。

Androidの場合、パソコンの世界で考えると、この2年ほどで10年分くらいの変化を遂げているそうです。

そのため、2年前に購入したスマホに、最新のAndroidOSを入れるというのは、例えば買ったときに

「Windows95」だったパソコンに

「WindowsXP」を載せるようなものです。

これでは、動きが遅くなるのも仕方がありません。

新しいOSが公開されると、端末ごとにメーカーとキャリアの検証が行われ、バージョンアップに対応するか否かが決定されます。

そこで、ユーザーにしてみれば、

「対応端末である以上、新しいOSも問題なく動くだろう」

と思いたいのですが、そう考えるのはきわめて早計です。

なぜなら、メーカーもキャリアも、出荷時状態の端末に新しいOSを乗せて検証しているだけなので、それぞれのユーザーが使い込んだ環境できちんと動作するかは未知数だからです。

ちなみに、AndroidOSは昨年の年明けにそれまで主流だった2.3から、現在主流の4.0で大きく変わりました。

「2.xはスマホ専用」、

「3.xはタブレット用」、

「4.xはそれらを融合したもの」

を意味しており、まったくの別物です。

小数点以下のバージョンアップにはさほど問題ないでしょうが、2.3を使い込んでいる人が、4.0にバージョンアップするのは、率直に言ってリスクが高いと考えられます。

新しいOSのメリットは、動作が早くなったりメモリ管理の効率がよくなったりする点ですが、端末自体の能力が低いと、残念ながらこれらの力は発揮されません。

さらに、公開されたばかりの新しいOSでは使えないアプリも少なくないようです。

それを十分に踏まえての上ならバージョンアップしてみても良いかもしれませんが、単に『新しいOSのほうがよさそうだから』という理由なら見合わせるのが良いようです。

AndroidOSは約1年半の間に2.1→2.2→2.3と3回もバージョンアップを繰り返したので、ユーザーにも“なるべく新しいものが欲しい”という意識が生まれてしまったのは仕方のないところですが、私たちはOSを使うためにスマホを使っているわけではありません。

そこを間違えないで、快適なスマホ生活を楽しむようにしたいものですね。

親鸞聖人の十念思想 3月(2)

そこで、信の一念・行の一念の関係になるのですが、実はこの両者の関係の全体が行とは何かの説明になっているのです。

いったい、行と何なのでしょうか。

それは

「本願の名号を一声称えて、往生すと申すことをききて、一声をもとなえ、十念をもせん」

ことで、この全体の行為を行というのです。

つまり、

「行」

というのは阿弥陀仏の本願の働きであり、一声名号を称えよという勅命です。

その

「名号を称えよ」

という弥陀の声を聞いて、私たちは念仏することになるのです。

そして、その聞いた瞬間が信の一念ですから、

「一声念仏せよ」

という声を聞き信じて、一声念仏するその全体がまさしく阿弥陀仏の行の働きによってなさしめられているということになります。

したがって、衆生の信の一念も行の一念も、すべて阿弥陀仏の働きによることになるのですが、ここで重要なのは、その働きの根源にある

「一声名号を称えて往生せよ」

という行の一念になります。

私たちが一声名号を称えるということは、その勅命を信じて称える一声になるからです。

だからこそ、行の一念・信の一念の全体が、阿弥陀仏の働きとして示されることになるのです。

それは、行も信も阿弥陀仏の働きそのものだということです。

ところが、今日私たちはその行信の関係を人間の側からとらえてしまっています。

宗学の

「十念誓意」

「行の一念」

がそうですが、そこでここの文もまた

「信心正因・称名報恩」

の義で理解してしまうのです。

けれども、ここで親鸞聖人はそのようなことを述べておられません。

行の一念と信の一念、これらは二つであるが離れないといわれます。

離れないというのは、

「名号を一声称えよ、往生せしめる」

という声を聞くということですから、私たちが阿弥陀仏の本願の勅命を聞くその瞬間に、阿弥陀仏の大行と私の心が離れないで成立しているということです。

信じてから念仏を称えるということは必然の道理ですから、そこに不離を考える必要はありません。

浄土真宗では

「信心正因・称名報恩」

を説いて、真実の信心を得た者は、必ず報恩の称名を称えよと、信心と名号の不離を強調し、一生懸命その道理を説法するのですが、それはある意味では無意味なことです。

たとえば、信心をいただいたという人がいて、もし名号を称えないのなら、それは未だ信心をいただいていないだけのことだからです。

信心をいただけば、必然的に名号は称えられるのです。

したがって重要なことは、阿弥陀仏の名号を信じることであり、阿弥陀仏の働きをいかに聞くかということになります。

だからこそ、行と信とは離れては成立しないのです。

教義として西本願寺の場合は、法の全体を阿弥陀仏の働きで解釈する

「法体大行の義」

を非常に大切にしています。

ところが、そのように解釈しながら、しかもその阿弥陀仏の働きを、私が称えるというところで捉えてしまっています。

このため、行信の問題が非常に観念論的になってしまうのです。

私がここにいて、向こうにある阿弥陀仏を常に眺めているようなことになってしまっているのです。

「阿弥陀仏が本願を起こし、名号と法体大行によって、私をお救いになる。

私たちは、その信ぜしめ行ぜしめている阿弥陀仏の本願を喜び報恩の念仏を称える」

このように、行信の問題が客観的に静的にとらえられているのが、伝統の宗学のあり方だと言えます。