投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

『本当の豊かさとは足るを知ること』(後期)

果てしなく貪り求める心は、満足できないということですから、そのような心からき

「足るを知る」

という思いは出てきません。

現代という物が豊かで、便利で、快適な時代に身を置いて生きている私たちの心の中は、果たして

「足るを知る」

という生活につながっているでしょうか。

563年前、室町幕府の管領として権勢を振るい、応仁の乱の東軍総大将でもあった細川勝元が建てた禅寺の

「石庭」

で有名な京都竜安寺があります。

15個の石を無造作に5カ所に配置した枯山水の庭です。

石は15個置かれているのですが、どの角度から庭を眺めても14個しか見えないように設計されていることで有名です。

ただし、一箇所だけ15個すべてが見渡せる場所があるのだそうです。

その竜安寺の茶室の入り口に

「知足(ちそく)の蹲踞(つくばい)」

と言って、手や口を清めるための手水(ちょうず)をはっておく石があります。

丸石の中央に水を溜める口の字があり、

「吾唯知足(われ・ただ・足るを・知る)」

の4文字が刻まれています。

これは、たとえ石庭の石が14個しか見えなくても、不満に思わず足る心を持ちなさいという仏教の教えを、水戸光圀公(水戸黄門)が石に刻んで寄進したと伝えられています。

物の氾濫する時代を生きる私たちですが、果たして満ち足りた思いの中で生活しているでしょうか。

もしかすると、まだ足りないと言いながら、不足の思いの中で日々の生活を繰り返して生きてはいないでしょうか。

冷蔵庫の中はどうなっていますか。

最小限必要なものがあれば、それで良いですか。

それとも、せめて半分くらいは埋まっていないと不満ですか。

あるいは、冷蔵庫の中は、常に物が満ちていっぱいでないと安心できませんか。

冷蔵庫の中が常にぎっしりと詰まっていると、いったい何を入れたのか忘れてしまうということがあります。

しかも、その揚げ句に食材を腐らせてしまうようでは

「不足の生活(足るを知らない)」

になっていると言われても返す言葉もありません。

「足ることを知る生活こそ、本当の心豊かな生活と言えるのではないでしょうか。

5回目の・・・

5回目の・・・

いい加減…と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが^^;

今回も東北ボランティア報告をさせていただきます。

まず始めに、以前より公言しておりました

「寿司リベンジ」

ですが、やっと!!やっと!!成功しました。

3月に東北を訪れた際、どうしても行きたかった宮城県名取市の仮設商店街

「さいかい市」

に開店したばかりのお寿司屋さん。

昼食にと、3日間訪れましたがランチタイム終了、シャリ切れ、店休日という理由で3回ともフラれてしまったという悲しい思い出のあるお寿司屋さん。

6月に訪れた際は、名取市方面への活動に参加することがなく行けず仕舞いでした。

今回はどうかな…と思って東北へ向かったところ!!

東北へ着いた翌日に行くことができました。

さいかい市は、名取市閖上(ゆりあげ)で事業をされていた方々の店舗の入っている仮設商店街です。

閖上地区は質・量ともに

「日本一」

と称されている赤貝が水揚げされている地域ですが、甚大な被害を受けた地域でもあります。

しかし現在は、赤貝の漁も再開されており、再び

「日本一」

の赤貝を食することができます。

もちろん私も

「赤貝を食べたい!」

という思いで向かいました。

メニューを見ると、握りの松・竹・梅。

そして海鮮丼の文字が…どちらも気になる!!

「どっちにしよう」

と考えていると

「海鮮丼の方がお得だよ!!」

と大将の声。

当然のことながら海鮮丼にしました。

海鮮丼に、お味噌汁に、

「サービス!!」

と赤貝のひもまで。

じっくり味わっていただくつもりだったのですが、あまりのおいしさと、念願のお寿司屋さんに行けた嬉しさで、勢いよくいただいてしまいました…(>_<)

今回は、写真や賞状等の洗浄を行っている団体でのお手伝いもしてきました。

津波にのまれたアルバムを、地域ごとに分け、一枚一枚アルバムから写真をはがしていく。

写真を傷めないよう、砂やヘドロ等を落とす。

その後は、専門の方々により写真の復元を行う。

そして復元された写真を被災された方々にお返ししていく。

写真を扱う作業ですから、当然写真の光景を目にします。

結婚式での写真、幼稚園入園式の写真、飲み会の写真等々…一枚でも多く持ち主の元に戻ってほしい…とただただ願うばかりです。

閖上さいかい市場

http://natori.in-shoko.com/saikai_ichiba/

行ったことのあるお店

  • 若草寿司(今回訪れたお寿司屋さんです)
  • 鮮魚とみ田(鮮魚がズラリ!!たくさん購入しても結構リーズナブル)
  • 匠や(お総菜屋さん。しらす丼と、はんぺんツナフライおすすめです)
  • 佐々木酒造店(震災復興酒「閖」を以前購入し、祖母の法事のお供物にしたことがあります^^; 法事のあとは、皆でおいしくいただきました)

震災復興ボランティア団体「おもいでかえる」

http://www.omoide-kaeru.com/

津波復興支援センター(旧:岡田サテライト)

http://flat.kahoku.co.jp/u/volunteer16/

親鸞聖人の思想と宗学

真宗学において、私たちの一番の関心事は、信心を得るということです。

したがって、真宗教義の根本は、すべて信心の問題であるとも言えます。

自力の心は強く戒められますので、どのようにして自力の心を自分の心から除くかということが問題になります。

そこで、どうすれば真実の信心が得られるかを、一生懸命に求めることになります。

そして、信心を得た人はその喜びを語り、私はこんなに信心を喜んでいる、他力の信心を得なさいということを説きます。

したがって、人々の関心は、信心を得たらどのような喜びを得られるのかということに集まり、信心の得た人はどのような人生を送るのかと、信心のあり方を問うことになります。

あるいは、信心を得ている人の心の状態を問題にしたりします。

ここで、

「行巻」

の称名を問題にします。

「行巻」は

「謹んで往相の廻向を案ずるに大行有り大信有り。

大行とは則ち無碍光如来の名を称するなり」

という言葉で始まります。

往相廻向の行とは、阿弥陀仏が私たちを救うために回向される行の意味です。

私たちを往生せしめるために、阿弥陀仏が私たちに行を回向するのです。

それを往相廻向の大行というのですが、その往相廻向の大行とは何かが、今問題になっています。

このことについて親鸞聖人は、それは無碍光如来の名を称えることだと述べておられます。

いったい、阿弥陀仏が私たちを往生させるために、どのような働きをしているかということで、これが阿弥陀仏の大行の問題になります。

この大行を親鸞聖人は、私たちに対して念仏としてあらわれていると理解されます。

私たちが称えている念仏がまさに、阿弥陀仏の大行そのものであると理解されるのです。

「南無阿弥陀仏」

という念仏は、阿弥陀仏が私を往生せしめる行であって、念仏を称えているそこに阿弥陀仏の働きがある。

これが、

「行巻」

冒頭の意味ですが、この言葉こそ釈尊の私たちに対する説法の内実になります。

諸仏称名の行として、釈尊が

「あなたが今称えている南無阿弥陀仏は、阿弥陀仏の声であって、その念仏あなたを往生せしめる大行である」

と語られているのです。

そこで、この称名を私たち衆生の行為だとして理解しますと、親鸞聖人が

「信巻」

の大信海釈の中で述べておられる

「行に非ず善に非ず…多念に非ず一念に非ず…」

ということになります。

『歎異抄』でも同じことが言われていますが、その念仏や信心は、行者にとっては非行・非善である。

行でもないし、善でもないと表現されます。

なぜなら、この大行は、阿弥陀仏の救いの働きを意味しているのですから、この行を人間の行為性としてとらえることは、絶対にしてはならないのです。

ところが、真宗教学では、この大行としての称名を、人間の行為性の中でとらえています。

もちろん、この称名を名号と解釈して法体大行だととらえるのですが、同時に称えている自分をも問題にするのです。

「行巻」

の最初の称名を、阿弥陀仏から回向された大行だととらえることは良いのですが、それ称名を自分の行為として見ると、直ちにこの念仏は信心を頂いて念仏でなければならないと錯覚してしまいます。

そのため、伝統の宗学では

「行巻」

の最初から既に絶対に動かせない義として、信心正因・称名報恩の義が説かれることになるのです。

『教行信証』は、親鸞聖人が人々に対して、浄土真宗とは何かということを明らかにされた著述です。

最初に総序があり、教巻・行巻・信巻・証巻・真仏土巻・化身土巻、最後は後序で結ばれています。

この全体で、浄土真宗とは何かということを教えておられるのですが、その全体の思想を一言で言うと、

「信心正因・称名報恩」

である蓮如上人は述べられます。

したがって、親鸞聖人が『教行信証』の全体で、

「信心正因・称名報恩」

ということを語っておられるということについては、まさにその通りであると考えて良いと思われます。

ところが、

「教巻」

冒頭の

「謹んで浄土真宗を案ずるに二種の廻向あり」

の文から以下、その全ての一つ一つの文について、これは

「信心正因・称名報恩」

の意だといっても、それはあまり意味はありません。

そこで

「行巻」

の最初の称名の問題になります。

「大行とは則ち無碍光如来の名を称するなり」

この称名を宗学では、

「信心正因・称名報恩」

だと解釈しているのですが、果たして親鸞聖人はここでそのようなことを述べておられるのでしょうか。

大行の意を明かそうとしておられる親鸞聖人の意図が、それでは消されてしまうことになります。

『教行信証』の根本義が、

「信心正因・称名報恩」

だからといって、最初の一行から最後の一行に至るまで、全て

「信心正因・称名報恩」

の義で解釈しなければならない、常にこの義を語らなければならないという考え方は、やはり疑問です。

「自分の老年期を考える」(下旬)目玉が動いたよ

私たちは、意識はないけど

 「父ちゃんが頑張っているから」

 「じいちゃんが頑張っているから」

 と言って、看病します。

 ちょっと痙攣しただけなのに

 「笑ったみたい」

 とか、目がちょっと動いたら

 「目玉が動いたよ」

 と、私たちは一生懸命意識のない人を看病するじゃあないですか。

 この人は、いなくなったからといって、もう一回再現することは出来ませんものね。

 そのぬくもりに触れることもできないし。

 そう考えると、生きる営みをしていらっしゃるということは、そもそも外に向って生きているってことなんです。

 外からの何かに対して反応を示す。

 だから内にこもってはいないわけですね。

 人に対していろんなことを発信しているんだと。

 そうい意味では、黙っていてもそこにいらっしゃる、存在しているということが、この人を発達させているんだということです。

 老年者観と言いますのは、私が私であるように、他人もそれぞれその人自身であるわけですから、対等な関係で、差別のない関係を持たないといけない。

 これは絶えず身に付けていないと時々出るんですよね、ぽろっと。

 そういう化けの皮が剥がれないような本物にならないといけないと思います。

 そうなると、少し楽になるんですよ。

 大変な状況にある人を見て、それだけでその人を判断するんでなく、全体論的に見て介護をするということが大事な基本ですね。

 次にお年寄りに多い障害の介護方法です。

 人はある年齢に達すると、おもらしがあったりします。

 老年期というのは、このようにやむにやまれない障害が出てきます。

 介護とは、そういう障害一つひとつをこなしていく役割です。

 私たちの役割であり、老年者の課題です。

 そういう課題を乗り越えるために悲しい目にもあいました。

 恥じもかきました。

 汗もかきました。

 しかし、老年者は、このようなことを積み重ねて、その課題を乗り越えてこられた方ですから、とても偉大な人だと思います。

 だから、傷つけないようにちゃんとケアしてあげる。

 痴呆になったときもそうです。

 ブツブツ言ってやったら倍になって返ってきます。

 傷つけないように手早くケアをする。

 繰り返し何遍も同じことを。

 そしたら必ず良くなってきます。

 いろんな変化に対して、生きていかないといけませんけど、その一つひとつを乗り越えることが発達して、生きているということです。

 学生たちに老年者のイメージを書かせますと、何割かは

 「おじいちゃん、おばあちゃんのイメージは、お小遣いをくれる人」

 と書きます。

 でも、一方では非常に尊敬の念、敬意を持っています。

 だから、老年者も真剣に自分たちの生きた時代のことを語り継いでいかないと、今の子どもたちがかわいそうです。

 教える人がいなくって…。

 一番素敵に年を取るための基盤は、やはり家族です。

 家族は、社会の一番小さな単位ですから。

 たまには、お孫さんと接触をして、私たちの老いの姿をそのまま見せてあげないと、そして教えてあげないといけないのではないかと思います。

 

小説 親鸞・紅玉篇 2月(7)

やがて、玄関のほうで、

「箭四っ、箭四っ」

と呼ぶ声がした。

箭四郎は、曲者の七郎を、裏門からそっと放してやったところだった。

「はいっ」

駈けてゆくと、玄関の式台には、範綱が直垂を改めて立っていた。

「馬をっ――。

急いで」

「はっ」

箭四郎は、厩から馬を曳きだしたが、病気と偽ってひき籠もっている主人が、何でにわかに外出を思い立ったのか、そしてまた、世間の耳目にも憚りはないのかと、ひとりで危惧していた。

「いそげよ」

門の外へ出ると、範綱は、鞍の上から再びいった。

あぶみの側へ寄って、馬と共に駈けながら、箭四郎が、

「お館様」

「なんじゃ」

「世間へ仮病が知れても大事ございませんか。

裏道を通りましょうか」

「それには及ばん」

「して、お行く先は」

「仙洞――」

さては参内であったのかと彼は初めて気がついた。

仙洞というのは、後白河法皇の離宮である院の別名なのである。

六条からそう遠くはない。

しかし本道の五条大橋を越えてゆくと、橋の東に小松殿の薔薇園があり、その向い側には入道相国の六波羅の北門ずあって、その間を往来するのはいつも何となく小気味がよくないし、肩身の狭い気がするのであった。

わけても、今日は主人が何かつよい決心を眉宇(びう)にもって、にわかに参内するらしい途中でもあるので、箭四郎はいそげといわれながら、道を迂回して、三条の磧(かわら)から仮橋を越えて、十禅師の坂へかかった。

「箭四」

「はい」

「きょうは、たしか二日じゃの」

「六月二日でございます」

「…………」

範綱は、時刻を考えるように、陽を仰いだ。

陽はずっと加茂川の末のほうへ傾いている」

「駈けるぞ」

一鞭あてると、箭四郎は坂道にとり残された。

やっと、追いついてみると、もう仙洞御所の東門に、主人の姿はそこにはなかった。

範綱は、院の中門へ、駈けるように急いで行った。

そして、

「あっ……」

と、立ち(たち)竦(すく)んでいる。

北の中門の外に、お微行(しのび)の鳳輦(くるま)が横づけになっているではないか。

法皇葉、ひそかにお出御(でまし)になろうとしている。

いずこへ?それは範綱には分かっていた。

六月二日の参会というのことは、いつか多田蔵人の口から聞いていたのである。

それを思い出したれば急いで来たのであるが、ここへ来るまでは、よもや、法皇がいつかのお言葉をひるがえして、新大納言や北面の不平武者にそそのかされて、そんな会合へ敢てお微行(しのび)をなさろうなどとは、十中の八、九まで、ないことと信じていた。

けれど、事実は、範綱の正直な考え方とはあべこべだった。

やがて、薄暮のころになると、武者所の人々がひそかに支度をととのえて、法皇の出御をうながした。

範綱は、樹蔭に身をひそめて、そこの動静を、じっと窺っていた。

友引にお葬式をしてはいけないのですか?

友引は「友を引く」と書きますので、

その日に葬儀をすると死者がこの世の人(友)を引っぱり、さらに死人が出るのでは、という思いからその日は葬儀を避けたほうがいいとお考えになる方がおられるかもしれませんが、それはたわいもない迷信にすぎません。

ただの文字の連想であり、仏教的には何の因果関係もありません。

しかも「友引」とは、日の吉凶を占う「六曜」の一つなのですが、

本来は「友引」ではなく「共引」であり、

意味も「共に引き合って勝負なし」

すなわち

「良くも悪くもない」ということなのです。

したがって気にする必要は一つもありません。

そうは言っても、親戚など周りの人を気遣い

「皆が嫌がっていることを無理にしなくても……」

と思われるかもしれませんが、これも心情的にはわからないでもありませんが、よく考えるとやはりおかしいと言えるでしょう。

つまり、たとえ間違っていると思っても、

「皆がするから自分もする」という理屈になります。

すなわち自らの意思判断の放棄であります。

その他にも葬儀には、実に様々な迷信や俗信があり、それらは世間的に深く浸透しています。

これらは、「死は穢れ」という考え方から起こったものです。

しかしどれほど死を穢れと扱ったり、遠ざけようとしようとも、紙に必ず表と裏があるように、生と死は表裏一体、私にとって避ける事の出来ない大事な問題です。

葬儀という身近な人の死という現実の中で、死という事実を静かに受け止め、深く考え見つめていく事が、今、生かされて生きている私の責任であり、人間としての大切な生き方であると仏教は教えてくれます。

何の根拠もないことに身を煩わせ、振り回されるのでなく、お手次ぎのお寺のご住職と相談をされるなど、

「聞法」を中心とした中でともに考えていけたらと思います。