投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

「自分の老年期を考える」(中旬)衰退するけれど

こんな生き方の理論があるんです。

まず、活動理論といって、元気なうちはずっと働いて、そしてお亡くなりになる。

次に離脱。

老年者観に関係あるんですが、離脱というのは後輩に譲ってご隠居する。

定年制賛成という方ですね。

三番目は連続理論。

これが大事なんです。

仕事を続けるとか続けないとか、それは生れてから今までいろんなことを築いてきたその人自身が決めることです。

ですから、仕事を続けていきたい人は仕事してもいいし、仕事をやめたい人は仕事をやめても構わないんです。

生きているということをちゃんと実感して生きればいいんです。

そして、身体は衰退するけれども、年を取るからといって成長・発達をしないということはありません。

人間は、ずっと連続して発達し続けているのです。

そして、みんな、より良く生きたいという発達の過程にあるんです。

このとらえ方です。

こう考えた時に、憎しみとか、この人だけは面倒みたくないとか、この人には看てもらいたくないという感情が引いてくるんじゃないかと思うんです。

昨日よりも今日はいい日でありますように。

せめて昨日も無事だったから今日も無事でありますように。

このような考え方は、時には老年者の自立となります。

生活が自立し、人に頼らないようになる。

また、時には依存にもなります。

「ちょっと腰が痛いから、雨が降ってるからあんた行ってくれんね」

と…。

この自立と依存を使い分けながら、私たちは動いております。

ただ、極端に自立しようと頑張らなくても、自分の人格を発達させているんです。

この人格は他人に変わることが出来ません。

だから、人格を大事にしてあげないといけないんです。

このことをきちんと押さえておかないと、差別意識を持ったり、お金持ちの人にペコペコしたりするんです。

そして、自分自身は自分だということも、しっかり持っておかないといけないと思います。

また、全体論的見方と言いますが、誰々の知り合いとかお友だちとか、生きている間にどんどん膨らんでいきます。

それ全体がこの人なんです。

その人の生きざま。

その全体をひっくるめて対等に介護をするから、すごく学びになるということです。

老年者観というのを全体論的な視野で見るんですね。

全てをひっくるめて見るということです。

若いときからそんなに考えなくてもいいけど、ただ自分の人格を発達させながら、こんなの人格の発達も成し遂げてずっと生きているんだと。

以前この話をした時、施設で働いている看護士の方だっと思いますが、

「意識がなくて、注入食を入れている人も人格があるんですか。

発達してるんですか」

と聞かれたことがあります。

さて、何と答えようかと思いましたが、私はあわてることなくアドリブを利かして、すぐ

「はい、あります。

さっき人格はあなた自身のものですから変わることができないと言ったけど、意識のない人も周りの人に影響を与えながら生きているわけですよね。

だから、周りの人たちにとって、その人は非常に大事な人なんです」

と答えました。

小説 親鸞・紅玉篇 2月(4)

意地になって、蔵人はそれから後も、たびたびやって来ては、厩(うまや)牢(ろう)の曲者を拷問した。

曲者の体は、そのために業病のように腫れあがって、やぶれた傷口は柘榴(ざくろ)の如く膿み、そこから白い骨が見えるほどだった。

「ころせ」

曲者はいった。

そしてまた、打てば打つほど、あざ笑って、

「これくらいに折檻で、口を割るような男に、なんで大事な役目を主人が申しつけるものか。

無益なことをせずに、ひと思いに、この首を落とせ」

むしろ自分の克己心を誇るかのように彼は屈しなかった。

ついには、蔵人の方が、根気も尽き、不気味にもなって、だんだん足が遠くなっていた。

六月に入った。

葉ざくらの葉蔭に、珊瑚(さんご)いろの赤い実が、陽に透いて血のように見える。

熟れきった桜の実は、地にもこぼれていた。

十八公麿は、それを、小さな掌にひろい集めていた。

すると、裏庭の奥で、

「和子様――」

と、誰か呼ぶ。

「和子様……」

何度目かの声に、十八公麿はやっと気がついたように、無邪気な目をやって、辺りを見まわした。

誰も、人影はなかった。

だが、やや脅えたらしい童心は、急に、白昼(まひる)の庭の広さが怖くなったらしく、あわてて、館の方へもどりかけた。

と――また、

「和子様、ここですよ」

「?……」

十八公麿はふりかえって、じいっと、厩牢の中にみえる人間の影をふしぎそうに見つめていたが、やがて、怖々(こわごわ)と寄って行って、

「おまえは、誰?」

「わたくしは、お館にしのび込んで捕まった曲者ですよ」

「曲者さん?」

「名まえではありません。

いわゆる曲者です。

けれど、和子様には何も悪いことはしませんから、安心して、少しここで遊んで行ってください」

「?……」

「わたしは、淋しくてたまらないのです。

いま、和子様のすがたを見たら、この胸が張り裂けるようになりました。

私にも、ちょうど和子様ぐらいな子があります。

また私の御主人の息子様も、和子様よりすこし年上ですが、やはり無邪気な少年です」

「曲者さん、おまえは、どうしてこんな所へ入っているの」

「忠義のためです」

「忠義のためなら、よい侍と皆が賞めてくれるでしょう」

「そうは行きません、味方に忠義な侍は、敵にとれば憎むべき悪魔に見えます」

「では、曲者さんは、悪魔なの?」

「ここに捕われている間は」

「外へ出れば」

「善人です。

少なくとも、悪人ではありません。

その証拠には、和子様は私とこうして話していてもちっとも恐いことはないでしょう。

あなたに危害は加えませんから……」

「初めは、怖ろしかったが、もう何ともないよ」

そういって、その言葉を証拠だてるように、十八公麿は、牢の隙間から掌を差し入れて、

「曲者さん、桜んぼを、上げようか」

小説 親鸞・紅玉篇 2月(3)

それ以来、範綱は、病気といって引き籠もっていた。

一室に閉じ籠もっていても、世間の物音は、ごうごうと、聞こえてくる。

(また、山法師の強訴じゃ)

(白山の僧が、神輿(しんよ)をかついで、延暦寺へ押しかけたそうな)

そんな噂は、もう珍しくもない。

政治好きな法皇でさえ、山門政策には手を焼かれ

(双六の賽(さい)と、山法師ばかりは、朕の心のままにならぬ)と、嘆じられたという。

その僧徒たちが、示威運動をやったり、延暦寺の座主が、そのために流されたり、院の政務も、洛内も、騒擾(そうじょう)を極めていたので、新大納言一派の暗躍も、五月中には、ついに、法皇へはたらきかける機会がなくて、過ぎてしまった。

範綱は、ひそかに、

(いずれも、一時の不平の寄り集まりじゃ、このまま、自壊してしまうかもしれぬし、そうなれば、かえって法皇のおんためというものだが)近ごろ、どことなく鬱結(うっけつ)しているものが、院のほかから炎を噴いて出ることが祈られた。

だが、最初に、密使としてここへ訪れた多田蔵人は、洛中の騒擾にまぎれて、あれからも、しきりと一人でこっそりと訪(や)ってきた。

「――お不快なそうじゃが、だいじにせられい。

いやなに、たってお目にかからいでもよろしい。

拙者は、お預け申してある平家の謀(まわ)し者めを、調べて立ち帰る」

そういって、家人に裏庭へ案内をさせた。

いつぞやの雨の夜、大騒ぎをやって捕らえた曲者(くせもの)は、一時、納屋へ押し籠めておいたが、家人が物を出し入れするごとに不安だし、もし逃げられて、六波羅へ、あだ口をきかれたらばお館の御運命にもかかわるといって、箭四郎が、急ごしらへの牢を作った。

空いている厩へ、材木を立てて、その中へ抛(ほう)りこんでおいたのである。

「見るからに、強情そうな面がまえよ。

きょうこそ肉をたたき破っても、口を割らせてくれるぞ」

蔵人は、牢の外から宣言して、曲者を、縄目のまま、外へ出させた。

馬を打つ革鞭を持って、

「こらっ、下司」

「…………」

「六波羅のまわし者とは分かっているが、誰にたのまれたかっ。

何を探れと、いいつけられたのか」

「…………」

「いわぬかっ」

ぴしいっと、鞭が一つ鳴る。

「ぬかせっ」

「…………」

「ぬかさぬかっ」

二つめが唸る。

鞭のうなるたびに、曲者の顔に赤いすじが一つずつ腫れあがった。

そして、しまいには、紫いろになり、耳や、唇や、いたる所から、血しおが流れた。

「ううーむ……ううーむ……」

ついには、大きなうめき声と、鞭の音とが、根くらべをするだけであった。

蔵人は、精をきらして、

「よしっ、きょうはこれで、帰るとするが、また来るぞ。

生命が惜しくば、口をあくことだ。

考えておけ」

いいすてて、帰ってしまった。

館の者たちは、眼をふさぎ耳をふさいでいた。

しかし、こんな程度のことは、今の京洛(みやこ)の内には、ざらに行われていることだ。

見馴れている蔵人などは、まだまだ手ぬるいと思って帰った様子なのである。

小説 親鸞・紅玉篇 2月(2)

「ゆうべの使者から、あらましのことは、お聞き取りと思うが――」

浄憲の眼は、しきりと、廻廊や南苑の人影へうごく。

人が来ないとみると、小声で、早口にことばをついで、

「どうじゃ、何とみらるる、平家の暴状、癪(しゃく)ではおざらぬか、忌々(いまいま)しゅうは思われぬか、小松重盛を左大将に、これは、まあ我慢もなるとして、その次男坊の宗盛――木偶に冠じゃ――猿に履(くつ)じゃ。

それを一躍、徳大寺や花山院の諸卿をとび超えて、右大将に任ずるとは、なんと、阿呆(あほ)らしい――」

白馬が、遠くでいなないた。

浄憲は、眸の小さい眼で、ぎらりと、あたりを見た。

「――この手で、まだまだ、勝手気ままに、清盛入道は、叙位除目を私するじゃろう。

おそれ多いが、お上(かみ)も、あるやなしの振舞、いわんや、我々輩をや」

「……ちと、今日は館に、約束の客も待たしてもあれば」

「まあ」

と、浄憲は、範綱の袖をとらえて、

「それと、これとは、事の大きさが違いましょう。

貴所も、院の御信任あさからぬ臣下の御一名ではないか」

「こういう所では」

「いや、改まった場所では、すぐ、平氏の者がうるさい。

……ではご一言、伺っておこう。

新大納言のお考えに、そこもとは、ご加担か、お断りの肚かを」

「今は、申しかねる」

「二心おもちか」

「いや」

「さなくば、仰せられても、さしつかえおざるまい。

かほどまで、平家の門葉にばらに蹂(ふ)みにじられ、無視されても、腹のたたぬやつは、うつけか、畜類でおざろうぞよ」

「…………」

「法皇とても、おなじお気持でいらせられる。

御気しきにこそ出されぬが、お憤りはどんなにか、鬱積(うっせき)していらるるのじゃ。

そものうては、新大納言はじめ、われらどう歯ぎしりしたところで、うごきはせぬ。

……」

「…………」

「加盟にお拒みあることは、せんずるところ、法皇の御意にそむき奉ることにもなる……それでも、ご不承か」

「考えておきます」

「ゆうべも、そう仰せられたままと聞く」

「大事の儀は、大事に考えねば、ご返答はなりませぬ」

「賢いの……六条どの」

「さようか」

「ふ、ふ、ふ、ふ」

浄憲法師は、嘲(あざ)むがごとく笑って、ついと、背を向けた。

「では、いずれ再度――」

すたすたと奥へ衣さばきを切って行った。

ほっと、虎口をのがれた気もちである。

範綱は、誰にも会いたくない気がして、いそいで、院の門を出た。

車寄せには、誰彼の参内の諸卿の牛輦(くるま)が、雑鬧(ざっとう)していた。

舎人や、牛飼たちが、口ぎたなく、陽あたりの下に争っている。

「箭四郎、箭四郎」

供待ちへ、こう呼びたてて、範綱は、あわただしく牛輦の裡へかくれた。

そして、揺られてゆく途々(みちみち)に、ふとまた、不安なものを感じてきた。

法皇のおことばに、もしや表裏があるのではないかという点だった。

浄憲法師には浄憲へいうように、また自分には自分に対して下されように、扱(あし)らわれているのではないかという疑念である。

なぜならば、策士にかこまれている法皇御自身がまた、ひとかどの策略家でいらせられるからであった。

『本当の豊かさとは足るを知ること』(前期)

「知足者富」

とは、

「足るを知る者は富む」

という老子の言葉です。

また、英語にも

「A contented mind is aperpetual feast.」

満足は永遠のごちそうである、ということわざがあります。

「本当の豊かさをとは、足ることを知ること」

とは、つまり世界共通の思いなのです。

私たちは、豊かさを経済力で計りがちです。

例えば、20万円の月収を得ている人は、50万円の月収を得ている人の方が、豊かに違いないと思います。

一方では、それは正しいことかもしれません。

しかし、50万円の月収を得ている人が

「100万円の月収を得ている人の方が豊かに違いない。」

と思っていればどうでしょうか。

得られる月収の金額に違いはありますが、さらに高給をもらう者をうらやむ気持ちで苦しんでいる姿には変わりありません。

20万円の給与だろうと、50万円もらおうと本質的な豊かさには結びついていないのです。

私の友人に、変わった者がおります。

その友人は、大企業で勤務しており、私からみれば高給取りであり、福利厚生もしっかりしており会社の将来にも不安のない、うらやましい限りの生活をしておりました。

しかし、その友人は、昨年、その会社を辞めてしまいました。

今は、沖縄の田舎で、夫婦で小さな雑貨屋さんをしております。

まだ、お店も軌道に乗るにはほど遠く、サラリーマン時代の貯金を切り崩しながらの生活だそうです。

私からすると、なんともったいない、と思うのですが、その友人夫婦は、そんなことは意にも介せず楽しく過ごしているようです。

友人曰く、以前は、朝の満員電車通勤から始まり、上司との軋轢、顧客とのトラブルなど多くのストレスを抱えながらの生活で、不満不平の毎日だったそうです。

また、自由な時間も少なく、お金も高級マンションの家賃と外食ぐらいしか使いようもなかったと愚痴っておりました。

それに比べ、現在は、まだお客も少なく、夫婦で話をする時間も増え楽しく過ごせている、これが幸せというものかな、と語っておりました。

有り余るお金や物による豊かさも、確かにうらやましく思うものです。

しかし、一方で、使い切れないものを追い求めていても切りがないことも確かです。

私たちは、生きていく故で必要なものとは限られています。

例え、多くの部屋のある家に住んでいても、すべてを使って生活することはありません。

やはり、本当の豊かさとは足をしることなのでしょうね。

あなたは、今、豊かですか。

仏壇を購入したら、御本尊様をついてきました。そのまま拝んでも良いですか?

 お仏壇を購入された際に、仏壇店にて御本尊も一緒に求められる方がいらっしゃいますが、御本尊は仏壇店で求めるのではなく、ご本山からお受けします。

 仏壇を購入する際にはその旨を仏壇店に告げ、同時に、購入したお仏壇に合う御本尊の大きさを尋ねるとよいでしょう。

 御本尊の大きさは

 「三十代」とか

 「五十代」

 というように代(だい)で表わします。

 実は、お仏壇は元来、御本尊のこうした大きさに合わせて造られてあるもので、

 「三十代のお仏壇」

 というように言い、これは

 「三十代のご本尊」

 用のお仏壇だということです。

 ご本尊の大きさがわかればその旨をお手次のお寺に伝え、そちらを通してご本山からお受けすることとなります。

 なお、冥加金など詳しいことはご住職にお尋ね下さい。

 ちなみに御本尊には、木像・絵像・名号の三つのお姿があります。

 いずれも阿弥陀如来さまの真実の智慧と慈悲が、私のために形となって現れてくださったお姿であり、お掛け軸の裏に

 「方便法身の尊形」

 という言葉が書かれているのはそのような意味からであります。

木像・絵像のお姿はその右手に召喚のお心、

「真実の世界にかえってこいよ」

 という願いを表わし、その左手は摂取のお心、

 「どんなことがあっても必ず救いとるぞ」

 との願いが込められています。

 ですから単なるお姿ではなく、阿弥陀如来さまの願いとはたらきを表わしています。

また名号(南無阿弥陀仏)も、

「この私にまかせよ(南無)、必ず救う(阿弥陀仏)」

という阿弥陀如来さまの尊いお心表わしています。

形になって現れてくださったお姿を通して、その阿弥陀如来さまの信(まこと)のお心をいただき、そのお徳を讃え、感謝のお念仏(南無阿弥陀仏)を称える身とならせていただく事が大切であります。

なお、木像の御本尊の場合には、前述いたしましたようなお姿をされているかという

「木仏点検」

を本山で受けなければなりません。

そのような事もあり、ご家庭においては絵像・名号の阿弥陀如来さまが一般的ですが、いずれにせよ安易に仏壇店などで求めるのではなく、お手次のお寺に御相談の上、必ず本山からお受けになり、入仏法要(ご本尊をおむかえする時のご法事)などを通して、しっかりとおいわれを聞かせていただくようにしましょう。