投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

年に2回のペースで、コラムを執筆しているのですが

年に2回のペースで、コラムを執筆しているのですが、今回が7回目の

「お気楽コラム」

になります。

実は…、毎回、原稿提出の締め切りに追われています。

コラムが掲載される

「前の月の25日までに提出」

ということは分かっているのに、なぜか毎回慌ててしまいます。

提出したときには、“次回は、早めに書こう”と思うのに、いざ自分の担当の番になると、“まだ大丈夫”となって、毎回同じようにギリギリになってしまう私。

そういえば、学生時代の夏休みの宿題なども、最後に慌てて済ませていたような…。

「うーん、変わってないな」

と、思います。

担当月はスケジュールが組んであり、いつ書くのか分かっているのですから、早めに取りかかっていれば、文章をじっくり練って書いたり、その後も見直して書き加えたり、修正したりすることもできるのですが、つい先延ばしにして書くため、提出するだけで精一杯になってしまいます。

先延ばしにしても、期限は必ずやってくるので、バタバタしてしまうからです。

先日、ラジオを聞いていると、

“時間は待ってくれない、できることは今やろう”

と、受験生に向けたメッセージが流れていました。

それを聞いて、既に受験生ではない今の私にも、まさにピッタリのメッセージだと感じたことです。

「これからは、余裕をもって執筆していこう!」

今回もまた、そう思うのですが、果たして早々に原稿を送った後に、

「あの頃の自分は…」

と、今の自分を振り返る日が来るのでしょうか。

きっと来ることを信じたいものです。

親鸞聖人の十念思想 本願の三心

そこで今度は、第十八願には十念の他に

「至心・信楽・欲生」

という三心が誓われているのですが、阿弥陀仏が本願に誓われている三心とはどのような意味かということになります。

このことについて、親鸞聖人はとても詳しく説明をしておられます。

それが『教行信証』

「信巻」

の中心思想ともいうべき三一問答の根本問題になります。

(9)如来、清浄の真心を以て円融無碍不可思議不可称不可説の至徳を成就したまへり。

如来の至心を以て、諸有の一切煩悩悪業邪智の群生海に廻施したまへり。

則是、利他の真心を彰はす。

故に疑蓋雑ること無し。

斯の至心は即是、至徳の尊号を其の体とせるなり。(「教行信証」)

(10)信楽と言ふは、即是、如来の満足大悲円融無碍の信心海なり。

是の故に疑蓋雑有ること無し。

故に信楽と名づく。

則ち利他廻向の至心を以て、信楽の体とするなり。(「教行信証」)

(11)欲生と言ふは、即是、如来諸有の群生海を招喚したまふの勅命なり。

則ち真実の信楽を以て、欲生の体とするなり。

…利他真実の欲生心を以て、諸有海に廻施したまへり。

欲生即是廻向心なり。

斯れ則ち大悲心なるが故に、疑蓋雑ること無し。(「教行信証」)

(12)「至心信楽」

といふは、至心は真実とまふすなり。

真実とまふすは如来の御ちかひの真実なるを至心とまふすなり。

煩悩具足の衆生はもとより真実の心なし、清浄の心なし。

濁悪邪見のゆへなり。

信楽といふは、如来の本願真実にましますを、ふたごころなくふかく信じてうたがはざれば信楽とまふす也。

この至心信楽はすなわち十方の衆生をして、わが真実なる誓願を信楽すべしとすすめたまへる御ちかひの至心信楽也。

凡夫自力のこころにはあらず。

「欲生我国」

といふは、他力の至心信楽のこころをもて安楽浄土にむまれむとおもへと也。(「尊号真像銘文」)

 (9)(10)(11)は『教行信証』、(12)は『尊号真像銘文』で、本願の三心について解釈を施しておられる箇所です。

 ところで、この三心とは何かということになるのですが、この三心もまた親鸞聖人は、阿弥陀仏が衆生を救うために発起されたものであると解釈しておられます。

 (9)では、

 「如来、清浄の真心を以て円融無碍不可思議不可称不可説の至徳を成就したまへり。

 如来の至心を以て、諸有の一切煩悩悪業邪智の群生海に廻施したまへり。

 則是、利他の真心を彰はす。

 故に疑蓋雑ること無し。

 斯の至心は即是、至徳の尊号を其の体とせるなり。」

 と述べておられます。

 この場合

 「至心」

 とは、如来の真実心を意味します。

 親鸞聖人の場合、本願の至心は如来の真実心だということで、統一されています。

 それは、阿弥陀仏は衆生を救うために真実心を起こされているということです。

 この点を『無量寿経』では、法蔵菩薩が無限の時間をかけて、その真実心を成就すると説かれているのですが、阿弥陀仏が衆生を救うために、その真実心を衆生の心にあらわされるのです。

 けれどもその時、至心という心は姿がありませんから、至心そのものは衆生には見えません。

 そこでその真実心があらわれた姿が、名号になるのです。

 したがって、南無阿弥陀仏という名号を私が称えているということは、阿弥陀仏が自らの真実心をこの私の心にあらわしたということになるのです。

 つまり、至心とは阿弥陀仏の真実心であり、同時にその心の働きそのものなのです。

 本願の三心の中の

 「至心」

 は、阿弥陀仏の真実心の働きだと解されます。

 それに対して、信楽の意味が(10)に説かれています。

 では、信楽とは何でしょうか。

 「これすなはち如来の満足大悲円融無碍の信心海なり」

 と述べられていますから、信楽そのものがまた、阿弥陀仏の心になります。

 だからこそ、この心は疑蓋が雑わることがないのです。

 その疑蓋が雑わることのない心を

 「信楽」

 と名付けるのです。

 そして

 「利他廻向の至心を以て信楽の体とす」

 と表現されます。

 南無阿弥陀仏という称名は、阿弥陀仏の真実心の躍動の姿なのですが、その阿弥陀仏の真実心こそが、阿弥陀仏自身の喜びの心、悟りの心です。

 だとすれば、その満足大悲円融無碍の信心海が、そのまま南無阿弥陀仏になります。

 そこで、弥陀の大悲心が衆生の心を破って、衆生の心に充ち満ちている事態が、私たちが南無阿弥陀仏を称えている姿になるのです。

 欲生も同じです。

 こでは、

 「如来、諸有の群生を招喚したまふの勅命」

 と述べられ、

 「則ち真実の信楽を以て、欲生の体とする」

 と説かれていますから、如来の喜び、信楽がそのまま阿弥陀仏の喚び声だと、親鸞聖人はとらえておられます。

 

 

「自分の老年期を考える」(上旬)人ごとではない

ご講師:松元イソ子さん(鹿児島大学保健学科教授)

老化とは何か。

まず、誰もが年を取るということで、普遍的です。

自分だけは年を取らないと思っていても取ります。

また、自分は老人かというと、そうは思わない。

つまり、私は小学校から今まで私自身をずっと生きてきましたので、いつからおばあちゃんになったかわからないわけです。

そして、老化は連続していますので、結局は人ごとではないと言うますね。

次に、老化とは細胞の一つひとつの働きが弱るということです。

人間の身体は、顕微鏡で見ないとわからない細胞の集まりから出来ています。

この細胞の機能が低下するんですね。

そして、この細胞はストレスを受けて、急に機能が低下する場合があります。

例えば、車にドーンとぶつかる。

このような外圧が加わると、血管という細胞が崩れて血が出ますね。

これは目に見えるストレスです。

でも、これは治ります。

そして、このときの看護というのは何もしないんですよ。

ただ本人の治る力を最大限に発揮できるよう環境を整えてあげるだけなんです。

では、目に見えないストレス、特に一番大事な人を亡くすといった喪失体験はどうするか。

まず三年間、とにかく健康に気をつけて乗り切る。

大事な人を亡くした方は、三年間のうちに三割くらいの方が亡くなられるそうです。

ただ、老化というのは、このような極端なことがなくても徐々に起こってきます。

ではどうしたらいいか。

今までたくさんの人を見てきましたけど、長生きされてる方は、ある程度自分を通せて、アイデンティティーいうか、自分の生き方、自分自身を変えないで通す方ですね。

それが一番いいのかもしれません。

実際介護の必要な方は、ほんの何パーセントです。

まして、介護が必要になったからといって嘆くことはありません。

まず、介護という言葉は、そもそも老年者に対しての言葉として法律で使われていました。

ただ、私はこの言葉がとても好きなんです。

人を介して護る。

人と人とがすごく密着して向かい合っているように思うんです。

だから、介護というのは

「される」

とか

「してあげる」

とかいう関係ではなく、あくまでも対等な関係なんです。

では、私たちはお年寄りをどう見ているか。

「くどくって、物忘れがひどくて、短気で、ブスっとして、聞こえないふりをしてたと思えば時々聞いていて、疑い深くて…」

と、悪いことばかり言ったらきりがありません。

このように思っていますと、どこかにそれが出てしまいます。

今私は、若い人たちに

「老年者観」

ということを、時間をかけて強調してお話しています。

年を取るということは、自分の役割がどんどん変わっていくということです。

夫の役割、妻の役割を無くしたりと…。

そのようなお年寄りをどう観るか、つまり、お年寄りはどう生きたいのかを知ることが大切なんです。

小説 親鸞・紅玉篇 2月(1)

院の御座所をさがってくると。

範綱はすこし眉をひらいた。

法皇の御けしきによっては。

ずいぶん、面をおかしても御諫言(ごかんげん)するつもりであったが、

(さすがは、老練でいらせられる、あの御炯(ごけい)眼(がん)ならば――)と、まずまず、安心して、いわんとすることは、暗示ぐらいな程度にとめて、御簾所(みすどころ)を退がってきたところであった。

院を中心にして、策動し、流言し、暗中飛躍をする無数の政客や、武人や、策士を、法皇はやはり高い御座(みくら)のうえからよく観ておられると、今さら心服するのであった。

もっとも、保元、平治の動乱期にあって、法皇ほど、御苦労もなされ、また、人間の表裏反覆と、烈しい権力の争奪を眺められたお方はない。

そういう法皇を奉じて、まだまだ、衰(すい)兆(ちょう)の見えない平家を廟堂から追い落とそうなどとして、所詮、躍るもの自身の自滅以外、何らの運動となるわけのものではない。

まして、それが私怨と私慾の不平から結ばれた策動であるにおいては、言語に絶した不忠な悪(わる)謀(だく)みである。

法皇の御運命がそういう野望家のために決しられるようなことでもあっては断じてならない。

範綱の意志は、そこに決まっていた。

――だが、それを極言するまでもなく、法皇御自身が、院の内外にうずいている野心家の空気と、野心家の性格とを、ことごとく知り抜かれているようなので、

(このぶんなら――)と、彼は、自分の取越し苦労を、むしろ恥じて、

(くれぐれも、御自重)と、ばかり奏して、あとは、いつもの和歌の話などをして、心までが、はればれとしていた。

南苑(なんえん)の橘には、春のよごれを降りながした雨あがりの陽が強く照りかえしていた。

伶人たちが、院の楽寮(がくりょう)で、楽器をしらべているし、舎人(とねり)たちは、厩舎(うまや)の前にかたまって、白馬に水を飼っていた。

「六条どの」

後ろで呼ぶ者がある。

廻廊の曲がり角に、待っていたように佇んでいた男だった。

「―――おおこれは」

見ると、故少納言信西の息子、浄憲法師という、才子で、人あたりがよくて、そして院のうちの切れ者といわるる人物だった。

時々、歌の詠草などを届けてよこして、評を求めるので、そのつど、歌はみてやるけれど、範綱とは、べつな世界に生きている人間であって、いくら永く知ってはいても、ほんとの知己にはなれないでいる男だった。

にやりと、浄憲は寄ってきた。

何ということもなく、欄へ誘って丸柱に、背をもたせながら、

「何か、御内奏でもあって、御伺候かの?」

と、そろりと探りを入れる。

「いや、相かわらず、歌よみは、歌よりほかにはお相手のしようものうて……」

範綱も、そっと、逃げると、浄憲はねちねちとした眼で、ぶしつけな正視を相手へ与えながら、

「ほ……。

それにしては、だいぶ、お永い話であったの」

「きょうは、御興にいったとみえて――」

「歌の話に、お人ばらいまでせらるるとは、ご入念なことだ」

「…………」

「ときに」

と浄憲は、すり寄ってきた。

そして、範綱の耳のそばで、

「新大納言の君から、なんぞ、そこもとにも、耳うちがあったはずがだが……」

小説 親鸞・北面乱星 1月(10)

見ている者すら面(おもて)をそむけるほど烈しい折檻(せっかん)を加えられたが、曲者は、頑として口をあけなかった。

「主人の名を申せっ」

「…………」

「頼まれたものの名をぬかせ」

「…………」

「何のために、立ち聞きしたっ。

六波羅のまわし者とは分っているが、誰のさしがねで、ここへは忍びこんだか」

「…………」

いくら拷問してみたところで、石にものを訊くようなものであった。

そのうちに、曲者は、うめいたまま、気を失ってしまった。

夜も更けてくるし、大きな声を出しているのは、近隣の館に対しても、考えなければならなかった。

「忌々(いまいま)しいやつ……」

と、右衛門尉は、手をやいたようにつぶやいた。

そして、この曲者を、充分に調べあげるまでは、どこか邸内の仮牢に預かっておいてくれという。

「承知いたしました」

範綱は迷惑した。

しかしこんな縄付を、二人の使者が曳いて歩けないことは分りきっている。

平家の眼の光っている京の往来では――。

「箭四郎、この曲者を、裏庭の納屋へでも入れて、縛っておけ」

「かしこまりました」

気を失った曲者の体を、二、三人して雨の闇へ運んで行くと、右衛門尉は、足を洗って、席へもどった。

そして蔵人とともに、ふたたび、新大納言の大それた謀叛の思いたちを、熱心に説いて、範綱にも加盟をするようにすすめて、やがて、やっと立ち帰った。

範綱は寝所にはいっても、まんじりとも眠られなかった。

自分は自分の分というものを知っている。

不平をいだく北面の武士や、院の政客と聯脈をとって、栄権を夢みるような野望はさらさら持ったことがない。

決して、明るい御世とは思わないけれど、歌人として自然を相手に生きている分には、これでも不足とは思っておらぬし、また、弟の遺した二人の幼子や若後家の将来(ゆくすえ)などを思えば、なおさら自分の進退は自分だけの運命を決しるものではない。

考えは決まっているのである。

そう初めから決している範綱であった。

だが、後白河法皇も、新大納言の私怨(しえん)にひとしい企らみにお心が傾いてするというのは、彼として、自身以上の危惧(きぐ)であった。

万が一にも法皇が御加担となれば、臣として眺めているわけにはゆかないことは当然である。

おんみずから業火の裡(うち)へ、平家膺懲(ようちょう)のお名宣(なのり)をあげて、院の政庁を武人の甲冑で埋めるような事態にでもなったならば、それこそ怖ろしいことである。

(ああ、どうしたものか)悪夢のなかに、範綱はもだえた。

茜いろの都の空にまたしても悪鬼や羅刹(らせつ)のよろこび声が聞こえる時の迫りつつあるのではないかと戦慄した。

夜明けごろ、北の寝屋の奥に、朝麿がむずかるのであろう、幼子の泣き声がしばらく洩れていた。

(そうだ……。

何よりは、法皇のおこころが第一、法皇さえおうごきにならなければ――)

うとうとと眠りぎわに彼は何か心の落着きを見つけていた。

とたんに眠りに入ったのである。

眼がさめたのは従って常よりも遅かった。

雨あがりの陽が強烈に眸を刺し、空は碧(あお)く、五月の若葉は、新鮮であった。

小説 親鸞・北面乱星 1月(9)

一瞬のまをおいて、

(曲者(くせもの)っ――)と、ふたたび遠い所で誰やらの声がした。

ばたばたと屋外(そと)で――今度はやや間近な窓の下あたり、烈しい足音が駈けた、

暗い雨の音が、さあっと、その足尾とを前栽(せんざい)の木立のそよぎと追うらしい。

(曲者っ)つづいて

(お出合いなされっ――)追いつめて、組みついたか、烈しい物音がする。

喚く、打つ、そして

(逃がすなっ)と、声が割れた。

蔵人も、右衛門尉も、また主の範綱も、思わず立ち上がっていた。

そして、廊下の蔀(しとみ)を開け放って、

「何事じゃ」

雨に向かって、範綱がいった。

しかし、それに答える遑(いとま)もないように、木陰や亭(てい)のまわりを、逃げる者と追う者の黒い髪がみだれ合っていた。

そのうちには、蔵人の供人もまじっているらしかった。

いつのまにか、右衛門尉は袴をくくり上げていた。

武人らしく、さっと雨のなかへ躍り出て、築地を越えて出ようとしている曲者をひっ捕らえた。

そして範綱と蔵人のあきれ顔をしている前へ、ずるずると引き摺ってくるのであった。

室内の明かりは、吹きこむ風に消されていた。

範綱は奥へ向って、

「紙燭(ししょく)、紙燭――」

と、どなった。

ふすまや、几帳の蔭から、小さい燈(とも)火(しび)の光が、掌に庇(かば)われながらそこへ運ばれてきた。

雨の打つ階梯(きざはし)の下に、曲者はねじ伏せられている。

右衛門尉は、直垂の胸紐をひき抜いて、曲者の両の手くびを背にまわして縛りつけていた。

「面(おもて)をあげい」

泥土によごれた皮足袋が、曲者の肩を蹴った。

曲者は横に倒れたが、すぐに坐り直して、剛毅な態度をとった。

しかし俯(うつ)向(む)いたきりで、顔を見せないのである。

蔵人は、廂(ひさし)の下にかたまった自分の供人と、この家の召使たちを眺めて、

「こやつは、館の者でござるか」

「いえ、当家には、かような者はおりませぬ」

と、中にまじっていた、箭四郎が答えた。

「すると、外から忍び入ってきたものじゃな」

「察するところ、お後を尾行(つけ)てきて、なお、去りやらず、築地を越えて入りこんだものと思われます」

「立ち聞きしていたか」

「されば、ちょうど、お客間の窓の下あたりに佇んで――」

「うぬっ」

蔵人は、憎そうに、睨(ね)めつけて、

「さては平家の諜者(いぬ)じゃ。

右衛門尉、打ちすえて、口をお開かせなされ」

「諜者か、おのれは」

右衛門尉は、曲者の耳を引っ張っていった。

痛さに顔をしかめた曲者の顔が斜めに長く伸びた。

その顔には誰も見覚えがなかったが、りりしい身支度や度胸をすえこんでいる態度を見ると、決して雑人や凡下の輩ではない。

平家のうちでも、相当な家の郎党にちがいなかった。

「おのれ、誰にたのまれたっ。

いえっ、いわぬかっ――」

右衛門尉のこぶしが、曲者の頭蓋骨を、三つ四つ撲った。