「範宴が山へもどってきた――」
叡山(えいざん)の人々のあいだに、それは大きな衝動であった。
彼らの頭には、範宴という人物が、いつのまにか大きな存在になっていた。
自分たちに利害があるないにかかわらず、範宴のうごきがたえず気ががりであった。
それというのも、この山の人々の頭には、十歳にみたない少年僧であった時から、授戒登壇をゆるされて、その後も、群をぬいて学識を研(みが)いてきた範宴というものが、近ごろになって何となく自分たちの脅威に感じられてきたからであった。
「一乗院が帰山したというが、いつごろじゃ」
「もう、十日ほど前にもなろう、例の性(しょう)善坊(ぜんぼう)は、それよりもずっと前に戻っていたが、範宴のすがたが見えたは、ついこのごろらしい」
「ちょうど、三年ぶりかの」
「そうさ。範宴が下山(おり)たのは、先(さき)一昨年(おととし)の冬だったから……」
「だいぶ修行もつんだであろう」
「なあに、奈良は女の都だ、若い範宴が何を修行してきたかわかるものか」
「それは、貴僧たちのことだ。範宴がおそろしい信念で勉学しているということは、いつか山へ来た宇治の客僧からも聞いたし、麓(ふもと)でもだいぶうわさが高い」
一人が口をきわめて範宴の学際とその後の真摯(しんし)な態度を褒め賞めたたえると、怠惰な者の常として、かるい嫉妬(しっと)をたたえた顔がちょっと白けてみえた。
「その範宴が、明日から横(よ)川(がわ)の禿(かむろ)谷(だに)で、講義をひらくということだが――」
と思いだしたようにいうと、
「そうそう、小止観(しょうしかん)と往生(おうじょう)要集(ようしゅう)を講義するそうだが、まだ二十二、三の若年者が、山の大徳や碩学(せきがく)をまえにおいて、どんなことをしゃべるか、聞きものだて」
「碩学(せきがく)たちも意地がわるい、ぜひにと、懇望しておいて、実は、あげ足をとって、つッ込もうという肚じゃないかな?」
「そうかもしれん。いや、そうなるとおもしろいが」
惰眠(だみん)の耳もとへ鐘をつかれたように、人々は、範宴を嫉妬した。
禿谷には、その翌日、一山の人々が踵(きびす)をついでぞろぞろと群れてきた。
講堂は立錐(りっすい)の余地もなく人で埋(うま)った。
若い学僧がむろん大部分であったが、中には、一院の主(あるじ)も、一方の雄僧も見えて、白い眉毛(まゆげ)をしかめていた。
やがて、講壇のむしろに、一人の青年が法衣(ほうえ)をさばいて坐った。
色の青じろい肩の尖った姿を、人々はふと見ちがえて、
「ほ……あれが範宴か」
と、その変りように思わず眼をみはった。
「痩せたのう」
「眼ばかりがするどいではないか」
「病気でもしたとみえる」
聴座(ちょうざ)の人々のあいだに、そんな囁(ささや)きがこそこそながれた。
しかし、範宴の唇だけは誰よりも紅かった。
そして一礼すると、その唇をひらいて、おもむろに小止観を講義して行った。