投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

「親鸞聖人の仏身・仏土観」(11月中期)

では、いったい親鸞聖人にとって西方の浄土とは何であったのでしょうか。

第十九願の自力念仏者は懈慢界に生まれ、第二十願の自力念仏者は疑城胎宮に往生するといわれます。

しかしながら、第十九願と第二十願の教えだとされる

『観無量寿経』と

『阿弥陀経』には、

懈慢界も疑城胎宮も何ら説かれてはいません。

そこに明かされる浄土の教えは『無量寿経』に説かれる西方の浄土と全く重なっています。

そしてその浄土を、浄土教一般では真の報仏報土だと解しています。

ところで親鸞聖人は、金・銀・瑠璃等の自然の七宝で荘厳される、その西方十万億土の浄土を方便化身土と捉えておられます。

ただし親鸞聖人には

『文類聚鈔』に

「西方不可思議尊」

という帰依の表白があり、また

『教行信証』でも随所で阿弥陀仏の浄土を

「西方」

と存在論的に捉えておられる箇所が散見されます。

またすでに述べたように

「さだめてさきだちて往生し候はんずれば、浄土にてかならずまちまいらせさふらふべし。

と手紙に認められ、死後に生まれる浄土が実体的に語られています。

このように、懈慢界や疑城胎宮の問題とは別に、一方では

「仏は無量寿観経の説のごとし。

土は観経の浄土なり。

と、その浄土を方便化身土とされながら、他方において、このような西方の浄土に心から帰依しておられる親鸞聖人の姿が見られます。

私たちは、これをいったいどのように理解すればよいのでしょうか。

もし真仏・真土という観点から阿弥陀仏とその浄土を捉えようとすれば、仏は不可思議光如来であり、土は無量光明土ですから、時間論的にあるいは存在論的に方向・時間・形・量等が存在する仏身仏土はすべて方便化身土だといわなくてはなりません。

その意味からすれば、すでに見てきたように、私たち凡夫に触れることのできる真仏・真土は真如からの音声として出現した

「南無阿弥陀仏」

しかありません。

光明無量・寿命無量のただ一つの相としての一声の称名が、唯一の真仏真土になってしまいます。

したがって親鸞聖人の思想からすれば、西方の十劫成仏の阿弥陀仏と、真如法性・無為法身としての南無阿弥陀仏を、ともに真仏真土だとする義は同時には成り立たないことになります。

やはり前者は方便化身土であり、後者が真仏真土だとしなければなりません。

親鸞聖人は、決して西方に荘厳される阿弥陀仏の浄土を一方で方便化身土だと信じながら、他方においてその浄土を真仏土だと信じられたのではないのです。

二心がないとされる真実信心にはそのようなことは起こりえないのであって、同一の

「信」

でもしそのような心を同時に成立せしめようとすれば、それこそ自己分裂を起こしかえって疑惑心に堕してしまうことになります

「西本願寺の至宝とその保存について」(中旬)本願寺と文化庁の意見が正反対

このように、私は傷んだ文化財を修復していますが、そもそもなぜ彩色に傷みが発生するのでしょうか。

こういった杉戸絵は、木地(きじ)といって、木の上にまず墨で下書きをします。

それから胡粉(こふん)という白い顔料(がんりょう)を乗せ、その上から岩絵の具という鮮やかな絵の具を塗って出来ています。

しかし、そこに雨や風、紫外線が当たると、顔料の弱い所、特に白は日光に弱いのでとれていきます。

上から順に傷んでいき、木地もだんだんと痩せていきます。

非常に強い墨であっても、最後は木地だけになってしまうんです。

すると、絵の具の塗られた所とそうでない所に凸凹ができるんです。

その痕跡を拾っていくことで、ここに絵があったということが分かってくるんです。

凸凹を確認するためには、特殊な光を当てます。

通常の光を当ててみると、ぼんやり

「何かあるかな」

という程度なんですが、斜光ライトという特殊なライトを当てることで、木の凸凹がはっきりと浮き上がり、何が描かれていたのかが見えてくるのです。

我々はそれを手がかりに修復作業を進めています。

このメカニズムで、三十六歌仙杉戸絵も修復を進めていきました。

文化財の修復は、多くの人から注目されますし、監督する人もたくさんいます。

また、何かを修理するときには必ず国の文化庁に許可をもらわねばなりません。

例えば、国宝は柱一本動かすにも許可がいります。

そういうこともあり、絵画を修復するときも、なんらかの根拠、誰が見ても納得できる復原根拠を持たないと許可がおりません。

許可を取るため、私どもは文様の解析と分析に非常に情熱をかけて仕事をいたします。

御影堂についてですが、まず正面に通称

「水噴きのイチョウ」

という天然記念物があります。

本願寺が火事になったとき、このイチョウが水を噴き、火を消して御影堂と阿弥陀堂を守ったと言われています。

しかし、この木の存在が、御影堂修復をさらに困難なものにしました。

修復の際、御影堂や隣接する阿弥陀堂などを守るため、御影堂全体をすっぽり覆う

「素屋根」

をかけるんですが、イチョウの木が傷つかないように、また国宝の黒書院が傷つかないように、素屋根の設計をずいぶん苦労してなさったそうです。

御影堂内部の修復は、50年前の大遠忌法要の際に修理された部分を生かしながら、要所をクリーニングする方法を取りました。

ご本山としては、金箔を全て張り替えるので、彩色もきれいで鮮やかなものにしてほしいとのご要望でした。

しかし、これに対して文化庁は、なるべく保存をしなさいという指導でした。

本願寺と文化庁の考えが正反対なんですね。

そこで、先ほど述べたような、両者の意見の間を取るという苦肉の策を取りました。

そうやって、準備段階だけでも多くの苦労があり、この大事業が進められていきました。

『善知識』

親鸞聖人は、9歳から29歳まで比叡山で天台宗の僧として、悟りへの仏道を求められました。

私たち凡夫は、この世の真実を見極める眼を持っていません。

何よりもまず、自分の利益を得ようとします。

それは、根本的に愚かな雑念に満ちあふれているからで、互いの執着心がこの世を乱し、その利己心がかえって自分にどうしようもない迷いや苦悩の原因を作っているのです。

そこで、仏道においては、この無知で不実な執着心を取り除き、世の真実を見通す智慧を磨き、自分の利益を後にし、他の迷える人々を救うための実践を第一とするのです。

そして、そのような実践の中で、何ものにも動じない安らかで澄みきった清浄なる心を完成させる。

これが、比叡山での親鸞聖人の仏道であったといえます。

ところが悲しいことに、親鸞聖人は比叡山での学問・修行では自身の愚かな執着心をどうしても断ち切ることが出来ませんでした。

安らかで澄みきった心を求めながら、逆に親鸞聖人の心はますます乱れ、迷いと苦しみの坩堝(るつぼ)に陥ってしまったのです。

このような苦悩のどん底で、親鸞聖人はふと法然聖人の説かれる念仏の教えを耳にしました。

それは、親鸞聖人がそれまで比叡山で学び求めてきた仏道とは根本的に異なる、苦悩し迷える凡夫こそを救う弥陀仏の本願についてのまったく新しい教えでした。

そこで、親鸞聖人は意を決し、法然聖人のもとを尋ねられたのです。

仏教的な常識からいえば、無知なる者が学道に励み、その結果として悟りの智慧を得ます。

それは、愚かで悪に満ちた心を捨てて清浄で真実の心になるということで、これこそが仏教の行道にほかなりません。

ところが世の中が乱れ、愚かなる者ばかりの社会では、あたかも人徳者のごとく、賢者のごとく、善人のごとく、正義漢のごとく振る舞うことは出来ても、一片の過ちもない真実そのものの人にはなりえません。

もし、そのようなポーズを取れば、かえって人を欺き世を乱すことになります。

とすれば、人は自分のその愚かさをごまかさないで見極めることこそ、重要になるといわなければなりません。

そしてこの迷えるものに対する仏の本当の願いを聞いて、凡夫にとっての正しい道を歩むことが求められます。

法然聖人は、いまの時代のこの世における真実の仏道を語り、親鸞聖人の迷いを破られたのですが、このように迷える者に対して正しい仏道を説いて、その者を悟りへと導く方を

「善知識(ぜんぢしき)」

と呼びます。

したがって、仏教では

「善知識」

が非常に尊ばれます。

衆生にとっての第一の善知識は、仏教を開顕された釈尊です。

迷える者がいかに迷いの行を積み重ねても、それは迷いを重ねるばかりであって、そこには悟りへの行道は存在しません。

ところで、もし釈尊がこの者に悟りへの道を教えられたとしますと、この者は釈尊の導きによって悟りに至ることになります。

したがって、迷える者は自らの行によって悟りに至るのではなくて、善知識の行によって悟りに導かれるのだと言えます。

私たち浄土真宗の教えに生かされる者は、親鸞聖人の教えに導かれています。

したがって、私たちにとっての善知識の第一は親鸞聖人であることはいうまでもありません。

そしてまた、その親鸞聖人の教えを、よりやさしく説いて弘められた蓮如上人もまた善知識になります。

このように、真の善知識に導かれて、私たちは初めて弥陀の本願に出遇うことが出来るのです。

カンボジアを舞台にした映画

カンボジアを舞台にした映画

「僕たちは世界を変えることができない」

が公開中です。

4人の学生が中心となり、様々なチャリティーイベントを開催しながら150万円を集め、カンボジアに学校を建てるという実話をもとにした映画です。

ノンフィクション映画と言うだけあって、カンボジアの今の実情、そして残虐な歴史もリアリティに描かれています。

カンボジアに興味のある方は是非ご覧ください。

カンボジアと言えば、クメール王朝の栄華を今に伝える

「世界遺産」

アンコールワットが有名です。

それはそれは壮麗で神々しく、カンボジア人にとってはまさに聖域であり最高の誇りです。

しかし一方で、ポルポト政権時代の大量虐殺や、カンボジア国土の至る所に今でも残る地雷原など、カンボジア人の心の中には、精神的外傷として

「負の遺産」

を抱えていることもまた事実です。

カンボジア人の平均年齢は2008年のデータで21,7歳。

若いなぁと感じるこの年齢が意味するもの。

それは、今から約30年程前、クメールルージュとも呼ばれるポルポト派により、教師や僧侶などを中心に罪なき人々を拷問、無残な虐殺が行われ、当時800万人いた人口は約半数近くにまで減少したとも言われているそうです。

カンボジアに行きますと、ご高齢の方をお見かけすることはあまりありませんが、そのようなところにも凄惨な歴史の背景が色濃く残っているようです。

カンボジア人の宗教は、国民の95%以上が仏教徒であり、現在の国王もかつて出家した経験を持つほど、国家や国民生活の根底には仏教の教えが浄く流れています。

国の官庁にも宗教省があり、その大臣には出家した経験のある方が就かれます。

街にはあちこちにパゴダ(お寺)があり、日本の檀家制度のような寺院形態ではなく、人々はどのお寺にも自由に出入りしてお参りをします。

またパゴダの中には学校や診療所、孤児院などの施設を持つところもあり、生活に根ざした中で信仰に生きる人々の姿はまさに仏教先進国といってもよいでしょう。

ニュージーランドに、かつてのポルポト時代、難民としてカンボジアから逃れていかれた方々の住む地域があるそうです。

内戦の終わった後もカンボジアには帰らず、異国での生活が続く中で、カンボジア政府が真っ先に行った支援が

「お坊さんの派遣」

であったそうです。

当然身近にパゴダなどの礼拝できる環境がありませんから、不安と緊張にさらされた人々の心の平安のため、まずお坊さんが派遣されたのでした。

私はこのことは、凄いことだと感じました。

3月11日、東日本大震災がありました。

「戦後最大の危機」

という当時の管総理の言葉も鮮烈でした。

今、様々な形の復興支援があります。

どれもみんな必要です。

私は宗教の根幹は

「生きる力」

だとも思います。

順風満帆な人生は、宗教など必要でないと感じるのかもしれません。

けれども、逆境に遭い、困難に直面し、あるいは大切な人を失い、予期せぬ大波を受けまさに自分が転覆してしまいそうな時、傾いた船体(私)をまた元の位置へ復元してくれる大きな力を心の内に持つのと持たないのでは、大きな違いがあるように思います。

寄り添うとは何か、豊かさとは何か。

震災が問いかけた課題は大きいですが、一宗教者として真摯に向き合わなければならないと思います。

『和顔微笑みは心和らぐ』

最近誰かに笑いかけられて嬉しいと感じた事がありましたか?あるいは誰かに笑いかけてみましたか?

暗いニュースや出来事が続き、心の底から『笑う』ということが少なくなっているような気がします。

和顔(わげん)は、

『穏やかな、にこやかな笑顔』

という意味があります。

あなたも『和顔愛語(わげんあいご)』という言葉で耳にしたことがあるのではないでしょうか?

これは浄土真宗の三部経の一つ、大経と呼ばれる『仏説無量寿経』にでてきます。

穏やかな、にこやかな笑顔で優しいおもいやりのある言葉をもって、人に接することを心がけていきましょう、という意味をもっています。

また、この言葉は

『雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)』

というお経に説かれる

『無財の七施』

にも言葉がでてきます。

無財の七施とは、人に施す財物やお金がなくても、施しができますよということを伝えているもので、その中に和顔施(わげんせ)とあります。

つまり、穏やかでにこやかな笑顔で、人に接することが他の人への施しとなっているのですよ、ということを表しているのです。

あなたは、赤ちゃんに接する両親や祖父母の方の姿をご覧になったことはありませんか?

腹を立てて、怒った顔で赤ちゃんに語りかけているでしょうか?

あるいは、涙を流しながら悲しそうな顔で語りかけているでしょうか?

私は、正直そんなふうに接する赤ちゃんの両親や祖父母の方をみたことがありません。

共通して、みんな笑いながら嬉しそうな表情で語りかけていませんか?

日常生活・社会生活の中での赤ちゃんは、私たちに何か施しができるものをもっているか?というと、全く持っていないと言わざるを得ません。

どちらかというと私たちに対して役に立つ何かをしてくれるどころか、面倒をみたり、常に育児をしていかないといけないという部分からみても私たちに施しを受けるばかりと言えます。

では、それなのに私たちはなぜ赤ちゃんに嬉しそうに語りかけるのでしょうか?

私たち自身がその赤ちゃんの和顔(わげん)に施しをうけているに他ならないのではないでしょうか?

赤ちゃんのその姿に大変癒されているのではないでしょうか?

育てているつもりが、実は育てられていた、赤ちゃんの和顔に助けられていた、と言えますね。

私たちはこのように、共に笑いあい、語り合う中でみえないところで助け合い、支え合っていることに気づかされる気が致します。

ともに微笑みあいながら、よりそいながら、優しい気持ちで『いのち』を支え合い育てあっていきたいものですね。

さぁ、今日も一緒に笑いあっていきましょう!

「親鸞聖人の仏身・仏土観」(11月前期)

では、光明が智慧の

「かたち」

だとして、それは私たち衆生にとって、具体的に何なのでしょうか。

無限の智慧は、法性法身に同じであって、凡夫のよく知りうるところではありません。

だからこそ光明がその象徴になるのですが、日月の輝きをとおして、光明の徳性の一端を知りうるとしても、仏の光明はやはり

「いろもましまさず、かたちもましまさず」

であって、光明の輝きそのものは、凡夫には把捉しえません。

ではその光明の

「かたち」

とは何でしょうか。

『浄土和讃』に、

光明てらしてたへざれば不断光仏となづけたり

聞光力のゆへなれば心不断にて往生す

という一首をみることができます。

この中、

「聞光力」

の語に

「ミダノオンチカヒヲシンジマヒラスルナリ」

と左訓されています。

「弥陀の御誓い」

とは、

「南無阿弥陀仏とたのませたまひてむかへんと、はからはせたまひたる」

誓いにほかなりません。

「南無阿弥陀仏」

は諸の善法を摂し、諸の徳本を具した真如一実の功徳宝海であり、称名よく衆生一切の無明を破し、志願を満てたもうからです。

したがって

「聞光力」の

「光」が

「念仏せよ。

救う。

という音声であり、

「聞」が、

称名する念仏者がその尽十方無碍光の勅命を信じる心となります。

まさに尽十方無碍光如来の光明の

「かたち」こそ、

「南無阿弥陀仏」

であったのです。

では、阿弥陀仏の

「極楽無為涅槃界」

とは、どのような浄土なのでしょうか。

極楽といい安楽といい安養といいますが、これらはすべて

「無為」

の語の形容であって、無為とは、虚無であり実相であり真如であり法性であり法身です。

したがってこの土は、法性法身に同じであって、楽の究極、無苦無楽の涅槃界です。

一実真如功徳大宝海の浄土は宇宙の全体を覆い、十方の微塵世界のすみずみまで満ち満ちています。

ただし一如であり法性である浄土は、いろもなくかちもましまさないといわれます。

この浄土の本性は迷える凡夫の思議を超えています。

ただし浄土の存在は、その迷える凡夫を救う場としてましますのです。

そのために、浄土は真如のままで衆生の現前に相をあらわさなくてはなりません。

それが真如の智慧、尽十方無碍光という光明です。

それ故に親鸞聖人は、

「真仏土巻」で、

「真仏・真土」

について仏は不可思議光如来であり、土は無量光明土なりと説かれます。

けれども、このように無量光明土といっても、その光明もまた衆生の思議を超えており、凡夫がその光明に出遇うことは不可能です。

そこで真如の尽十方無碍光如来が、一切の衆生を無上仏にならしめんがために、音声となって相を現わされたのです。

それが、南無阿弥陀仏という言葉です。

そうだとすれば、南無阿弥陀仏を離れて阿弥陀仏がましまさないのと同じく、南無阿弥陀仏を離れてその浄土も存在しなくなってしまいます。

つまり浄土は、存在論的にあるいは時間論的に、宇宙のどこかに存在するのではなくて、常に愚かな凡夫を救うための場として、十方の微塵世界にあるのだといえます。

その救いのはたらきが南無阿弥陀仏です。

阿弥陀仏と同様、浄土もまた南無阿弥陀仏を除いてはありえない、といわなくてはなりません。