投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

「親鸞聖人の仏身・仏土観」(9月後期)

では、この群生海は迷っていないのでしょうか。

親鸞聖人はこの群生海の心について『教行信証』

「信巻」

の三一問答において、

一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで穢悪汚染にして清浄の心無し、虚仮諂偽にして真実の心無し。

無始よりこのかた、一切の群生海、無明海に流転し、諸有輪に沈没し、衆苦輪に繋縛せられて、清浄の信楽無し、法爾として真実の信楽無し。

微塵世界の有情、煩悩海に流転し、生死海に漂没して、真実の回向心無し、清浄の回向心無し。

と、述べておられます。

一方では、微塵世界の一切の群生海の心には、常に真如法性、真実清浄の如来が満ち満ちているといわれ、他方ではまったく逆に、微塵世界の一切の群生海の心は、今日今時に至るまで、穢悪汚染にして一片の真実清浄の心もなく、煩悩界を流転し続けているといわれます。

いったいこれをどう理解すればよいのでしょうか。

涅槃界と煩悩界の関係がここで問題になります。

界は境です。

涅槃と煩悩の境はどこにあるのでしょうか。

これをもし場所的に捉えようとするならば、このような疑問には絶対に答えることはできません。

同一の心の全体が、常に清浄真実であり、同時に穢悪汚染であるということは成り立たないからです。

また心の状態として、それを考えることもできません。

ある状況で真実になり、ある環境では不実になるとすれば、

「常」

とか

「一切」

の語は使えないからです。

宇宙全体の微塵世界の一切の群生海の心には、常に清浄なる如来が満ち満ちています。

同時に、その一切の群生海の心の全体は、常に、穢悪汚染・虚仮諂偽でしかありません。

この真理を示しているのが、

「縁起の法」

であると思われます。

仏教では、宇宙の一切が

「縁起」

だと説きます。

したがって、この世で縁起でないものは存在しません。

衆生の心は、覚りと迷いに二分されます。

その境目が

「界」

です。

前者が涅槃界であり、後者が煩悩界です。

「他力本願」(下旬)安心して生きる

救助信号であることを2人で確認し、倒れた11人の頬を叩いて起こした。

「おい、あの音を聞け」。

その13人の耳に

「必ず助ける、我にまかせよ」

と親の呼び声が聞こえてきた。

その瞬間、13人はやせこけた身体をぶつけ合うようにして、

「おい、助かったんだ」

と喜んだ。

これを浄土真宗では

「信心決定(しんじんけつじょう)」

と言います。

親鸞聖人がおっしゃっておられます。

「死んでからはいいです。

今生きている時に、安心して生きる道を教えてください」。

簡単に言うと

「信心定まった時に往生定まる」

これが親鸞聖人の教えの要です。

死んでからではないんです。

今生きている時に救われる身になるんです。

13人のゴムボートはまだ貨物船に乗っているのではありません。

けれども必ず助かる身になったから喜んだんです。

ゴムボートに近づくと、船長が

「日本に連れて帰ってやるから、1人50万円ずつ出せ」

とは言いません。

これが

「注文なし、差し支えなし」

ということです。

これも真宗の要です。

「ああしなさい、こうしなさい」

ではないんですね。

お話を聞いてもすぐ忘れる。

お念仏が出ない、本当に浄土はあるのか疑う。

このような私たちであることを阿弥陀さまは先刻ご承知の上で、針の先で突くうような隙もないようにして仕上げてくださったのが

「南無阿弥陀仏」

です。

貨物船では、主立った人がどうやって助けるか相談していた。

13人の若い船員が来て言った。

「船長、私たちが1人ずつ縄梯子を使って降りる。

それで1人ずつ背中に縛りつけて上がりますよ」。

船長は

「この真っ暗闇だ。

過って海に落ちたら浮かばんぞ」。

「そしたら船長、明日朝日が出るまで待ちますか」。

「だめだ。

明日の朝まで待ったら、生きてはおらん。

今すぐ救わなければならん」。

これが

「即得往生」

です。

船の後ろに積んであった起重機を持ってきて、そのさきにコンテナを運ぶネットを付けて、ゴムボートごと救うことになった。

ネットでゴムボートを抱えて、大きな甲板の上に置いた。

船員は毛布を持って待ち、1人ひとりを包んで船の中で一番いい部屋に連れて行った。

熱いお湯で身体を拭く。

そして重湯に塩を入れて飲ませ、ビタミン注射を打って

「よし、しばらく様子を見よう」。

そして助かった13人は懐かしの故郷に一路向かった。

そこには、父がいる、母がいる、夢にまで見た女房や子どもが待っている。

港は大騒ぎ。

「もう漂流して2週間が過ぎ、おそらくサメのエサになっただろう。

もう正月も近いし、しかたがない、合同葬儀をしよう」

と、漁業組合が準備をしていた。

そこへ海上保安庁から電報が入った。

「13人無事救助。

大きな船で29日の朝6時に沖合で止まって合図をするから迎えに来い」。

29日の朝6時というから、家族や漁業組合や関係者が28日の晩から待っていた。

冬の海はなかなか夜が明けない。

6時10分、何も見えない。

6時15分何も見えない。

本当に帰るのだろうかとちょっと不安が横切ったとき、沖合にロウソクのような火がぽっと浮かんだ。

火がだんだん近づいてきて、合図の汽笛が鳴った。

夜が明けた。

家族の人たちは、誰かれとなく冬の海に入っていき叫んだ

「お父ちゃん」。

それが波に乗り風に乗り、13人の耳に届いた。

もうすぐ桟橋に着くから待てばいいのに、待ちきれなかった。

冷たい海に飛び込み、遠浅の海を首までつかりながら浜辺に向かった。

そして波打ち際で親子兄弟抱き合いながら

「父ちゃん生きとった」

「帰ってきたぞ」

と、共に喜び合った。

これが

「倶会一処(くえいっしょ)」

という世界なんです。

「浅原才市(あさはらさいいち)」

1850〜1933年。

嘉永3年、岩見国迩摩郡大浜村大字小浜(島根県迩摩郡湯泉津町小浜)に生まれる。

昭和8年、83歳で死去。

妙好人が詩を作ったらどうなるか。

才市はその希有な実例であると言われています。

世界も愚痴でわしも愚痴で

阿弥陀も愚痴で

どうでも助ける愚痴の親さま

なむあみだぶつ

わしが阿弥陀になるじゃない

阿弥陀の方からわしになる

なむあみだぶつ

才市の詩は、技巧や彫刻を超えた所に蟻、自然のままであって、宗教的に奥深く、一種の妙技としかいいようがないものだと評価されています。

才市は、58歳頃までは船大工。

その後は、下駄作りを行っていました。

暮らしぶりは慎ましく、儲けたお金は、津波や冷害などの罹災地への見舞金として送ったり、本山の西本願寺へ布施をしたといわれます。

才市が詩を作り始めたのは、いつ頃からだったのか判然としませんが、一説には30歳で九州の博多に出稼ぎに生き、

「今親鸞」

とも称された高僧、七里恒順師から直接教化されたことがもとになったと言われています。

詩は木を削る仕事の合間に鉋(かんな)クズなどに書きつけられました。

それ以外にも、散歩の途中や、仏前での勤めなど、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)の折々に、あたかも滾々(こんこん)と湧き出る泉のように口を衝いて出ました。

詩興が浮かぶと、忘れないように自分の腕や手の甲にも書いたことがあったそうです。

そうした詩をノートに丹念に清書するようになるのは、大正2年、老境に入った64歳以降です。

生涯に残したノートは100冊ほどにものぼります。

書かれた文字は、彼独特の当て字や符牒のようなものが多く、字面を見れば、文字の読み書きが満足にできなかったように見えます。

そのため才市は無学だったとか、いやそうではなかったという議論があります。

けれども、そうした論議はこの際、関係ありません。

なぜなら、詩の内容が全てを語っているからです。

自分独り用の覚書から出発した才市の詩は、きわめて個人的なものでありながら、同時に普遍的なものに昇華しています。

才市が有名になったのは、戦後、鈴木大拙師が内外に紹介したことによります。

大拙師は、才市について

「実に妙好人中の妙好人である」

と絶賛しておられます。

8月6日に京都西本願寺で開催された、全国真宗仏教青年会のつどいに参加してきました

8月6日に京都西本願寺で開催された、全国真宗仏教青年会のつどいに参加してきました。

毎年、鹿児島の仏青は、全国津々浦まで、開催地へはバスで参加しているんですね。

今年もしかり・・・、京都へはバスで向かいました!

片道12時間の旅!!

以前は富山までバスで行った経験があったので(こちらも仏青大会で)少しは慣れて!?

バスの中も,ワイワイ♪ガヤガヤ♪<楽しみながら行きました。

京都に到着後、早速本山へ向かい、仏青全国大会へいざ出陣!!!

開会式終了後、的場亮氏による講演会がありました。

自分が笑顔になれば、周りも自然と笑顔になれる!

夢は逃げない!逃げるのは自分!!

諦めずに夢にむかって努力する!

などなど、元気な気持ちになれる講演内容でした。

その後グループワークがあり、手作りの腕輪念珠を作りました。

初めての念珠作りに悪戦苦闘しながらも、無事に作り終え、

自分の一番大切な人へメッセージを添えて、

透明のプラスチック容器に入れて終了!

「何故容器に入れるのだろう!?」

と疑問に思っていたら、

「参加者全員分の念珠入り容器で、で巨大な腕輪念珠を作るんですっ!」

と説明を受け、

納得するとともに感動!!!

みんなの思いが、ひとつの巨大腕輪念珠になりました。

その後は、各教区ブースを出店し、鹿児島教区は”かごしま弁クイズ”を書いた用紙を参加者に渡し、

「会場に散らばっている鹿児島教区のスタッフに答えを教えてもらって、正解の用紙を持ってきたら記念品を渡す!」

と、ちょっと手の込んだものでしたが、ブースには行列ができて大好評!!

記念品の西郷せんべいが、

「アッ」

という間になくなり、私たちのブースの周りには”なんちゃってかごしま弁”が飛び交ってました。

会場の雰囲気も、夏祭りを思わせるような熱気で、全国各教区のブースも大変盛り上がっていました♪♪♪

全国からたくさんの仏青会員が集まり、本当に実のある全国大会でした。

私も引率という立場ではありましたが、この全国大会を通してたくさんのありがたいご縁をいただきました。

『いのちはいただきもの』

私たちは、日頃特に気にすることもなく

「いのち」

という言葉を口にしていますが、改めて

「いのちとは何ですか」

と尋ねられたとしたら、その問いに即座に答えることが出来るでしょうか。

考えてみますと、今私はこうして生きていますが、自分が生まれてきた時のことを自覚的に語ることは出来ませんし、また必ず死んで行かなくてはならないのですが、死ぬとはいったいどのようなことなのか実感を持って語ることもできません。

そうすると、分からないところから始まって、分からないところで終わるのが私のいのちであり、人生だということになります。

顧みれば、私の意識では何も分からないのに、私はこの世に生まれて、そして気がついてみたら、既にこの私であったのです。

しかも、生まれてからすぐに私は私だと自覚した訳ではありません。

赤ちゃんの頃の記憶など皆無ですし、その頃はいわば生きようとする本能のままに生きていたのだと言えます。

言い換えると、私は私自身を自覚しないままに生きていたということです。

けれども、私が今ここにこうして生きているということは、わからない間も有形、無形の働きが支えていてくれたという事実があったからに違いありません。

それは、私から頼んだ覚えがないにもかかわらず、私を生かすために、無数の願いが、

「生きてくれ」

と支えていてくれたということです。

そのような意味で、

「いのち」

とは、願いの結晶だと言うことができます。

詩人の榎本栄一さんは、私たちのいのちのありようを

「罪悪深重」

という詩で

私は今日まで

海の大地の

無数の生きものを

食べてきた

私の罪の深さは

底知れず

と明らかにしておられます。

「海の、大地の無数の生きものを食べてきた」

まさに、これが私のいのちの事実です。

けれども、

「そんなことを気にしていたら、生きて行けないではないか」

と言われるかも知れません。

確かにその通りですし、人間以外の生きものも同様に他のいのちを食して生きています。

ただし、人間だけが他の生きものと決定的に異なる点があります。

それは、人間だけが

「殺す」

という意識をもって、他のいのちを殺しているということです。

それゆえに、人間だけが、生きものであることの意味を問い、生きものであることの恐ろしさを実感することが出来るのです。

したがって、無数の生きものを食べて生きていく限りにおいて、私が生きていることが、そのまま

「罪の深さは底知れず」

と実感できてこそ、初めて人は人間として生きていると言い得ます。

この世に生を受けているどんな生きものも、死にたいと思って生きている生きものは一つもありません。

こうして生きていながら、死にたいと考えたり実際に自ら死んでしまうのは人間だけです。

経典には、

「全ての生きものは、自らのいのちを愛して生きている」

と説かれています。

その無数のいのちを私たちは食べて生きているのですが、おそらくただ黙って死んでいく生きものなどいないと思われます。

そうだとすると、無数の生きものの

「声なき声」

とでも言うべき、いのち願いに、私たちは耳を傾け応える必要があるのではないでしょうか。

もちろん、具体的な言葉として耳にするということは不可能ですが、おそらくそこに願われていることは、頂いたいのちを無駄にしない生き方をこの私がしていくことだと思われます。

ともすれば、私たちは

「自分のいのちは自分だけのもの」

という錯覚に陥りがちなものです。

けれども、私のいのちは、願うに先立って既に阿弥陀仏に願われているいのちであり、同時にこれまで頂いてきた海の大地の無数の生きものから願われている

「いのち」

だといえます。

私のこのいのちは、自らが作ったものではなく、賜ったいのちであり、そして多くのいちのをいただいて生きているいのちであることの意味を、改めて考えてみたいものです。

「親鸞聖人の仏身・仏土観」(9月中期)

『唯信鈔文意』の次の文に注意してみたいと思います。

涅槃界といふは、無明のまどひをひるがへして無上覚をさとるなり。

界はさかひといふ。

さとりをひらくさかひなりとしるべし。

涅槃とまうすにその名無量なり。

くはしくまうすにあたはず。

おろおろその名をあらはすべし。

涅槃をば滅度といふ。

無為といふ。

安楽といふ。

実相といふ。

法身といふ。

法性といふ。

真如といふ。

一如といふ。

仏性といふ。

仏性すなはち如来なり。

界とはさかい、境界の意です。

「無明の惑いを翻して、無上覚をさとる」

と述べられていますから、覚りと迷いを分けている境目が、いま

「界」

と呼ばれています。

そして、無明の惑いの境界を越えて、覚りに至った場が、無上覚であり涅槃となります。

では、その

「涅槃」

とは、いかなる場なのでしょうか。

涅槃の義は深遠であって、その義を詳細に述べることはできません。

不十分ではありますが、涅槃の同義語をいくつか拾ってみると、

「滅度・無為・安楽・実相・法身・法性・真如・一如・仏性・如来」

といった語を涅槃に重ねることができるといわれます。

この中

「無為・安楽・常楽」

の語意については、すでに検討を終えています。

いずれも、世俗の執着の場における感覚的・快楽的な楽を意味するのではなく、この語の内実がそのまま

「無苦無楽」

なのですから、仏の正覚としての大楽を意味したのです。

だからこそ、これらの語がそのまま

「実相・法性・真如・仏性」

等の同義語とみなされるのです。

そうしますと、涅槃界としての阿弥陀仏の浄土は、固定的な場所ではありえなくなります。

そこで

「涅槃界」

はさらに、

この如来微塵世界にみちみちてまします。

すなはち一切群生海の心にみちたまへるなり。

草木国土ことごとくみな成仏すととけり。

と解釈されます。

法身であり一如である如来は、無限の国土の微塵の世界に満ち満ちています。

そうしますと、一切の群生海、生きとし生ける衆生は、心のすべてが常に何時いかなる場においても如来で満たされているといわなくてはなりません。