「教育と宗教」親とは思わない

武蔵野女子学院学院長 田中教照 さん

 

もちろん学校にもいろんな悪い所はあるでしょうけども、子どもを入れたからには、あの学校はいい。

あの先生はすばらしいと言いたいものです。

逆に子どもの方からあの先生はあまりよくないと言ってくるなら、その悪い部分をお前がカバーしていくんだよと諭した方がはるかにすばらしいと思います。 

 

私にそのことを教えてくれたのは私の友人でした。

当時私は理系の道に進もうと思っていました。

ところが物理の授業が問題でした。というのも、その先生の授業は浪花節みたいで何を言っているのか全然理解できなかったからです。

それで物理ができなくて、理系から文系に転向したんです。

 その後、大学に入ってから友人に

「あの先生の授業はひどくて全然わからなかったな」

と話しましたら、彼に

「僕はあの先生に頼ってたら物理はうまくならないと思ったから、自分で勉強したよ」

と言われました。

それはその通りですよね。

先生が悪いからといくら文句を言っても自分が偉くなれるわけじゃない。

先生がダメだったら自分が勉強する気になればいいという話ですよ。

こいつにはかなわないと思いましたね。

 人間がやることなんですから、教育には完ぺきなんてありません。

ならば、その不完全さをどう受けとめて、どう乗り越えるかということも自分の力を伸ばすきっかけになるわけです。

 いい先生について伸ばしてもらうのも一つの生き方なんですけれども、先生に頼ってはいられないと、自立を促してくれるような先生も教育になってるんですよ。

だからいい先生だけがいい教育をするとは必ずしも言えないわけです。

要は、お互いにいいところを認め合いながら、悪いところをカバーしていくということが大事なんです。

ですから学校の先生は家庭のことを、ああだこうだと絶対言っちゃいけない。

生徒から親のことで相談されたら、ご両親はあなたのことをちゃんと考えて話し合ってるよと言ってあげることで、気持ちが親の方に向くんですよね。

それを自分の親はひどいと子どもが言うのに対して、先生もそんな親はけしからんなんて言ってしまったら、親子の関係を余計悪くすることにもなりかねません。

お互いに相手を立てるということが大事なんじゃないでしょうか。

それは夫婦でも同じことです。

夫婦で互いに非難しているのだとしたら、そうではなくてお互いに

「今の私があるのはあなたのおかげ」

と言えれば、例えお世辞であっても子どもは悪い気はしません。

それを子どもの前で、親が目くじらを立ててケンカしていては喜ぶ子どもは一人もいませんよ。

ですから私は父母の会で、子どもの前では絶対夫婦げんかはやめてほしい。

せめて隣の部屋に行ってやってください。

声は聞こえても、冷たい目で相手をにらみつけている顔を子どもに見せないようにと言っています。

子どもがそんな顔を見たら親とは思わないでしょうからね。

場所をわきまえて、節度を持ってください。

そしてやっぱり相手を立てるということを大事にしてください。