親鸞聖人の往生観(1)12月(後期)

 それでは、どういうことが現実において重要なのでしょうか。

仏教は何を説くか、ということですが、これは原理的には簡単です。

心を清らかにし、正しい行いをすればよいのです。

そのために正しい考え方と、正しい言葉遣いと、正しい見方をする。

正しい努力をともなった、正しい生活をしなさいと説くのです。

もしすべての人が、このような生活を実行すれば、それはもうここにすばらしい社会が実現し、お互いが仏の心になっていくといえます。

そこで人びとは、自分に対しても他人に対しても、清らかな行いをして、すばらしい世界をつくろうと呼びかけるのです。

これはまことに立派な実践であり、とてもわかりやすい教えであるといえます。

ではこの教えのどこが方便なのでしょうか。

一見不思議に思われるかもしれませんが。

現に世の中にある多くの教えは、こういう立場にたって、その教えを宣布しているからです。

しかし、この教えを親鸞聖人は真実と見ないで、方便と見たのです。

 なぜかというと、この双樹林下往生を願う人びとは、自らは一心に仏道を歩みながら、その仏道をともすれば自分勝手な正義観でつかまえようとしてしまうのです。

つまり、わが道こそが絶対に正しいのだとかたくなに信じて、その信を自分の正義にしてしまう、そういう方向を持ってしまうのです。

ですから、ともすれば偽の教えにしたがって生きている人びとと重なる面を持ってしまうといえます。

まさしく「我」にとらわれたまま、自分の正義を振りかざして、互いの善と善をぶつけ合うという、自分を作り出してしまうのです。

そしてさらに恐いことは、そういう自分勝手な思いに支配された行動が、仏道であると考えてしまうことです。

そのような錯覚をおこさしめる危険を、この双樹林下往生の立場はもっているのです。

この立場はわかりやすく、人びとの心に強く訴えますので、人びとを動かすエネルギーをもっています。

しかし、それだけにこの立場が、いったん誤ると恐ろしい結果をもたらします。