お釈迦様は様々な人生の苦しみの解決の道を求めて出家し、修行の旅に出られました。
厳しい修行や瞑想の後におさとりを開かれて、一切の真理・真実に目覚められました。
(仏陀というのは「(真実に)目覚めた人」の意)
真理・真実というものは時代や地域、世間の価値観の変化を超えて普遍的な変わりようのない唯一不二のものです。
お釈迦様はおさとりを開かれた後、旅をしながら出会う人、道を求める人にその教えを説いて、一人一人がおさとりをひらいて真実に目覚めるように説法をされました。
その説法は話される相手に応じて百人百様、千人千様であったと言われています。
お釈迦様が亡くなられた後、その説かれた尊い教えが正しく後世に伝わるようにと、お経という形で残されました。
今私たちがお釈迦様の説かれた仏教に出会えるのは、そのお経に書かれたお釈迦様の言葉によってであります。
お経は当時の言葉でスートラ(sutra)と言いますが、三蔵法師によってその働きから
「縦糸」
という意味の
「経」
に訳され、スートラという音を
「修多羅」
と漢字で表されました。
縦糸という意味の
「経」
は、私たちの人生を貫く真実の教えを表し、私たち一人一人の一生を貫いて大切なことを知らしめるものという意味を含んでいます。
また修多羅は、正信偈に
「依修多羅顕真実(え・しゅ・た・ら・けん・しん・じつ)」
(修多羅によりて真実をあらわす)
と出てくるように、お釈迦様の説かれた言葉によって”今””私”が真実に遇うことができるのです。
この世の一切は無常(常に生じたり、滅したり、変化し続けている様)なる存在であればこそ、時と空間を超えて変わらない真実が、真実の言葉によって届けられていることを大切に思いたいものです。