『「動」人を育てる』(中旬)親、先生が“教えるべきこと”は「しつけ」

私の教え子には、サッカーの日本代表選手が3人おります。

大久保嘉人、徳永悠平、平山相太です。

その前は、三浦淳宏とかおります。

もし、私がいちいち口出しをして、私のやり方を教え込むだけだったら、彼らはみんなワンパターンな選手になっていたでしょう。

でも、彼らは一人ひとり全部違います。

大久保嘉人は好き勝手動きますし、平山相太は高さを生かしたプレーをします。

他にも、横浜FCにいる三浦淳宏はフリーキックが天下一品ですね。

それも、毎日の練習の中で自分で遊びながら生み出していったんですよ。

私は三浦淳宏に、フリーキックは毎日10本の練習をするように言っていました。

毎日100本も蹴っていたら、それでケガをしてしまいますからね。

1日10本蹴れば、1年間で3650本蹴ることになります。

その積み重ねが上達につながる訳です。

それで彼は、1日1日蹴り方を変えながら、毎日練習しました。

そんな中で、自分にマッチした蹴り方を見つけて、そのやり方で日本一になったんです。

このように、いい選手の個性というのは、自由な発想から生まれるんですよ。

個性はその人の持ち味です。

三浦淳宏のフリーキック。

平山相太の柔らかいヘディングといった、彼らの個性、得意武器は周りから指示されたものにしたがっていただけでは出来ません。

では、教育で私たちが子どもに

「教えるべきこと」

は何かというと、それは私たちが社会生活をしていく上で、最低限必要なこと。

要するに

「しつけ」

ですね。

時間に遅れないこと。

物を出したら後片付けをすること。

みんなと一緒の時は協力すること。

会社の上司や学校の先生、先輩に挨拶をすること。

社会では、当然のことです。

しかし、最近ではそれが出来ない若者がいるという話を聞きます。

会社で部長と課長がいても知らん顔。

声をかけても反応しない。

それが一流大学を出た新入社員の様子だそうですよ。

これはみなさん、家庭ですよ。

幼いころに、そういうことをきちっと家族が教えていたら、ピシッと育っていたんです。

以前、保護観察官を務めていた人に話を聞いたことがあります。

その人が言うには、保護観察を受ける人には共通点があって、

「あー」

とか

「うー」

とか、まともに挨拶と返事が出来ないそうです。

裏を返せば、それがごく自然に出来ない人は、非行に走る確率が高いといいますね。

だから、我々の社会生活においては、学校の指導者が、そして家庭がこれを教えないといけないんですよ。

近所の人に会ったら、ちゃんと挨拶、そうしたら気持ちがいいでしょう。

そう教えるんです。

そりゃあ、最初は強制かもしれません。

でも、私が国見高校で教師をした時、ある校長さんが、挨拶をさせるよう指導しようと言ったんですね。

この国見高校は、私が行く前は、生徒の煙草で校舎が火事になったこともあるような悪い学校でしたが、こいつは何とかしなくちゃいかんという先生方のピシッとした指導があって、お蔭さまで今のように良くなったんです。

そういうことを家庭でしつけられていた子ども達は、ごく自然に挨拶が出来るそうですね。

だから、5歳までに家庭で教えておくんですよ。

まず家庭で、母親なり家族がちゃんとしつけて、それで学校でも先生がそういうことを教える。

そうすれば、ごく自然に出来るんです。