小説 親鸞・乱国篇 第一の声 10月(1)

朱雀(すじゃく)の辻に、鈴(れい)を鳴らして、今朝からわめいている男があった。

蜂にでもさされたのか、陽に焼けた顔が、腐った柘榴(ざくろ)みたいに凸凹(でこぼこ)にゆがんでいる。

大きな鼻と、強情らしい唇を持ち、栗のイガみたいに、ぼうぼうと伸びた坊主頭には白い埃(ほこり)がたかっていた。

年ごろは、そんな風なので、見当がつかない。

三十とも見えるし、四十かとも思われる。

身は、やぶれ衣に、縄の帯一つ。

そして、沓(くつ)よりは丈夫らしい素裸足で、ぬっと、大地から生えているというかたちである。

りいん!りいん!振り鳴らす鈴の音も、なみな力ではないのだった。

群衆は、取りまいて、

「何じゃ」

「どこの山法師かよ」と、ささやき合った。

残暑の往来を、牛車が、埃(ほこり)をたてて軋(きし)る。

 貴人の輿(こし)が通って行く。

 

また、清盛入道の飛(ひ)耳(じ)張目(ちょうもく)――六波(ろくは)羅(ら)童(わっぱ)と呼んで市人(まちびと)に恐れられている赤い直垂(ひたたれ)を着た、十四、五歳の少年たちが、なにか、平(へい)相国(しょうこく)の悪口でも演じているのではないかと、こまかくしゃくれた眼を、きょろきょろさせ、手に鞭(むち)を持って、群れの蔭からのぞいている。

だが、男は、憚(はばか)らない大声で、自分のシャガレ声に熱し切ると、われを忘れたように、右手の鈴を、宙にあげて、

「静聴、静聴っ――」と呶鳴(どな)った。

「――沙(しゃ)弥(み)文(もん)覚(がく)、敬って、路傍の大衆に申す。

それ、今世のすがたを見るに、雲上の月は、絶えまなく政権(まつり)の争奪と、逸楽の妖雲に戯れ、下天の草々は、野望の武士の弓矢をつつむ。

法(ほう)城(じょう)は呪詛(じゅそ)の炎に焼かれざるはなく、百姓、商人、工匠(たくみ)たちの凡下(ぼんげ)は、住むべき家にも惑い、飢(き)寒(かん)に泣く。

――まず、そうした世に生きる人間どもは、必然、功利に溺れ、猜疑(さいぎ)深く、骨肉相食(あいは)み、自己を省みず、利を獲れば身をほろぼし、貧に落つれば、人のみを呪う。

富者も餓鬼(がき)!貧者も餓鬼!そして滔々(とうとう)と、この人の世を濁流にする――」額に汗して、そこまで、一息にいった。

そして、りいん!とさらに、鈴を振りかけると、

「乞食(こじき)法師、待て」誰か、呶鳴った。

赤い直垂が、人垣をかきわけて、前へ出てきた。

(六波羅小僧)人々は、眼と眼で、ささやき合った。

不安な顔をして、法師の鈴と、少年の鞭とを、見くらべた。

法師は、傲(ごう)然(ぜん)と、

「何かっ」と、いった。

平家の庁の威光をかさに着て、いかにも、小生意気らしい町隠密の少年は、鞭で、大地をたたきながら、

「おのれは今、――富者も餓鬼、――貧者も餓鬼、――そして、雲上は政権の争奪と、逸楽の妖雲におおわれていると」

 「ははは………人の話は、仕舞いまで聞け、それは、昨日の源氏の世をいうたのだ。

 

 ……これから、今日のことをいう。

 だまって、そこにいて、聞いておれ!」

 鈴を、ふところに入れて、その懐中(ふところ)から、文覚は、何やら、紙屋紙(かみやがみ)に書いた一通の反故(ほご)を取り出した。

 

※「法城」=仏法をくずれない城にたとえた語で、よりどころとする仏法・教団

※「凡下」=鎌倉時代の身分の一つで、騎乗する侍の下、所従や下人の上。

室町時代では地下人、雑人、平民。

 ※「紙屋紙」=平安時代、京都の紙屋院で漉いた上質の紙