小説 親鸞・乱国篇 第一の声 10月(3)

「盛遠殿」旅商人はまた、辻の柳の樹の蔭から声をかけて、

「もう誰も、お身のまわりに聞いている者はいないぞ。

――盛遠殿」文覚は、はっと、勧進の文から顔を話して、いつのまにか、犬もいない当たりの空地に、舌うちをした。

そして、腹だたしげに、

「やんぬるかな!」とつぶやいて、勧進の文をぐるぐると巻き、ふところに突っ込んで、歩みかけた。

すると、日除(ひよけ)傘(がさ)で顔を縛った旅人は、ついと、彼のそばへ寄ってきて、文覚の肩をたたいた。

文覚は、じろりと眼を向けて、

「おう。

堀井(ほりい)弥(や)太(た)か」始めて、驚いたらしい顔をして手をのばした。

弥太と呼ばれた旅の男は、なつかしげに、路傍へわかれた。

さっきの赤直垂の小僧が、ちんと、手(て)洟(ばな)をかみながら、二人のあいだを、威張って通って行った。

そして、小馬鹿にしたような眼を振り向けて、ヘヘラ笑いを投げた。

旅商人は、その眼へ、わざと見せるように、ふところ紙を出して、銭をつつんでいた。

そして、文覚の手へ、

「御寄進――」といって、渡した。

「や」文覚は、真面目に受けとって、押しいただいた。

「一枚半銭のご奉加も、今の文覚にはかたじけない、路傍にさけんでも、人は、耳をかさず、院の御所へ、合力とて願いに参れば、犬でも来たかのように、つまみ出される…」

旅商人の堀井弥太は、先へ、足を早めながら、

「碩(かわら)へ」と、顎をしゃくって、見せた。

頷きながら、文覚は、てくてくと後からついてゆく。

牛の糞(ふん)と、白い土が、ぽくぽくと乾いて、足の裏を焼くような、京の大路であった。

だが、加茂の堤に出ると、咸(かん)陽宮(ようきゅう)の唐画にでもありそうな柳樹の並木に、清冽な水がながめられて、冷やりと、顔へ、濡れ紙のような風があたる。

「ここらでよかろう」二人は土手に座った。

汗くさい文覚の破れ衣に、女郎花(おみなえし)の黄色い穂がしなだれる。

「しばらくだなあ」弥太がいうと、

「無事か」と、文覚もいう。

「いや、俗身はそこもとのように、なかなか無事ではない」

「俺とても、同じことだ」からからと、文覚は、笑って、

「聞かぬか、近頃の噂を」

「今日、都みやこへついたばかり。

何のうわさも聞いておらぬ」

「そうか。

…実は、神護建立の勧進のため、院の御所へ踏み行って、おりから、琵琶や朗詠に酒宴をしていた大臣(おとど)どもに、下々の困苦の呪い、迷路の呻きなど、世の実相(さま)を、一席講じて、この呆痴(たわけ)輩(ばら)と一喝したところ、武者所の侍どもに、襟がみ取って抛(ほう)り出され、それ、その時の傷や瘤(こぶ)が、まだこの顔から消えておるまいが…」イガ栗の頭を撫でて、笑いながら示すのだった。

顔の凸凹に腫れあがっているのも、その時の棒傷であったらしい。

※「咸陽宮」=中国・秦の始皇帝が、首都咸陽に建設した宮殿