一方、津波で亡くなった方の連絡は、次々入りました。
南相馬市では500人以上の方が津波で亡くなったので、一時油がなくなって火葬場がストップするようなこともありました。
私は火葬場でこんな経験もしました。
ご門徒の遺体が見つからなかったため、火葬される前にお参りしたいと思い、袈裟を付け、衣体を整えて遺体収容所に行くと
「あなたはいったい誰ですか」
と言われたんです。
理由を説明してもダメでした。
原因は赤の他人だったからです。
しかし、すぐそばには、読経ボランティアで来ているお坊さんがいるんですよ。
どの宗派の方かわかりませんが、南相馬市の僧侶でないことだけは確かでした。
どの宗派かもわからないお坊さんがお経をあげているんです。
それなのに、なぜ所属寺の住職がお参りできないのか。
「こんなバカな話はない」
と、そのときは本当に悔しい思いをしましたね。
平成23年という年は、いろんなことで苦労しました。
あっちこっち行ったり来たり。
今振り返ってみますと、ただ思いつくままに動き回っていたばかりだったんじゃないかな、と反省することばかりです。
昨年の4月16日、私のお寺があります小高区は、避難指示解除準備区域という、放射線量が下がればいつでも戻れる状況にはなったんですが、水は出ませんし、排水もできません。
また光慶寺は警戒区域が解除されたとはいえ、原発から20キロメートル圏内にあるで、ボランティアの方も足を踏み入れるのは躊躇(ちゅうちょ)する場所です。
しかし同じ浄土真宗の若い仲間たちが、
「誰も行かないんだったら、俺たちが行くよ」
と言って、13〜14名の方が、3回も来て下さったんです。
雨漏りで本堂はかなりボロボロだったんですが、それを仏壇屋さんのご指導もいただいて、分解して外陣におろし、汚れた仏具類も丁寧に掃除していただいたおかげで、内陣はずいぶんきれいになりました。
それで
「時期がくれば何とか再建に向けて取りかかれる」
という状況まで至っております。
これから賠償のことなど課題は山積みですが、私の住んでいる人口2万に満たない小さな町にも、お寺を中心としたコミニュティが180年前から連綿と続いています。
お寺はそのコミニュティの小さな歯車の一部で、この歯車の一部が回らなければ、地域の再生は難しいんじゃないかと考えています。
だからどんなことがあっても、いつでもその歯車が回るようにしておきたいと思っています。
東北人はよく牛にたとえられます。
動きがゆっくりで鈍い。
しかし、牛のゆったりな動きであっても、一歩一歩力強く前を向き、離れ離れになったご門徒と連絡を取りながら進んでいきたいなと思っています。