除夜に鐘を撞くのは、どうしてですか?

一年を振り返り、感謝の気持ちを仏さまや家族にあらわすために、大晦日にお勤めする法要を

「除夜会」

といいます。

また、この夜午前零時前から

「除夜の鐘」

を撞くお寺が多いようです。

お寺で撞く鐘のことを

「梵鐘(ぼんしょう)」

といい、梵鐘も大切な仏具の一つです。

童謡『夕焼け小焼け』の中で、

「夕焼け小焼けで日が暮れて、山のお寺の鐘がなる」

とあります。

(ちなみにこのお寺、長野県にある私の知人のお寺の鐘の音だそうです)

法要があることをお知らせするために撞いたり、朝夕のお勤め前後に撞いていたことから時報の代わりとして根付いている地域も多くあります。

さて、除夜の鐘についてですが、108回撞くと聞いたことのある方が多いのではないでしょうか。

古来仏教では、人間には煩悩が108あると考えられてきました。

特にその代表的なものとして『欲望、怒り、執着』などがあげられます。

一年の煩悩を祓おうと撞いてはいませんか?

「梵鐘」を法具だと申しました。

鐘の音も、私が仏さまの声を聞かせていただく大切な仏事となります。

この私といのは、次から次へと煩悩が絶えず溢れてきて、一度は反省をしても、すぐに違う悩みを抱えてしまいます。

とてもとても108回では足りないのではないでしょうか。

ともすると、そんな私というのは、大晦日に限らず毎日毎日、一年中鐘を撞き続けばなければならないほどの煩悩を抱えているはずです。

鐘を撞くことが大事なのではなく、鐘の撞かれた数を数えることが大切なのでもありません。

一年を振り返る中に、私がどのような命の日暮しを過ごしてきたのか、どれほどの支えをいただいて一年の終わりを迎えることができたのか。

改めていただいた命をしっかりと見つめ、そして感謝を申しあげる日が、除夜会であり

「除夜の鐘」

の音の響きとなるのではないでしょうか。