2022年7月法話 『蝉しぐれ 今日の一日を惜しみつつ』(中期)

「蝉しぐれ」というのは、多くの蝉が一斉に鳴きたてる声を時雨(しぐれ、じう)の降る音に見立てた語で、俳句では夏の季語です。蝉は、現存するわが国最古の歌集である「万葉集」に登場することから、その鳴き声は昔から人々の感情に共鳴してきたことが知られます。

また、「時雨」とは、おもに秋から冬にかけて起こる、一時的に降ったり止んだりする雨のことで、時雨が降る天候に変わることを「しぐれる」とも言います。なお、「時雨」は元来「ほどよい時に降る雨」を意味していましたが、転じて善行により人々を安寧に導く「教化」を比喩する言葉として用いられるようになりました。

周知のように、蝉は一斉に鳴き出したと思うと一斉に鳴き止んだりしますが、そのありさまが突然降ってきたかと思うと、いきなり止んでしまったりする時雨になぞらえて「蝉しぐれ」と言われているわけです。

この「蝉しぐれ」という言葉は、俳句では夏の季語として用いられ、夏の暑さを表したり、晩夏(陰暦の6月、新暦では7月7日から8月7日/8日は立秋)に夏を惜しむ気持ちを表す際などに使われたりしています。

とはいえ、晩夏に該当する7月7日から8月7日の間は、実際には「夏を惜しむ」どころではなく、感覚的には「炎暑」「酷暑」「猛暑」といった言葉がピッタリで、蝉の声を聴くと体感的に気温が5℃くらいアップして、思わず「溶けそう」とつぶやいたりしてしまうほどです。

ところで、蝉は幼虫として3年から17年ほど地下で生活した後、地上に出てきて成虫となりますが、これまで成虫として生きる期間は1-2週間ほどといわれてきました。けれども、2000年代頃から研究が進み、現在では1か月程度は生きることが分かってきました。なぜ1-2週間ほどと思われてきたのかというと、多くの個体が寿命に達する前にクモ、カマキリ、鳥などに捕食されるからです。また、幼虫から羽化する際も、無防備な状態にあるためスズメバチやアリなどに襲われる危険性もあったりします。そのため、成虫になるときは、夕方地上に現れ、日没後に羽化を始め、夜の間に羽を伸ばし、朝までには飛翔できる状態になります。ただし、すぐに鳴けるようになるのではなく、数日間は小さな音しか出せません。

さて、今月の言葉の「蝉しぐれ」の後に「今日の一日を惜しみつつ」とあるのはどうしてなのでしょうか。既に述べたように、蝉が地上に出て鳴く期間はわずか1か月足らずで、しかもその1か月足らずの間さえ全うするのは容易ではなく、クモ、カマキリ、鳥などの天敵の襲来がいつあるか分かりません。「キジも鳴かずば撃たれまい」という諺がありますが、それになぞらえて、一斉に鳴いている蝉たちに、地上での残り少ない生涯なのだから、その寿命を迎えるときまで全うできるように、「蝉も鳴かずば食われまい」と声かけしたい気もしますが、蝉が鳴くのにはちゃんとした理由があります。実は、鳴いているのは雄の蝉で、朝から元気よく鳴いているのは、雌に自分の存在を知らせるためです。つまり、成虫になってから死ぬまでの間に、自分たちの子孫を残すために頑張っているというわけです。

ところで、「今日の一日を惜しむ」というのは、言い換えると「今日一日の命を惜しむ」ということではないかと思われます。そうすると「命を惜しむ」というのは、「死ぬことを心残りに思う」「もっと長生きしたい」ということですから、この句は、「時雨のように、一斉に鳴いたり、鳴き止んだり蝉は、残り少なくなっていくいのちを、もっと長く生きられたら…と惜しみながら、それでも今日で終わるかもしれないいのちだからこそ、声の限りに鳴いて、いのちを輝かせているのだろう」と味わうことができます。

けれども、いのちの長さはともかく、生まれた以上必ず死んでいかなければならないことと、それがいつか分からないという二つの事柄は、蝉も人も何ら変わりはありません。私たちは、いつか漠然と自分が死ぬということは知っていても、それはいつも他の人のことであって、まるで自分だけはいつまでも生きられるかのような錯覚の中にあります。

そのような私に、蝉はその鳴き声を通して、「あなたは、いつその命が終わっても大丈夫か。本当に自分が自分に生まれて良かったと言えるような生き方をしているか。死ななければならない人生に生きがいを感じているか」といった、大切なことを問いかけているのではなかろうかと思われます。

そうすると、ふりしきる蝉しぐれの下を歩きながら、「溶けそう」とつぶやき、ため息ばかりついていたのでは、蝉に「申し訳ないな」と思ったりすることです。