投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

「人生、好んで楽しもう」(中旬)じゃれあって、冗談を言える夫婦がいい

みなさん、夫婦って不思議だと思いませんか。

全くの赤の他人が二人で一緒になって、二人の間に血のつながったお子さんができるのに、肝心の亭主と奥さんの血はつながっていない。

こんな不思議なことを人類は、昔から営んできてるわけです。

ケンカしつつも、何だかんだ言いながら、最後まで幸せを求めて生きてこられる仲のいい夫婦がある一方で、亭主の定年退職後に離婚する夫婦もあります。

それは、本当に自分のことを大事にしてくれているのかという思いがあるからなんだそうです。

結婚したときは可愛がってくれたのに、後になると空気よりも軽い扱いを受けると言う奥さんがいらっしゃいます。

それで、定年退職で亭主がずっと家にいるということになると、おくさんは嫌気がさして離婚してしまう訳です。

これは、亭主が悪い。

亭主が少しでも甘えた言葉を交わさなかったことの因果応報なんですよね。

奥さんに心配かけないように、たまにはいいこと言わないとダメだってことです。

言葉とは便利なものです。

「お母さん、きょうはね、駅前の花屋さんで花を買ってきたんだけど、台所の隅に飾っとけば」

と言ってごらんなさい。

そうしたら、きっと奥さんは

「結婚してよかった」

と思ってくれますよ。

だから、奥さんが喜ぶことをやらないといけない。

一番いいのはご飯ですね。

子どもは正直だから、本当に美味しかったら素直に褒めます。

でも亭主は、そうは言わないんですね。

「おい、お前ら。

お皿とかきれいに片づけろ」

「テレビ、いつまでも見てるんじゃない。

あしたも学校あるんだから、早く寝ろ」

「母さん、つまようじ。お茶。

おれも寝る」

とかね。

これじゃつまらないですよ。

そうすると、奥さんは

「子どもたちは私の料理を褒めてくれたのに、肝心の亭主は何も言ってくれない。

私の料理はまずかったのかしら」

と言って、だんだん亭主に嫌気がさしてくるんです。

やっぱり子どもと同じように褒めなきゃいけません。

褒め方もいろいろあります。

いい加減な褒め方はダメですよ。

例えば、一品を名指しで、子ども以上に

「うまい」

と大げさに褒めるんです。

そうすると、奥さんは疲れがとれて

「お父さんが私の料理美味しかったと言ってくれたし、明日も頑張るわ」

という感じになるんです。

そうやってじゃれ合って、冗談を言い合える夫婦がいいですね。

例えば、街中で泣いている人、怒っている人、笑っている人がいたら、みなさんはどうしますか。

泣いてる人だったら、そっとしておこうとその人の前を通り過ぎるでしょうし、怒ってる人がいたら、巻き込まれたら嫌だなと思って、避けて通ります。

でも、笑ってる人がいたら、何を笑ってるのかな、楽しそうだなと興味を引かれて、その中に入って行こうとするでしょう。

笑いってのは、それほど大きいんですよ。

価値観が全然違う。

喜怒哀楽ともいいますが、笑っているのが一番です。

だから、どなん顔の人でも、笑っているときれいになるんです。

笑顔というのは最高に美しい顔なんです。

『来迎』

仏教では、私たちの姿を

「迷える者」

と呼びます。

私たちの毎日は、先がほとんど見えず、心は常に不安で揺れ動いています。

幸福な人生を楽しく豊かな生き方を求めて努力しながら、よき結果はなかなか得られません。

そこで、日常の多くは、他人と争い、苛立ち、苦悩し、痛む心で満ちています。

人間はお互い、世間や未来を正しく見る目を持っていないからで、それ故に、人は迷い疲れて苦痛に満ちた人生を送らなければならないのです。

仏教は、この迷える者のために、その迷いを破る道を教えます。

釈尊自身、苦悩の人生のただ中で、極めて厳しい行道によって智慧を完成させ、迷いを根底から破って何ものにも動じない悟りの心を得られたからです。

そこで人々は、釈尊の教えにしたがって安らかな心を得ようと願い、仏教はこの人々に悟りへの道を教えるのです。

この仏教に、聖道門と浄土門という、二つの大きな流れがあります。

聖道門とは、この世で釈尊と同様の悟りを開くことを目指す仏教ですが、よほど優れた者でなければこの行の実践は不可能だと言わなければなりません。

そこでこの門を通れるのは、ごく限られた聖者のみということで、この仏道が聖道門と呼ばれるのです。

私たち大多数の凡人は、当然のこととして、この厳しい実践に堪え、この世で悟ることは不可能です。

けれども、やすらかな心を得たいという願いは、聖者の心と変わりません。

そこで、阿弥陀仏の本願に救いを求め、次の世に浄土に生まれることが確約されて、この世で安堵を得たいと願う仏教がいま一つ求められたのです。

それが、浄土門です。

そこで浄土門では、ただ阿弥陀仏のみを信じ、口に南無阿弥陀仏を称え、一心に浄土へ生まれたいと願い続ける行道が求められているのです。

ところで、この念仏者は、いま一心に称名念仏を称え続けています。

それは、阿弥陀仏の名を呼び、阿弥陀仏の心をわが方に向けさせ、その本願力によって我を救い給えという一心の願いです。

そうであれば、阿弥陀仏の大悲は、この願いに応えられないはずしありません。

その証が、この念仏者の臨終に現れます。

この念仏者の仏道を誉めて、阿弥陀仏自身が多くの菩薩を伴って、この者を浄土に生まれさせるためにその臨終に迎えに来られるのです。

この臨終来迎の思想は、平安中期以後、浄土教信仰が盛んになるにつれて広く求められることになりましたが、親鸞聖人の思想の特徴は、この臨終来迎を否定されたところにあります。

なぜ、親鸞聖人は浄土教者が最も願い求めた、阿弥陀仏の臨終時の来迎を否定されたのでしょうか。

それは、南無阿弥陀仏とは私の阿弥陀仏への信を示す言葉ですが、私の口から南無阿弥陀仏が称えられたということは、私が称えるに先立って、阿弥陀仏が私を呼んでくださっていると見られたからです。

つまり、阿弥陀仏は臨終において初めて私の前に来られるのではなくて、私がいま念仏を称えているここに阿弥陀仏が私を摂め取っておられるすがたがあるのです。

そこで、親鸞聖人は臨終の来迎を必要とはされなかったのです。

3月に起こった東日本大震災より発生から3ケ月程経ちました。

3月に起こった東日本大震災より発生から3ケ月程経ちました。

未だに多くの安否のわからない方々がいらっしゃいます。

また、避難所での生活を余儀なくされている方々や、福島原発の周辺では住み慣れた土地からの退去を強いられている方々もおいでです。

その窮状を伝え聞く度に、本当に胸が痛むとともに、今回の震災被害が及ぼしている深刻さを痛感させられることです。

特に今回の事で、原発の問題については、多くの方がいろいろなことを考えさせられたのではないかと思います。

「安全」

の名のもとに推し進められてきた原発政策が決してその名の通りではなかったこと。

震災後、次々と明らかになる深刻な事態に、政府や電力会社に不信感を覚える人も少なくないと思います。

大自然の力の前には、人間の力がいかに無力であるかという事を今さらながらに思い知らされたことですが、その一方で人間は自らが作り出したものであっても、ひと度予測を超えるような出来事に直面すると、自からの思うように扱う事の出来ない現実を目の当たりにして、

「科学万能主義」

に陥っていた私たち人間の思い上がりや愚かしさに気付かされたことです。

ただ今、京都の御本山(西本願寺)においてお勤まりになっております

『親鸞聖人750回大遠忌法要』

において、御門主様の

「お言葉」

の中に

「人間の知恵には限りがあるが、欲望には限りが無い」

とありました。

経済活動を優先した人間中心の考え方は、もうすでに破たんをきたしており、私たちは快適さや便利さ追い求めるあまりに、自分達で自らの首を絞めているのかもしれません。

私たちの住むこの世界、この国は、今ここに生きる私たちのモノではありません。

先祖から受け継ぎ、また同じように子孫へと残していかなければならないものです。

そのような連鎖の中で、生かされたいのちであると、仏教は私たちに教えてくれます。

仏法に照らし出された私のありのままのすがたは、どこまでも自分中心のものの見方を離れることの出来ない、愚痴なるすがたです。

その気づき、自覚の中で世の中のことに関わっていく。

まさに本来の仏弟子、念仏者たる生き方が今こそ問われているような気がいたします。

『流す涙に育てられるものもある』

イギリスのファラデーという科学者は、大学の科学科の学生達に一本の試験管をもって、次のように尋ねたそうです。

「この試験管の中には、少量の液体が入っている。

何だと思う?」

学生達は、

「水分と少しの塩分です。」

と答えました。

するとファラデーは、

「先程、ある学生のお母さんが、私の所へ来られた。

子供のことが心配で、涙を流して語っていかれた。

母親の愛情の深さには、本当に心を打たれる。

その時の涙がこの試験管の中に入っている。」

続けて学生達に

「確かに涙を科学的に分析すれば、少量の塩分と水分にすぎない。

しかし、この涙の中には、科学も分析しえない深い愛情がこもっていることを知らねばならない。」

と言われたそうです。

様々な状況で流す涙。

流す人の情という目には見えないものがあることを教えてくれます。

私は高校時代、親元を離れての生活でした。

親の目の届かないことをいいことに、好き勝手に生活しておりました。

ある時、学校で問題を起こし自宅謹慎になり、親の呼び出しを受けたことがありました。

私を叱る目には涙が浮かんでおりました。

その涙を見たとき、迷惑をかけた申し訳ない思いと、私を心配してくれていたことへの感謝の気持ちを覚えました。

目には見えないけれども、涙の中に親の情を感じたからです。

流す涙に自らを反省し、お育ていただいたことです。

「親鸞聖人の仏身・仏土観」(6月前期)

自然といふは、自はをのづからといふ。

行者のはからひにあらず。

然といふはしからしむるといふことばなり。

しからしむといふは行者のはからひにあらず。

如来のちかひにてあるがゆへに法爾といふ。

法爾といふは、この如来の御ちかひなるがゆへにしからしむるを法爾といふなり。

「自然法爾」の手紙の

「はじめ」の文です。

自然とは

「自」

はおのずから、

「然」

はそのようにさせる、という意味です。

そしてその

「おのずからしからしめる」

働きが、如来の衆生をして仏果に至らしめるはたらきを指すのです。

そこでこの自然の道理に対する、人間の

「はからい」

が最も戒められます。

この手紙に

「行者のはからいにあらず」

という言葉が繰り返されますが、それは人間の側の

「はからい」

の完全なる否定であって、自然の道理に人は絶対に自らのはからいを加えてはならないことをかたく戒めておられます。

それは、なぜなのでしょうか。

「如来のちかひにてあるがゆへに法爾といふ」

いわれますが、衆生が仏果に至りうるのは、ただ法のしからしめるところ、如来の

「御ちかい」

の徳の故にほかなりません。

真如の法の必然のはたらきによってのみ、衆生は無上涅槃に至ることが出来るのです。

こうして、衆生をして

「おのずから」

仏果に至らしめる、真如のはたらきが

「自然法爾」

と呼ばれます。

親鸞聖人は、この真如と阿弥陀仏の関係を

「かたちもましまさぬやうをしらせんとて、はじめて弥陀仏とききならひてさふらふ」

と捉えられます。

真如の法は、一切の衆生を無上仏になさしめようと願われていますが、その無上仏の真理を衆生に知らしめるために、阿弥陀という仏が、衆生の

「はからい」

に先駆けて、法爾としてまします。

それ故に

「弥陀仏は自然のやうをしらせんれうなり」

と言われるのです。

この

「やう(様)」

とは様子、状態のことで、この場合、自然の道理とか本質といった意味になります。

また

「れう(料)」

とは、量りのこと、推し量ることであって、不明なることを明らかにする手段の意だと解されます。

そうしますと、阿弥陀仏とは真如が働いて、無上仏とは何かを凡夫に信知せしめるために出現した、真如そのものの

「はからい」

ということになります。

この真如のはからいこそが、

「弥陀仏の御ちかい」

にほかなりません。

そこで、この点を親鸞聖人はまた、

弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひてむかへんと、はからはせたまひたるによりて、行者のよからんとも、あしからんとおもはぬを、自然とまふすぞとききてさふろふ。

と述べておられるのです。

「人生、好んで楽しもう」(上旬)「笑点」に出る人はみんな楽しい変わり者

======ご講師紹介======

三遊亭好楽さん(落語家)

☆演題「人生、好んで楽しもう」

6月のご講師は、落語家の三遊亭好楽さんです。

昭元21年東京生まれ。

昭和41年に故林家正蔵に弟子入りし、昭和56年に真打ちに昇進。

その後、日本テレビ「笑点」で大喜利メンバーに選ばれる。

昭和58年、師の林家正蔵の死去により、三遊亭円楽一門に移籍。

このとき三遊亭好楽とした。

一度「笑点」を降板するも、3年間の修行を経て、昭和63年に復帰。

現在もレギュラーとして活躍中。

テレビやCMにも出演し、全国的に講演を行う。

講演会では得意の話術を用いて「生きる喜び」を伝えている。

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面白いことがあると楽しいでしょう。

変わってる人というのは、なんか面白いんですよね。

私の場合も、子どもの自分から、変わっていたと思います。

私が子どもの頃ですと、大きくなったら、何になりたいかと聞かれたら、野球選手が人気ナンバーワンの職業でした。

ところが、私は変わってまして、先生とはこんなやりとりをしていました。

「お前は大きくなったら何になりたいんだ」

「天皇陛下です」

「何」

「天皇陛下になるんです」

「お前は変わり者だな」

という感じです。

友だちは

「ばかじゃねえか」

と笑ってました。

私は家に帰って、

「先生から将来何になりたいかって聞かれたから、天皇陛下になりたいって言ったんだけどさ、おれもなれるのかな」

と尋ねました。

それに対して

「うーん、家庭の事情で無理他」

と答えたのが、当時まだ元気だったお袋でした。

お袋も変わった人でしたね。

例えば、街をみなさんと一緒に歩いていて、誰か一人転んだとします。

人が転んで楽しいはずはないですよね。

「大丈夫ですか」

「おけがはありませんか」

と言うでしょう。

それが人情ですよ。

「ざまあみやがれ」

という人はいないですよね。

さて、その人が立ち上がって

「大丈夫です」

と言って、また一緒に歩き始めたとします。

ところが、また転んじゃいました。

2度転ぶというのは、よっぽどついていない人ですね。

それでも、みなさんなら優しいから、気の毒にと言って心配するでしょう。

ところが落語家、ましてや

「笑点」

に出ようという楽しい人間はみんな変わり者ですから、同じことは絶対言いません。

最初は

「大丈夫か」

と言って心配しますけどね、2度転んだ時は言わないんです。

「さっき転んだときに起きなきゃよかったのに」

とか言うんですよ。

年中面白いことばかり考えてる連中ですから、何か面白いことを言わなきゃと思っているんです。

変わってるでしょう。

さて、面白い人といえば、お酒飲みの酔っぱらいですね。

年がら年中奥さんに怒られてるんですよ。

そんな亭主にとって、奥さんに言われて一番嫌な言葉って、何だと思いますか。

それは

「あなた、また飲んできたの」

だそうですよ。

そんなこと言われると亭主は

「悪かったな」

なんて言いませんよ。

お酒の勢いを借りて

「バカやろう。

また飲んできたって言うけどな、男にはおつきあいがあるんだよ。

くたくたになって帰って来たってのに、何のねぎらいもなく、文句を言うのは許さない。

お前の顔なんて見たくもないから、酒持って来い」

って言って、焼酎をがぶがぶ飲んじゃうんですよ。

利口な奥様はそんなことは言いません。

帰ってきた亭主が酔っぱらっていたら怒っても損です。

やっぱり元気に働いてもらって、次の日も気持ちよく出発してもらった方がいいんですから、腹の中が煮えくりかえっても絶対に怒ったらいけません。

亭主だって怒られるのを覚悟してます。

だから、そこで逆に優しく迎えてあげるんです。

食べさせたり、飲ませたりしても身体に毒ですから、水飲ませてご機嫌で寝かせちゃいましょう。

優しくねぎらわれたら、悪い気はしません。

「明日も頑張ろう」

という気にもなります。

だから、亭主は立ててください。

亭主は大事に使えば、一生使えるんですから。