投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

「人生、好んで楽しもう」(下旬)何があってもワッハッハと笑えば幸せが訪れる

私の知り合いに、あるお年寄りがいます。

ある時、私に見せたいものがあると言われて、その人の家に伺ったんです。

とても大きな家に住んでいました。

それで、その人に会って、私に見せたい物とは何かを聞いてみますと、枕元のとても大きくて立派な金庫を指したんです。

中身に興味をひかれたので、せっかくだから中を見せてもらいました。

すると100万円の束がぎっしり入ってまして、すごいお金でびっくりしました。

いくらくらいあるのか聞いちゃいました。

なんと、3億8000万円だそうです。

でも、私はその人をうらやましいとは全く思えませんでした。

何故なら、実はその人、寝たきりだったんです。

自分の身体をほとんど動かせないので、外へ行くことも出来ません。

車に乗ったり、電車やバスに乗ったりしてどこかに行くことができないから、携帯電話で介護センターに電話して、身体を洗ってもらった、ご飯を食べさせてもらったりしているんです。

大金を持っていても使えない身体だということです。

つまらない人生でしょう。

だって、お金というのは、貯めても使っても、どちらでも楽しいものですよね。

でも、そういうことが何もできず、3億8000という大金に手をつけられないまま死んでいかなければならないんです。

不幸ですよね。

人間はやっぱり、最後は身体が大事なんだと思いました。

「お金が1円もなくても、立派な身体があれば、パートでお金を稼いで、友だちと一緒に旅行に行くこともできるんだよ」

そういうことを言える人は立派です。

やっぱり、ワッハッハと笑えて、自分で好きなことができる、歩いていける、友だちに会うこともできる。

そういう行動ができる人が一番幸せだと思いませんか。

人よりたくさんお金を持っている。

高級車を買った。

家を買ったと自慢されても、私はうらやましいとも何とも思いません。

むしろ

「バカだな。

おれは親からもらったこんなに丈夫な身体があるおかげで、ずっと楽しくて明るい人生を送らせてもらっているんだから、有り難い」

と笑って言えるのが、一番幸せだと思っています。

だから、みなさん、くよくよしたり、嘆いたり、人を恨んだりしちゃダメですよ。

年中笑っていてください。

亭主が死んでも、火事になっても、ワッハッハと笑っていれば、必ず幸せが訪れるんです。

『インド・ネパール旅日記!?』

『インド・ネパール旅日記!?』

1月の下旬から2週間程、インドを中心とした

「仏跡参拝」

をさせていただきました。

初めてのインド。

行くと決まってからは、

「服は?」

「薬は?」

「他には何が必要?」

インドへ行かれたことのある方々から、とにかく情報を集めて回った日々…。

その結果、必需品は

「正露丸」

これがダントツ!!

これまでにも外国には何カ国か行ったことがありますが、トップに

「正露丸」

が出てくる国は初めて…!

不安を抱きつつも、好奇心旺盛な私はワクワクしながらインドへ向かいました。

同行者に、以前通っていた学校の先生や先輩・友人が多かったこともあり、楽しく旅をスタートさせることができました。

飛行機がインドのコルカタ空港へ到着し、空港を出た時に出た一言は

「臭っっ!!」。

大気汚染で汚れた空気が、鼻をつきました。

しかし、翌日には鼻が慣れてしまう順応性の良さ…。

インドの旅では、寝台列車や特急列車、飛行機(中古)などいろいろな乗り物に乗りましたが、何と言ってもバスでの移動が長いこと長いこと。

7〜8時間かけての移動なんて当たり前。

そんな時は喋るか、音楽を聞くか…、経由地のシンガポール空港で手分けして購入したお酒をみんなで飲んで、後は寝るか…。

六大仏跡地を始め、多くの僧院跡やガンジス河、ネパールのカトマンズにある本願寺も訪ねました。

そんな中、今回の旅で深く思いが残った場所は、お釈迦さま涅槃の地であるクシナガラ。

悟りを開かれてから、45年という長い歳月を説法しながら歩き続けられ、最期の時を迎えられた場所。

その場所に立つことができた

「縁(えにし)」

というものを本当に有り難く感じました。

私を仏縁にあわせてくれたのは、父の

「いのち」

でした。

そこで、日本から持参した父の遺骨を少しばかり、お釈迦さまの涅槃像が安置されてある涅槃堂の傍らに分骨させていただきました。

あれから既に20年近く経つのに、未だに父と別れた寂しは消えてはいません。

でもそれ以上に、こうして仏縁を有り難く思える私にお育ていただいていたことを嬉しく思いました。

以前、知人からインドへ行った際、

「長渕剛の『ガンジス』という曲を持って行った」

という話を聞いていたので、私も持って行きました。

旅をするのは帰る家があるからだ

さすらいの旅ほど淋しいものはない

私にはインドでの旅を終えたら帰る家があります。

だからこそ、安心して旅をすることができました。

じゃぁ、私のいのちが終わったら!?

帰るべき場所はただ一つ。

お浄土なんだ…。

そう思うと、お念仏申さずにはおれませんでした。

仏跡参拝の旅は、本当に楽しかったです。

そして、自分が仏縁に出遇えたことを、改めて慶ばせていただけた旅でした。

心から

「このご縁を忘れず、日々を生きていこう!!」

と思ったことです。

あれから、4カ月。

さてさて、今の私はどうなんだろう…^^;

『流す涙に育てられるものもある』

あなたは、どのような時に涙を流しますか。

例えば、忘れてしまいたいことや、どうしようもない悲しさに包まれた時ですか。

それとも、心から嬉しいことがあったりした時ですか。

人によっては、何かに感動して、気がつけば涙を流しているということもあったりするかもしれませんね。

さて、

「涙を流す」

ことを

「泣く」

と言いますが、この

「泣く」という文字は、

「サンズイ」に

「立」

という字が添えてあります。

また

「涙」という字は同じく

「サンズイ」

に今度は

「戻」

という字が添えてあります。

これは、私たちが深い悲しみに出会い、涙に溺れそうになっている時、たとえそれがどんなに深い悲しみであったとしても、必ず

「立」ちあがらせずにはおかないという、仏さまの願いを表すために

「サンズイ」に

「立」を添えて

「泣」という字にし、

「涙」

に押し流されてしまいそうになる私たちを、必ずあるべき姿に引き

「戻」

してくださる、仏さまの御心を表すために

「サンズイ」に

「戻」を添えて、

「涙」

という字にしてあるのだというお話を聞いたことがあります。

経典には

「仏さまは、いつも私たちの心や想いの中に入り、私たちを導いて下さる」

ということが説かれています。

これは、私たちが悲しみにうちひしがれて心が沈み、泣いている時には新しい視点を与えて立ち上がらせ、悲しみの涙に押し流されかけている時には、新しい生きがいを示して本来の生き方に引き戻して下さるということのようです。

人生において、辛いことや悲しいことは、なければそれにこしたことはありませんが、条件さえ整えば思いがけない苦難に陥ることも少なからずあります。

けれども、人間には

「悲しみを通さないと見えてこない世界がある」

とも言われます。

悲しみに出会うことを通して、それまで

「当たり前」

と思っていたことが、決してそうではなかったことに気がついたり、見落としていたり、気にも止めていなかったことに頷かされたりすることがあったりするということでしょうか。

もちろん、私たちは悲しい時ばかりではなく、時には笑顔で涙を流すこともあったりします。

「嬉し涙」

と言われるものですが、出来れば人生においては、悲しくて流すよりも嬉しくて流す涙の回数が多い方が望ましいものです。

この他に、テレビや映画、あるいはスポーツなどを見て感動のあまり涙を流すこともあります。

思えば、悲しかったり、嬉しかったり、そして感動したり…と、いずれも私たちは何かにふれて心が大きく揺れ動く時に

「涙」

を流すようです。

そのような体験の繰り返しの中で、人は少しずつ成長をして行くのではないでしょうか。

「親鸞聖人の仏身・仏土観」(6月中期)

「阿弥陀仏の誓願」

とは、何でしょうか。

衆生に自らのはからいの一切を捨てさせ、

「南無阿弥陀仏とたのませて、その衆生を迎えようと、おはからいになっている」

この願意の全体が、

「南無阿弥陀仏」

という阿弥陀仏自体のすがたであり、このはたらきを

「自然」

申すのだと、親鸞聖人は聞いていると言われます。

では、親鸞聖人はこの真理を誰から、いかに聞き習われたのでしょうか。

『教行信証』

で、親鸞聖人は善導大師の

『往生礼讃』の

「深心釈」

を智弁の『集諸経礼讃儀』の文から引用され、

弥陀の本弘誓願は、名号を称すること、下至十声、聞等に及ぶまで、定んで往生を得しむと信知して、一念に至るにおよぶまで、疑心あることなし。

と聞かれます。

善導大師の教えを通して、阿弥陀仏は本願に

「ただ名号を称せよ、必ず往生を得しめる」

と誓われていると見られたのです。

その称名は十声でも一声でもよく、その名号を聞くだけでもよいのです。

この弥陀の大悲の誓願を信知して、疑心のないものは、まさに阿弥陀仏の攝取の光明の中に生かされているのですから、往生は必定なのです。

なぜなら、善導大師の

「六字釈」

に明らかなように、

「南無阿弥陀仏」

の称名こそ、阿弥陀仏が一切の衆生を攝取するために、衆生に対し

「帰命し発願廻向している」

阿弥陀仏の本願力の躍動の相に他ならないからです。

この阿弥陀仏の願意を

「南無阿弥陀仏とたのませたまひてむかへんと、はからはせたまひたる」

と手紙に述べておられますが、この称名思想が、親鸞聖人が

「行巻」

の全体を通して問題にしておられるところの、極めて独自な親鸞聖人の念仏思想だといえます。

今ここで、二、三の類似表現をひろってみることにします。

一。

弥陀の本願とまふすは、名号をとなへんものをば極楽へむかへんとちかはせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候なり。

二。

行と申は本願の名号をひとこゑとなへてわうじゃうすと申ことをききてひとこゑをもとなへもしは十念をもせんは行なり。

三。

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけまひらすべしと、よきひとのおわせをかぶりて信ずるほかに、別の子細なきなり。

周知のように

『無量寿経』

の第十八願には

「至心信楽欲生我国乃至十念」

と、衆生の往因として

「三心と十念」

が誓われています。

善導流の浄土教一般では、この三心と十念の関係を、真実清浄の信心をもって、一心に阿弥陀仏の浄土への往生を願い、ただひたすら念仏を相続することだと捉えています。

「人生、好んで楽しもう」(中旬)じゃれあって、冗談を言える夫婦がいい

みなさん、夫婦って不思議だと思いませんか。

全くの赤の他人が二人で一緒になって、二人の間に血のつながったお子さんができるのに、肝心の亭主と奥さんの血はつながっていない。

こんな不思議なことを人類は、昔から営んできてるわけです。

ケンカしつつも、何だかんだ言いながら、最後まで幸せを求めて生きてこられる仲のいい夫婦がある一方で、亭主の定年退職後に離婚する夫婦もあります。

それは、本当に自分のことを大事にしてくれているのかという思いがあるからなんだそうです。

結婚したときは可愛がってくれたのに、後になると空気よりも軽い扱いを受けると言う奥さんがいらっしゃいます。

それで、定年退職で亭主がずっと家にいるということになると、おくさんは嫌気がさして離婚してしまう訳です。

これは、亭主が悪い。

亭主が少しでも甘えた言葉を交わさなかったことの因果応報なんですよね。

奥さんに心配かけないように、たまにはいいこと言わないとダメだってことです。

言葉とは便利なものです。

「お母さん、きょうはね、駅前の花屋さんで花を買ってきたんだけど、台所の隅に飾っとけば」

と言ってごらんなさい。

そうしたら、きっと奥さんは

「結婚してよかった」

と思ってくれますよ。

だから、奥さんが喜ぶことをやらないといけない。

一番いいのはご飯ですね。

子どもは正直だから、本当に美味しかったら素直に褒めます。

でも亭主は、そうは言わないんですね。

「おい、お前ら。

お皿とかきれいに片づけろ」

「テレビ、いつまでも見てるんじゃない。

あしたも学校あるんだから、早く寝ろ」

「母さん、つまようじ。お茶。

おれも寝る」

とかね。

これじゃつまらないですよ。

そうすると、奥さんは

「子どもたちは私の料理を褒めてくれたのに、肝心の亭主は何も言ってくれない。

私の料理はまずかったのかしら」

と言って、だんだん亭主に嫌気がさしてくるんです。

やっぱり子どもと同じように褒めなきゃいけません。

褒め方もいろいろあります。

いい加減な褒め方はダメですよ。

例えば、一品を名指しで、子ども以上に

「うまい」

と大げさに褒めるんです。

そうすると、奥さんは疲れがとれて

「お父さんが私の料理美味しかったと言ってくれたし、明日も頑張るわ」

という感じになるんです。

そうやってじゃれ合って、冗談を言い合える夫婦がいいですね。

例えば、街中で泣いている人、怒っている人、笑っている人がいたら、みなさんはどうしますか。

泣いてる人だったら、そっとしておこうとその人の前を通り過ぎるでしょうし、怒ってる人がいたら、巻き込まれたら嫌だなと思って、避けて通ります。

でも、笑ってる人がいたら、何を笑ってるのかな、楽しそうだなと興味を引かれて、その中に入って行こうとするでしょう。

笑いってのは、それほど大きいんですよ。

価値観が全然違う。

喜怒哀楽ともいいますが、笑っているのが一番です。

だから、どなん顔の人でも、笑っているときれいになるんです。

笑顔というのは最高に美しい顔なんです。

『来迎』

仏教では、私たちの姿を

「迷える者」

と呼びます。

私たちの毎日は、先がほとんど見えず、心は常に不安で揺れ動いています。

幸福な人生を楽しく豊かな生き方を求めて努力しながら、よき結果はなかなか得られません。

そこで、日常の多くは、他人と争い、苛立ち、苦悩し、痛む心で満ちています。

人間はお互い、世間や未来を正しく見る目を持っていないからで、それ故に、人は迷い疲れて苦痛に満ちた人生を送らなければならないのです。

仏教は、この迷える者のために、その迷いを破る道を教えます。

釈尊自身、苦悩の人生のただ中で、極めて厳しい行道によって智慧を完成させ、迷いを根底から破って何ものにも動じない悟りの心を得られたからです。

そこで人々は、釈尊の教えにしたがって安らかな心を得ようと願い、仏教はこの人々に悟りへの道を教えるのです。

この仏教に、聖道門と浄土門という、二つの大きな流れがあります。

聖道門とは、この世で釈尊と同様の悟りを開くことを目指す仏教ですが、よほど優れた者でなければこの行の実践は不可能だと言わなければなりません。

そこでこの門を通れるのは、ごく限られた聖者のみということで、この仏道が聖道門と呼ばれるのです。

私たち大多数の凡人は、当然のこととして、この厳しい実践に堪え、この世で悟ることは不可能です。

けれども、やすらかな心を得たいという願いは、聖者の心と変わりません。

そこで、阿弥陀仏の本願に救いを求め、次の世に浄土に生まれることが確約されて、この世で安堵を得たいと願う仏教がいま一つ求められたのです。

それが、浄土門です。

そこで浄土門では、ただ阿弥陀仏のみを信じ、口に南無阿弥陀仏を称え、一心に浄土へ生まれたいと願い続ける行道が求められているのです。

ところで、この念仏者は、いま一心に称名念仏を称え続けています。

それは、阿弥陀仏の名を呼び、阿弥陀仏の心をわが方に向けさせ、その本願力によって我を救い給えという一心の願いです。

そうであれば、阿弥陀仏の大悲は、この願いに応えられないはずしありません。

その証が、この念仏者の臨終に現れます。

この念仏者の仏道を誉めて、阿弥陀仏自身が多くの菩薩を伴って、この者を浄土に生まれさせるためにその臨終に迎えに来られるのです。

この臨終来迎の思想は、平安中期以後、浄土教信仰が盛んになるにつれて広く求められることになりましたが、親鸞聖人の思想の特徴は、この臨終来迎を否定されたところにあります。

なぜ、親鸞聖人は浄土教者が最も願い求めた、阿弥陀仏の臨終時の来迎を否定されたのでしょうか。

それは、南無阿弥陀仏とは私の阿弥陀仏への信を示す言葉ですが、私の口から南無阿弥陀仏が称えられたということは、私が称えるに先立って、阿弥陀仏が私を呼んでくださっていると見られたからです。

つまり、阿弥陀仏は臨終において初めて私の前に来られるのではなくて、私がいま念仏を称えているここに阿弥陀仏が私を摂め取っておられるすがたがあるのです。

そこで、親鸞聖人は臨終の来迎を必要とはされなかったのです。