投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

ある朝の出来事です。

ある朝の出来事です。

起きたばかりの4才になる息子をトイレに連れていくと、

「父ちゃんのせいでよく眠れなかった」

と、いきなりの文句。

というのも、うちの息子はとにかく寝相が悪く、毎晩何度も90度、または180度回転していたり、かぶり布団をはいだり、その度に私、あるいは妻は起きて元に戻したり、布団を掛けたりしている毎日です。

その夜も布団をはいで90度回転していたので、元に戻してから寒かろうと思って布団を掛けると、本人には暑かったのか、掛けた布団をすぐに蹴りました。

私としては、そのままにはしておけなくてかぶせると、すぐに蹴り、また掛け、その繰り返しのうちに目が覚めたらしく、イライラした息子が私を蹴ったり叩いたり……。

そんな事がありましたので、その朝トイレの前で

「父ちゃんのせいで、よく眠れなかった」

と言う訳です。

しかし、私からしてみると、私なりの言い分がありますので、

「よく眠れなかったはこっちのセリフだよ。

昨夜もそうだけど、父ちゃんと母ちゃんは毎晩、何度も何度も起きているんだよ。

昨夜も風邪をひかないように、布団を何度も掛けていたんだよ。

しかし息子は、

「いや、父ちゃんが邪魔したのが悪い」

私も

「いや、父ちゃんはお前を心配してした事で、邪魔をしたのはお前だ」

と押し問答になりました。

(朝から40近い大人が4の子ども相手に、まことに恥ずかしくお粗末な事です)

私は常日頃、息子によく言っている事があります。

息子は保育園に行っておりますので、時々、友達とけんかになることもあります。

「けんかをすることも大切だけど、それよりもそのあとに、ごめんなさいと言えることがもっと大切なことなんだよ。

けんかをしても、二人がごめんなさいを言えたら、また仲良く遊べるんだよ」と。

息子にそのように言っておりながら、自分の事となると全く至らない私ですが、その押し問答の最中にその事を思い出しましたので、

「せっかくぐっすり眠っていたのに、邪魔をして父ちゃんが悪かったね。

ごめんね。」

と、息子の反応に期待を込めて、こちらから謝りました。

(息子の反応を期待しての私の謝罪ですので、本当の意味でのごめんなさいにはなっておりませんが…)

すると息子もその期待に応えて、

「僕もごめんなさい。

僕も父ちゃんもごめんなさいしたから、また仲良しだね」

と言ってくれました。

息子には

「大切な事」

と言いながらも、私自身は年を重ねるごとに、ついつい自分を守り、自分に都合よく考え、ごめんなさいと頭を下げることの難しさを感じています。

互いに自分の都合を押し付けあうだけでは争いにしかならず、人と人ならばけんかになり、国と国ならば戦争になりかねません。

自分の都合、理屈だけを振りかざすよりも心を開いて向き合うことの大切さを、子育てを通して気づかされる事です。

『報恩おかげさまありがとう』

今年も残りわずかとなりました。

鹿児島に戻って1年8カ月になりますが、この間、色々と感じることのあった年でした。

昨年、住職であった父が往生して、寺院の後継者として戻ってまいりました。

悲しみの気持ちと共に、

「これからどうなるのだろう?」

という不安が非常にありました。

高校の時から鹿児島を離れて10数年、久しぶりに故郷に戻ってみると、分からないことが多くて戸惑う毎日でしたが、今はようやく落ち着いてきました。

それは偏に、私の周りの多くのご門徒の方々の助けがあったからです。

まさに、ご門徒の方々のおかげでお寺が護持されていることを身をもって感じたことでした。

直に感じるものから、間接的に感じるものまで様々ですが、

「ご門徒の方々あってのお寺」

ということに改めて気付かせて頂き、本当にありがたいことでありました。

「ありがとう」

という言葉は、漢字では

「有り難う【有難う】」

と書きます。

これは有ることが難いことからきています。

おそらく、当たり前ではないことに気付くことから発せられる感謝の言葉でしょう。

考えてみますと、日頃は

「何でもあって当たり前」

の生活を送っているような気がします。

食事を例にしますと、私たちは必ず食事を頂きます。

生きていくために当然のように頂く食事には、お米・野菜・肉・魚…それぞれに命があり、それらを育ててくださる方、収穫される方、売買される方、調理される方がいらっしゃいます。

私の目の前の食事の陰には、多くの命や多くの方々のはたらきがあります。

目には見えないけれども、そのはたらきを思うとき、当たり前ではないことに気付かされます。

そのはたらきを感じることが

「おかげさま」

の心を知るということではないでしょうか。

おかげさまとは

「かげ」

「お」

「さま」

をつけた丁寧な言葉と聞いたことがあります。

また

「かげ」

には目に見えない恩恵の意味があるそうです。

目には見えないけれど、多くのはたらき、恩恵に感謝して

「おかげさま」。

最近、あまり聞かれなくなっていますが、いつまでも大切にしたい言葉です。

私達は自分一人では生きてはいけません。

多くの命を頂き、たくさんの方々のおかげで生きています。

仏教を明らかになさったお釈迦さまは

「すべてのものはつながりあって存在している」

と説いておられます。

目に見えるもの、目に見えないもの様々なつながりの中で、私がここに存在しているのです。

そして、私もそのつながりのなかの1つです。

あわただしい日々に追われるに生きる私たちですが、ふと立ち止まって1年を振り返る中に、

「おかげさま」

を感じ

「ありがとう」

と感謝の生活を送らせていただきたいものです。

「教行信証」の構造12月(前期)

それでは学問とか、行道ということではどうでしょうか。

これもやはり位が上がるとか、人々に尊敬されるという面が中心になってきます。

例えば、位の高い僧侶が自分よりも位の低い僧侶に対して、

「礼儀を欠いたと」

言って腹を立てたという話を聞いたことがありますが、こういうのはまさに外道の姿そのものです。

しかし、そのような心しか持てないということが

「五濁増」

の中の仏教者の姿であり、私たち人間のありのままの姿なのです。

さて、そういう中にあって、いったい自分は何をしているのか、ということが問題になってきます。

「外儀は仏教のすがたにて、内心外道を帰敬せり」

なのですから、表向きは仏教を一生懸命に学んでいるのです。

別に仏教者が、迷信に凝りかたまっているのではありません。

確かに、仏教者の中には、占いをしたり、お祓いをしたりするような者もいるかもしれませんが、それは仏教者としては外儀も外道そのものなのですから、仏教界からは排斥されてしまうことになります。

そうではなくて、外見的には

「真面目に仏教を学び、真摯に悟りを求め、一生懸命に仏事を営んでいる」

そのことが、内面では外道に通じているということなのです。

これが偽りのない自分の姿だとして、それにもかかわらず私たちは、自分では仏道を一心に修していると思い込んでしまっているのです。

実は、こういう人は極めて真面目な人であって、一生懸命に仏道を修しているのですが、真摯に取り組めば取り組むほど、意に反して外道に帰敬していることになってしまうのです。

しかも、実際には外道に仕えていながら、やがて自分では一心に仏道を修しているのだと思いあがってしまうあり方に陥ってしまいます。

このような思い上がった心を仏教では

「憍慢(きょうまん)」、あるいは

「邪見憍慢」

といいます。

これは、自分では真実の仏法を学びながら、その教えに従わないで自身で勝手な判断を加え、かえってその中であれこれ迷ってしまっている姿です。

つまり、仏道を一心に修しながら

「疑情」

という心に陥っているのです。

こういうことが、仏教では一番怖いのです。

たとえば、聖道門では

「この世で仏になれ」

と教えます。

また、あるいは

「この世に仏国土をつくろう」

と、一心に人々を励まします。

それが現実的には不可能なことであるにもかかわらず、自分は仏道を修しているのだと思い上がっているところに

「邪見憍慢」

の姿が見られることになるのです。

あるいは、こういう場合もあります。

自分はまさに外道の姿をしており、悪の中にいると自覚している。

だからこそ

「この世では絶対に仏に成り得ない」

と、悲しみ恥じらっているとします。

この人は、自分自身の力では仏になることができませんから、自分の外にある仏の大悲を求めて

「どうかこの私を救ってください」

と願います。

この世で仏になることがだめであっても、せめて来世にはよい仏の国に生まれたい。

このような来世への願望が、この人の心に生じてきたとします。

ところが、この心もまた欲望の中で起こっているのですから、たとえどれほど一心に仏さまにすがっていても、結局は外道の信仰と同じものになってしまうのです。

なぜなら、この世を厭い捨てたいと願うのは、それぞれの体験、自分の思いに基づくもので、それはあくまでも自分の夢を追う姿であり、その夢の満たされる世界として浄土を求めているだけに過ぎないからです。

蓮如上人が

「極楽(浄土)は楽しむと聞きて、参らんと願う人は仏にならず」

と仰っておられますが、浄土を目的地とするような歩みは、迷いと惑いを生み出すだけなのです。

したがって、未来に仏になろうとする信仰も、いま現在仏になろうという信仰も、そのいずれもが外道の方向をとってしまっている。

ここに今日の、どうしても自分の欲を満たすという方向の中でしか生きられない、私たちの姿があります。

このような自分の、赤裸々な姿が親鸞聖人には明らかになったのです。

私は、どこまでも自分を中心として、欲望的にしか仏を求めることができません。

自分の外にある仏を求めるか、あるいは外にある仏の大悲によって救われようとするのか。

あるいは、自らの内にある仏をつかもうとするか、そのどれかでしかないのですが、いずれにせよ、その求道はまさに世俗的欲望の中で起こっているのです。

そうであれば、それは外道の道であって、永遠に仏果には至れません。

そして、このように仏教を学びながら、仏道を行ずることも、証果を得ることもできない世が末法なのです。

「自然界に学ぶ」〜世界は人生の教科書〜(上旬)どんどんグルメになっていったサルたち

======ご講師紹介======

ハフマン・A・マイケルさん(京都大学霊長類研究所准教授)

☆演題「自然界に学ぶ〜世界は人生の教科書」

次回の講師は、京都大学霊長類研究所准教ハフマン・A・マイケルさんです。

幼い頃からサルが大好きで、大きくなったらアフリカの森でチンパンジーと一緒に住む夢を持っておられました。

昭和54年に初来日され、関西外国語大学などで日本語や日本の文化について学ばれました。

コロラド州フォートルイス大学を卒業後、昭和55年に文部省国費留学生として再び来日され、平成元年に京都大学理学博士を取得。

平成13年から京都大学霊長類研究所准教授として、研究所の大学院生の教育・研究育成に従事。

日本をはじめ世界各地のサルの行動生態学についての研究をしておられます。

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京都大学霊長類研所の先輩で、私の恩師でもある今西錦司先生が、動物に文化があるということを最初に提唱しました。

1952年当時、ニホンザルのデータはほとんどなく、文化があるなんて考えた人はいなかったので、大変注目を集めました。

今西先生は周りにいた学生を集め、サルの文化、人間の絆、社会の起源を知ることを目的に、サルの研究を全国へ展開していきました。

九州では宮崎県の幸島(こうじま)と、大分県別府市の高崎山に野猿公園と研究施設を作り、現在も研究が続けられています。

先生を中心に、学生たちが全国各地を飛び回り、集団生活の違いを調査しました。

食べ物の違い、子守の違い、あいさつの違いなどから文化が存在しているかどうかを調べるという、世界で初めての試みがされたのです。

サルにも文化があるということは、幸島に住むサルたちの芋洗い行動から徐々に解明されていきました。

なぜ芋洗いをするようになったかは諸説ありますが、おおむねこういう理由でしょう。

おそらく、農家からサツマイモをもらってきて食べようとすると、泥や砂がついていて食べにくい。

すると、これらを落とせば食べやすくなるということになります。

ところが、自然界では水を使って洗ったりするということはまずありません。

芋洗いが始まったのは、必要性があったというよりも、ある好奇心旺盛なメスがやりだした行動によると考えられます。

きっとそのメスは、芋をこっそり食べようとしたところ、誤って水に落としてしまったんでしょう。

するとどうやらその水で泥や砂が落ちて食べやすくなった。

そういう風にして、気付いたのかもしれません。

そして、その行動が自分のお母さんや親戚にまで広まって、いつの間にか群れのみんなが芋を洗うようになっていったという訳です。

それも初めは、川で芋を洗っていたんですが、海で洗った方が塩味がついておいしいことに気付き、どんどんグルメになっていったんです。

芋を洗って、塩味をつけて食べるという行動は、なんとも文化的だなぁと感じます。

50年間もこの行動が続いており、現在も世代を超えてこの文化が幸島に残っています。

これらの行動は、ある群れの1匹が画期的な発見をすると、近くにいた仲間がそれを見て、その行動をまねします。

それは、学習効果があって、人間の子どもと同じように、他の子どもがやっている遊びにすごく興味を示すのと同じことなんですね。

例えば、あるメスがこども産むと、その子どもはお母さんの行動を見てまねをします。

その子が大人になって子ども産むと、その子どもはまたお母さんの行動をまねします。

これが繰り返されて伝統となり、群れ中にも広がっていきます。

その例が先ほどの芋洗いです。

サルには芋を洗って塩味で食べるという本能はありません。

群れ全体が新しい行動を身につけて、それが世代を超えて伝わって行くということは、やはり人間と同じく文化なんです。

学習によって、親から子どもへと伝わっていくことが非常に多い。

このことから、サルには文化があるんだということが分かっていただけると思います。

サルは、覚えたらみんなが得をするという行動を、生きていく上で必要に応じて身につけていく集団だと言えるでしょう。

『苦労が多いことと不幸だということは違う』

とんち話で有名な一休さんは、室町時代の臨済宗の高僧ですが、本願寺第八世蓮如上人と宗派の違いや年の差(一休さんが19歳年長)を超えて深く親交を結ばれ、互いの思想に敬意を払い教えを学び合っておられたそうです。

そのため、蓮如上人が宗祖親鸞聖人の200回遠忌法要(1461年)を営まれた際にも法要に参詣しておられます。

そして、その時に残されたと伝えられるのが、

「分け登るふもとの道は多けれど同じ高嶺の月をこそ見れ」

(意訳)真理に向かう道は多くありますが、私たちは同じ覚りを目指していることですね

という歌で、他宗と見れば排斥しあう風潮の中で、一休さんの器の大きさが感じられる内容です。

一休さんが、元旦に信者の方から

「今日は元旦です。

とてもめでたい日なので、何かおめでたいことを書いてはいただけませんか。

それを、飾って心のよりどころにしたいと思います」

という、お願いをされました。

すると、一休さんは気安く引き受け、すぐに筆をとり言葉を書いて渡されました。

信者の方は、さぞや素晴らしい言葉が書いてあるものと期待しながら手にとって見ると、何とそこに書かれてあったのは

「親が死に、やがて子が死に、孫が死に」

という文言でした。

お正月だから

「めでたいことを…」

とお願いしたのに、これではたまりません。

信者方は

「いったいこれのどこがめでたいのですか」

と、声を荒らげて一休さんにつめよりました。

すると一休さんは、

「怒ったのか。

では聞くが、あそこで遊んでいるあなたのかわいい孫が先ず死んで、その次にあなたが頼りにしている子どもたちが死んで、最後に自分が一人だけ残ったとしたらどうか。」

と尋ねられました。

すると信者の方は、

「それはとてもたまりません。

あのかわいい孫が死んで、次に子どもたちに先立たれたのでは、私は途方にくれるばかりです」

と答えました。

それを聞くと一休さんは

「そうであろう。

先ずは年長者のあなたが死んで、その次に子ども達が死んで、それから孫が…という、年齢順がめでたかろう。

あなたが何かめでたいことを書けというので、そのことを書いたのじゃ」

とおっしゃったとのことです。

いかにも一休さんらしい諷刺のきいたお話です。

ところで、日常生活において、私たちは親が亡くなった時など、

「不幸がありまして…」

という言葉を口にします。

けれども、私たちは誰もが必ず父・母、二人の親があってこの世に生まれてくるのです。

そうしますと、もし親が亡くなることが

「不幸」

であるとするならば、誰もが二つの不幸を背負って生まれてくるということになりはしないでしょうか。

「だから人は泣きながら生まれてくるのだと」

と言われれば返す言葉がありませんが、一方である人が

「人間は幸福になるために生まれてくるのだ」

とも述べています。

親の死、それは心が張り裂けんばかりの深い悲しみではありますが、決して

「不幸」

とは言わないのだと思います。

では、

「不幸」

とはどのようなことなのでしょうか。

仏教では

「空過」

という言葉があります。

「空しく過ぎてしまう」

ということですが、それはこれまで自分の人生を精一杯生きてきたはずであるのに、いったい何のために一生懸命生きてきたのか分からない。

ふと振り返ると、そこに残っているものは

「空しい」

という思いだけ、というあり方のことです。

「必要にして十分な人生」

という言葉があります。

私たちの人生には、決して無駄なことなどないのです。

たとえそのときには大変なことだと思えても、苦しんだり、悩んだりしたことが、必ず私を育んでくれるものです。

そして、そういう体験が、やがて当たり前だと思っていたことがそうではなかった、あるいは見えているつもりでいたのに全然見えてはいなかった、といったことに気付かせてくれたりするものです。

仏さまの教えは、ともすれば苦労を不幸と錯覚してしまう私に、決して空しい人生を送ることのない生き方を明らかにしてくださいます。

「教行信証」の構造11月(後期)

聖道門の人々や定散二善に励む人たちを方便の側において、最も仏教から離れたところにいるはずの阿闍世のような者を真実の側においておられるのですが、これは普通に考えれば逆の見方だと思われます。

実はここに、

「疑情」

「邪見憍慢」

とは何かが問題になります。

私たちは

「疑情」

「邪見・憍慢・悪」

という言葉からは、人の心を疑ったり、悪いことをする心を想起します。

しかし、親鸞聖人が問題しておられるのは、そういうこととは少し違います。

「疑情」

とはいったいどういうことなのか、このことを明らかにしようとするのが、

「信巻」

の大きな問題です。

そしてこれがまた、

「信巻」

「化身土巻」

との分岐点になるのです。

では、親鸞聖人は何を判断の基準において

「疑情」

「邪見憍慢悪」

という心を見て行かれたのでしょうか。

親鸞聖人の

『正像末和讃』

の中に、次のような句が見られます。

五濁増(ごじょくぞう)のしるしには

この世の道俗ことごとく

外儀(げぎ)は仏教のすがたにて

内心外道を帰敬(ききょう)せり

「五濁増」

というのは、この世の中がますます悪くなって乱れていくということです。

その証拠には、今の時代の

「道(僧侶となって仏道を修している者)・俗(俗人のままでの仏教の信者)」

つまり僧侶も信者もすべて、外面的には仏教の教えを守り、仏教を一生懸命に信仰しているように見えるのですが、本心は全く逆で、内面ではすべて外道を敬い帰依していると言われるのです。

ここで外道と仏教の根本的な違いはどこにあるかが問題になります。

仏道はいうまでもなく、流転の法を嫌います。

したがって、この流転を厭離(おんり)する教えが仏教です。

これに対して外道は、むしろこのような流転の教えを欣求(ごんぐ)しているのです。

流転の法とは、世俗的欲望をいかに満たしていくかを教える法のことで、欲望を充足させる中で、喜びを感じて生きていこうとします。

仏教は、このように欲望を充足しようとする生き方の中には真実の喜びはないとして、そのような生き方を否定します。

ここに、仏教と外道との根本的な違いがあります。

そこで、この和讃ではどのようなことが述べられているのかというと、仏教とは本来一切の欲望を否定していく教えであるはずなのに、今の仏教は反対に人間の欲望を満たす方向の中で動いている、と言われているのです。

そういう中にあって、私たちは果たして仏教に何を求めているかを考えていく必要があると言えます。

私たちは、いったい仏教に何を求めているでしょうか。

欲望を満たす方法を求めているか、それとも欲望を否定する方法を求めているか。

こう自分自身に尋ねてみますと、私たちは例外なく、誰しも欲望を満たすことの方を願っている訳です。

これが

「内心外道を帰敬せり」

ということです。

私たちが、今日仏事を営むという時に、どのようなことを仏事として優れている在り方だと考えるでしょうか。

おそらく、先ずは家庭に立派な仏壇を求めるというようなことから考えが始まるのではないでしょうか。

そこで、古い仏壇は捨ててしまって、真新しい立派な仏壇を迎えることで、ご先祖の方々も安心して下さる、というようなことが心の中に浮かぶようでしたら、これは紛れもなく世俗の欲望を満たすという方向に心が動いている証拠です。

また寺院についても、

「自分の所属しているお寺は立派だ」

という時には、これは建物のことを指してそのように言っている訳です。

ですから、国宝・重文に指定されている壮大な建物が立ち並ぶ京都の本願寺にお参りすると

「とても有り難い」

ということになるのです。

つまり、本願寺は伽藍(がらん)も大きく、荘厳も素晴しいということです。

けれども、そういうことを中心に仏教が求められているとしますと、これは仏教が、そして何よりも親鸞聖人が厳しく否定された欲望を充足する方向に陥っていると言わざるを得ないことになります。