投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

「老いに向き合いともに生きる」(下旬)介護をする人はロボットではない

2年前から川辺の方でもデイサービスを始めました。

それを始めるとき、

「いろ葉」

で5年間やってきた私が強く思ったのは、介護をする人たちだけで、介護について、お年寄りについて、年をとるということについて考えていくのには限界があるということでした。

いろんな人を巻き込み、考えてもらわないといけないと思いました。

そこで、川辺の

「いろ葉のふじ」

を作ろうとしたときには、若い人たちを巻き込もうと思いまして、鹿児島大学工学部のゼミ生全員に声をかけました。

それで12人の学生さんと一緒に、1年かけて事業所を作りました。

学生さんたちも日曜日や授業がないときに少しずつ作業をしてくれました。

そうする中で、若い人たちがお年寄りのことを考え、お年寄りのことを考え、お年寄りと話し、スタッフと関わることで、考え方や、自分のこれからの人生を考えたと言ってくれる子もいて、就職した今でも遊びに来てくれます。

お年寄りはみんな役割が欲しいんですね。

立てないからすることがないのではなく、立てないから座ったままで何かをしてもらうんです。

例えば、あるおばあちゃんは、本当に何もしたがらない人なんですが、S字フックをいくつもつなげて天井から洗濯物を下げておいた状態で

「洗濯物を干して欲しい」

と言えば、パッと起き上がってしてくれます。

100人いたら100通りの老いがあり、そのご家族を含め、いろんな形があると思います。

それを私たちは

「いろ葉」

の中で感じさせられ、考えさせられてきました。

人と関わる仕事をする私たちは、ロボットではありません。

1人の人間として生き、1人の人として向き合い、1人のお年寄りについて語り合える介護をしていきたいと思っています。

それが老いと死、自分自身の人生を見つめることなのかなと思います。

答えのないこの世界で、答えがないからこそ、自分のあり方だったり、自分の一言、1つひとつを振り返ったりしながら毎日過ごすんですね。

お年寄りに振り回されながら、それぞれの介護論、生き方論を見つけていくことが私たちの介護のあり方だと思っています。

私は年に6回、子どもの通う小学校へ読み聞かせのボランティアに行っています。

私は年に6回、子どもの通う小学校へ読み聞かせのボランティアに行っています。

「朝の会」

の前、わずか10分だけど、わざわざ(-_-)仕事の休みをとって行っています。

読む本は、あまり深く考えず、気楽に、適当に選びます。

だいたい2冊くらい読み、時間があまれば、なぞなぞ大会!

「あと1問!あと1問だけっ!!」

と、なぞなぞはいつも大盛りあがりです。

私がわりと好んで読む本は“怖い系“の本。

みんな興味津々で、とても集中して聞いてくれます。

一番の盛り上げどころで

「ギャーーーーーーーーー!!!!!」

と大声で叫んだりしようもんなら、

みんな

「キャーーーッッッ!!」

「びっくりしたーぁっ!!」

「マジこえーっつの!!」

反応がとても素直(*^_^*)

先日、クラスの中でもおとなし系の男の子が、わたしの顔を見るなり一番前にやってきて、

「○○ちゃんのお母さんの読み聞かせが、1番好きだ…」

っていうつぶやきを聞いた時は、本当に涙が出るくらいうれしくて、

「続けてきてよかった」

と思わせてもらえた瞬間でした。

めんどくさいと思うことはしょっちゅうだけど、

終わった後は、必ず

「来てよかった…」

そう思わせてくれる時間。

ありがたい時間をいただいています。

『苦労が多いことと不幸だということは違う』

この世の中のありさまを仏教では

「濁世(じょくせ)」

といいます。

この

「濁」

とは、にごっているということですが、それはそこにあるものの全てがぼんやりしているということです。

例えば、水が濁っていると、水の中にあるもの全てがぼんやりとしか見ることはできません。

言い換えると

「濁」

というのは、すべてが曖昧だということです。

では、何がはっきりせずにぼんやりしているのかというと、根本的には自分にとって自身が曖昧なのです。

そうしますと、濁世の濁ということの根本には、世の中が濁っているということの前に、自分にとって自身そのものが曖昧であるという事実が浮かび上がってきます。

人間は常に幸福を求めて生きている存在であると言われますが、自身が曖昧であるために、いったいどうすれば自分が本当に自分の生き方に満足することができるのか、あるいは自分が本当に求めているのはいったい何なのかが分からないままに、いろいろいなことを周りに求めてしまうことになります。

けれども、このようなあり方においては、たとえあれも満足し、これも満足したということがあったとしても、結局その一生を振り返ると、自分の人生とは何だったのかということについて、明確な答えを見いだせないままに終わってしまうことにならざるを得ません。

それは、一生懸命に生きたはずなのに、何のために頑張ったのか分からないままに終わってしまうことに他ならず、その人生が

「虚しかった」

という一言に集約されてしまうような惨めなあり方ですが、仏教ではこのようなあり方を

「不幸」

というのです。

『往生要集』を著された源信僧都は

「苦といい楽といい、共に流転を出でず」

と述べておられます。

流転というのは、我を忘れるとか、我を失うということです。

私たちは、苦しい状態にあっても、いま自分が苦しんでいるのは自らの内にその原因があるのではなく、外にあるのだとその苦境にあることの責任を他に転嫁するという形で我を失っています。

一方、楽しい状態にある時も、その楽しみの中に我を忘れて、時間を無為に過ごしてしまうものです。

そこに苦しみといっても、楽しみといっても、共に我を忘れたあり方というものを出ていない身の事実があります。

この苦しみというのは

「自情に逼迫(ひっぱく)」

してしまっている状態であるといわれます。

私の感情、気持ちにとって、今の状況は胸が苦しく、圧迫してくる、そういう状態として受け止めている時が苦しみなのです。

それに対して、楽というのは

「自情に適悦」

という状態で、自分の思いにピッタリしているというあり方です。

この場合、苦楽共に

「自情に…」

ということがポイントになります。

私が苦しい状況と感じていても、決して世の中に苦しい世界がある訳ではないのです。

事実は、一つの世界を私が苦しいものとして生きているということがあるだけなのです。

そのため同じような状態をある人は生きがいのある世界として生きるということがあり、他方自身にあっても今まで苦しみとしか感じなかったその世界が、今は楽しい世界として感じられるようになるということもあったりします。

したがって、同じような環境であっても、そこに大きな問題を荷なって生きがいをもって生きている人もあれば、逆にただ愚痴ばかりを言って世の中を呪っている人もあったりします。

このように、私の

「自情」

というものを離れて苦しい世界とか楽しい世界が色分けされているのではなく、与えられている状況というものを私たちは苦しいものと受けとり、あるいは楽しいものとして受け止め生きているという事実があるだけなのです。

そうしますと、たとえ苦労が多いと感じる人生であったとしても、その中に生きがいが見つかることによって、実はこれらのことは自分が成長していく上で不可欠のことであったのだと頷くことができたりすることもあります。

そのような人生か不幸であるはずは、決してありません。

「教行信証」の構造11月(中期)

ここで言いたいことは、世俗の幸福を求めていかに仏教を学んだとしても、悟りには至らないということです。

むしろ仏教は、世俗の幸福というものは全部破れるものだということを教えているからです。

世俗の幸福、それを具体的に言えば、

「いつも若々しさを保っていて、病にかかることもなく、経済的にも豊かであって、平穏無事な人生が送れる」

ということだと思われますが、そういうものは結局すべて破れてしまうということを教えているのが、実は仏教なのです。

したがって、その仏教に世俗の幸福を求めようとしても、決して期待するような答えは出てくる訳がないのです。

しかし、その一方、たとえ世俗の幸福がすべて破れたとしても、もし自分の心に決して破れない無限の喜びが満たされていれば、自分はもうどんなことがあっても、無限にこの法の喜びの中で生きることが出来ます。

仏教とは、この無限の喜びというものを求め説いている教えなのです。

そうしますと、親鸞聖人が『教行信証』の中で、説き続けておられることも、末法の凡夫がいかにすれば無限の喜びをもって生き続けることが出来るかということになります。

ところが、そこのところを逆にして、どうすれば自分が幸福になるかを念頭に置いて親鸞聖人の著述を読んだとしますと、その内容は

「一つも分からない」

ということにならざるを得ません。

初めにそういうことを踏まえた上で

『教行信証』

をひもといてみますと、

『教行信証』

は大きく二つの部分に分かれていることが知られます。

一つは真実を説いてある部分で、もう一つは方便について語られている部分です。

ここで言われている方便というのは、真実に至る過程のことです。

また見方を変えれば、私たちが真実に至り得ない要因を問題にしているのが、この部分であるということも出来ます。

この真実に至り得ない私たちの姿を、親鸞聖人は

『正信念仏偈』

の中で

「邪見憍慢(じゃけんきょうまん)悪衆生」

と言われ、こういう人々は真実の信心を得ること

「信楽を受持すること」

は難しいとされています。

同じ

『正信念仏偈』

の中に

「決するに疑情(ぎじょう)をもって所止(しょし)とする」

という一句がありますが、この

「疑情=疑いの心」

もまた、私たちが真実に至り得ない重要な要因だとおっしゃっておられます。

それなら、この

「邪見憍慢」

とか

「疑情」

という心は、いったいどのような心を意味するのかということになるのですが、実はこのことが

「信巻」

の重要な問題になっています。

親鸞聖人は聖道門や定散の行に励む人たちのあり方を、仏道における方便の行道として説いておられます。

「定」

というのは、定善(じょうぜん)のことで、これはたとえば座禅をして心を静め仏を見、浄土に生まれようとする行道のことです。

「散」

というのは散善(さんぜん)のことで、これは心を静めるというのではなく、良い行為をしてその善根を廻向して浄土往生を願うということです。

ですから、定散の人々というのは、心を整えて、清らかな人間となり、自分自身が出来る限り良いことをして浄土を願おうとする、そういう善を求めている人々のことです。

「聖道門」

というのは、もっと厳しい行道を指します。

これらは修行して自分がこの世で仏になろうとする人々ですから、親鸞聖人はこの人達も方便の側に入れておられます。

では、聖道門や定散の行に励む人たちを方便の側に入れられるのはなぜなのでしょうか。

これは

「信巻」

の一つの大きな問題でもあるのですが、親鸞聖人はどういう人々を真実の側に入れておられるかと言いますと、仏教で最も重罪である五逆罪を犯し、謗法罪を犯した阿闍世(アジャセ)を真実の側に入れておられます。

実は、親鸞聖人はここで阿闍世と自分自身の姿とを重ねて救いを考えていかれるのですが、この極悪人の阿闍世なればこそ、阿弥陀仏の本願に出遇い、真実の浄土へ行くことが出来たのだと受け止められるのです。

ここに、親鸞聖人にとっての

「真実」

とは何かを解く鍵があると思われます。

「老いに向き合いともに生きる」(中旬)その人にとっての「ちょうどいい」

介護用品はとても高価な物ですが、100円ショップで手に入るような身近な物でも十分介護に使えます。

例えば、いろんな種類のストローをリハビリに使ったり、ビールケースとお風呂マットを組み合わせて浴槽と同じ高さのイスを作り、イスに座った体勢のまま安全にお風呂に入ってもらったりします。

他にも人によって異なる

「立つのにちょうどいい位置」

ら手すりを付けるなど、あらゆる物を活用して、その人にとっての

「ちょうどいい」

を作っています。

年間通して必死に取り組んでいるのは水分補給です。

実は脱水症状からせん妄の症状が現れる人が非常に多いんです。

それで病院に行ったら認知症などと診断され、薬を飲まされていく内に本当の病気になってしまうという話をよく聞きます。

だから、そうならないよう、水分補給を徹底しています。

分量は1日2リットルを目標としていますが、それは大変なことなので、1人ずつ好みの飲み物を探っていきながら、コーラやサイダー、お茶やコーヒーなど、常に10種類以上の飲み物を準備して、手を変え品を変えながら飲んでもらっています。

物心ついたときから

「いろ葉」

にいる子ども達は、実のお孫さんでも近づけないようなお年寄りにもごく自然に近寄っていきます。

お年寄りも子どもを見ると元気になります。

中には子どもを叱る人もいるんですが、子どもは逆にそういうところからいろんなことを学んで成長していきます。

だから1日に3回くらい子どもの力を借りる時もあります。

一緒に本を読むような何気ない日常の光景にはホッとさせられますね。

スタッフは、ご飯を作りながら別のことをするというように、

「ながら仕事」

ができないと介護が務まりません。

これだけをしておけばいいんだというのではなく、洗濯しながら別の何かをする。

この人を気にしながら、別の人の世話をするというようなことが重要になってきます。

ここで働くスタッフが最初にぶつかるのがこの壁ですね。

施設でよく

「徘徊」

という言葉を聞きますが、私たちはそういう言葉は使いません。

「畑に行く」

という人がいたら、ああ今日は畑の気分なんだなということで、一緒について行くんです。

でも、ただついていくだけではいけません。

出て行ったときの表情、言葉から、どこに行こうとしているのかをキャッチするように、さりげなく付き合っていくんです。

そうして要領を得ていくと、自宅に帰ると言って出ていった人について行くのに、最初は1時間かかっていたのが、5分くらいで対応して、お年寄りにも5分くらいで納得してもらって、戻ってこれるようになります。

そのため、

「いろ葉」

では、鍵はかけません。

鍵をかけるということは、その時点で自分たちから介護を放棄していることだと私たちは思っています。

でも、ちゃんと対応していけば、お年寄りが勝手に出ていくことはなくなるんですよ。

出る前に

「お世話になりました」

と言ったり、きれいに靴を揃えて行くなど、ちゃんとサインを出してくれるようになります。

ご飯の時間も決まっていません。

食べたい時がご飯の時間です。

お腹がすいたときに食べるのが一番美味しい食事ですからね。

朝3時が朝ご飯の人がいたら、その時間に合わせて、朝3時に炊きたてのご飯ができるようにしていました。

チリ鉱山での落盤事故における大救出劇は、世界中の人々が固唾をのんで見守ったことと

チリ鉱山での落盤事故における大救出劇は、世界中の人々が固唾をのんで見守ったことと思います。

およそ2カ月近くにわたり地下700mもの地中奥深くに閉じ込められた33人の方々。

どんなに恐ろしく、真っ暗闇の中でどんなに不安の日々であったことでしょう。

明かりも道も、一切が遮断され、そこに取り残される苦しみは想像を絶します。

今回の救出劇には、それ以前に事故発生の背景や鉱山労働者の就労体制等についても多くの批判がありましたが、そのことについてここでは触れないことにします。

待ちに待った救出の日。

「チチチ、レレレ、ビバ!チレ(チリ万歳)」

の大合唱が響く中、昼夜を問わず一人ひとりが地上に助け出される映像には、私も感極まるものがありました。

特に私は、その救出方法には一驚を喫する思いでした。

広大な鉱山という敷地の中にあって、33人が寄り添うように避難している700mもの地中奥深くの小さな空間に、真っ直ぐに一本の救出口をピンポイントで掘削できるその技術の高さには、あえて

「不可思議」

とでも言うべきでしょうか。

ふと、一つの物語を思い起こしました。

芥川龍之介さんの

「蜘蛛の糸」。

皆さんもよくご存じのお話しではないでしょうか。

『カンダタという一人の男、生前、悪事の数々をはたらいた大泥棒。

案の定地獄に堕ち、その苦しんでいる姿を極楽よりお釈迦様がご覧になっている。

しかしそんな彼もたった一つ、一匹の蜘蛛の命を助けたことがあった。

そのことからお釈迦様は、彼を何とか極楽へと導くべく一本の蜘蛛の糸を垂らす。

その糸に気付いたカンダタは喜び勇んでこれを登っていくのだが、しかし途中下を振り返れば、ただでさえ切れそうなか細い糸に、次々と地獄の者たちが自分の後についてきている。

切れてはたまらんとカンダタは、

「これは俺のための糸だ」

と後の者たちを振り落とそうとする。

その時、カンダタの握っていたところから糸はプツッと音を立てて切れ、カンダタもろともまた地獄へと逆戻り。

その一部始終をご覧になっていたお釈迦様は、大変悲しいお顔をされ、そしてまた歩いて行かれた』

今回のこととお話しの結末はもちろん違いますが、まさに物語の意図するところの実践がそこにはあるように感じます。

生命線とも言える一本のワイヤーは、地底と地上とを繋ぐ命綱。

ところが、33人の仲間たちはその一本を我先にと争うどころか、お互いを譲り合い、

「お先に」、

「どうぞ」

と、仲間を気遣う気持ちに満ちあふれていたと聞きました。

みんな揃って地上へという願いのもと、リーダーを中心にお互いが守るべき事項を忠実に守り、そしてそれはいつしか

「決まり」

ではなく、自ずとにじみ出る姿勢となって、みんなの心を大きく育んでいたのだと思います。

真っ暗闇。

けれどもそのような光のない中で映し出された人間(私)の実態。

まさに逆縁とも言える中で、彼らの目にはかけがえのないものが見えていたのではないでしょうか。