投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

「観光鹿児島の魅力と楽しい旅の選び方」(上旬)全国有数のすばらしい観光素材

======ご講師紹介======

奈良迫英光さん(鹿児島県観光プロデューサー)

☆演題「観光鹿児島の魅力と楽しい旅の選び方」

ご講師は、鹿児島県観光プロデューサーの奈良迫英光さんです。

志布志市(旧有明町)出身。

鹿児島大学を卒業後、昭和48年、近畿日本ツーリストに入社。

北九州支店長、鹿児島支店長、東京本社の地域振興担当課長を務められました。

その間、京都の西本願寺には添乗で40数回参拝されました。

これまで福岡県観光サポーター、九州産業大学非常勤講師、鹿児島県観光アドバイザーなどを歴任され、平成20年4月に鹿児島県観光アドバイザーな就任されました。

また、平成18年には、鹿児島にゆかりのある県外在住の人に鹿児島の魅力をPRする薩摩大使に任命されました。

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鹿児島県は、錦江湾(きんこうわん)を挟んで位置する薩摩半島と大隅半島、そしてずっと南の与論島をも含んでおり、南北に600キロもある非常に広い県となっています。

この中には、鹿児島のシンボルである桜島や、砂蒸し温泉の指宿(いぶすき)、癒しと多彩な食文化の奄美(あまみ)群島など、全国有数の素晴らしい観光素材があります。

しかし、鹿児島県にお住まいであっても、その全てに行かれ、鹿児島の魅力に精通された方は少ないのではないでしょうか。

鹿児島の風土的な特徴を挙げていきますと、離島を含み非常に広い海岸線や、全国2位を誇る数多くの温泉。

温帯・亜熱帯・冷温帯という世界的に珍しい気候。

国立公園霧島と日本初の世界遺産、屋久島などがあります。

旅には欠かせない食文化についてもお話しますと、鹿児島の郷土料理として、まず

「鶏飯(けいはん)」

が挙げられます。

これは奄美大島を本場とする料理で、明仁皇太子殿下と美智子妃殿下が奄美大島を訪れになった時にお出しして、美智子妃殿下にとても喜んでいただきました。

次に、薩摩武士が戦場で作ったものが始まりだとされる豚骨料理。

それから庶民的なちらし寿司である

「さつますもじ」

や、高級な食事とされる

「酒ずし」

もあります。

こういうのが、鹿児島を代表する郷土料理だと言えます。

忘れてはならないのが、黒豚です。

前足2本、後ろ足2本、それから鼻としっぽ。

あわせて6箇所が白い

「六白(ろっぱく)」

が、非常に美味しい鹿児島黒豚の特徴です。

同じく黒牛もあります。

鹿児島の黒毛和牛は生産量日本一と言われています。

口蹄疫に感染しなんいように、現在鹿児島の種牛は離島に移されていますね。

そして、全国の養殖生産量の5割を占める鹿児島のクロマグロや、健康にいいと言われ、全国的に人気の黒酢。

他にも、黒砂糖、黒ジョカなどがあり、“黒”と言えば鹿児島だと言ってもいいでしょう。

また、鹿児島には魅力的な島がたくさんあり、高橋尚子さんや、野口みずきさんといった有名なマラソン選手が合宿したりもします。

なぜこういう島で合宿していたかと言いますと、激しいトレーニングに適した地形があることや信号機が少ないこと、住民の生活に迷惑をかけないということがあるようです。

しかし何より、おもてなしが素晴らしいというのがこの鹿児島県ではないかと思います。

ここで、私がおすすめかる所をいくつかご紹介したいと思います。

まず桜島ですね。

県民にとってはやっかいな噴火と降灰ですが、県外の人はこれに感動します。

また、桜島にある湯之平展望台からの鹿児島市の夜景は一見の価値がありますね。

次に、県外の方が鹿児島に来て驚かれるのがお墓です。

鹿児島の人はご先祖に対する敬いの心が非常に強いです。

お墓には、いつもきれいな花を飾り、隣のお花が枯れていたら、花を分けてあげる。

これは鹿児島の素晴らしい文化だと思います。

先祖代々伝わってきた、こういうものは、ぜひこれからも伝えていかなければならないと思います。

その他、開聞岳(かいもんだけ)が一望できる風光明媚なJR最南端の駅、西大山駅。

すばらしい露天風呂

「東温泉」

がある硫黄島(いおうじま)。

世界一美しいロケット基地がある島、種子島(たねがしま)。

朝日・夕日を交えて絶景を作り出す

「犬の門蓋(いんのじょうふた)」

がある徳之島。

透き通った海が時間を忘れるほど美しい与論島の百合ケ浜。

日本一と言われる鹿屋(かのや)のバラ園など、鹿児島には素晴らしい所がたくさんあります。

『見えないところでつながりあい生きている』

8月の声を聞くと、途端に人の動きが慌ただしくなります。

この新時代に?なってすらお盆となると、空港や駅は家族連れの帰省客や旅行者でごったがえします。

しかも、かねては人影を見かけることの少ないお寺の納骨堂や墓地までも、テレビのニュースで映し出されるほど混雑をきわめるのです。

お墓にお参りして、先立たれた人へ思いを巡らせ、手を合わせる人がほとんどでしょうが、いつの頃からか、私は別のことを考えるようになりました。

それは、お墓参りとはお互いの

「いのち」

が見えないところで繋がり合っていることを教えてくれる場なのではないかと確信するようになりました。

作家の五木寛之さんは、自身の著書で次のような話を紹介しておられます。

「ある大学の実験で、30cm四方・深さ56cmの木箱を作り、砂を入れ、一本のライ麦の苗を植えた。

水だけで90日間育てて、麦を引き抜き、目に見える根、顕微鏡でしか見えない全ての長さを測ってみた。

すると、その根の長さは11,200kmにもなった。

という話です。

たった一本のライ麦の根っこが、私たちの目に見えない砂の中で、水だけを頼りに90日間で、何と日本列島の約4倍にもなる根っこを張りめぐらせながら

「いのち」

を支えていたのです。

この事実に驚くと同時に、その余りの長さに愕然としました。

ある夏の終わり、ロサンゼルスに出かけ、一人で歩いても安全と教えられたベニズビーチを散策していた時の出来事です。

週末とはいえ、あまりの人の多さに海辺に目を向けると、海水浴を楽しむ家族を尻目に不思議な光景が広がっていました。

砂浜一面に真っ白な十字架がひしめき合っているのです。

新興宗教のイベントか何かのお祭りごとか…、と通りすぎようとしたそのとき、眼前の掲示板

「ARLINGTONWEST」

の文字を見つけました。

優に3,000を超すクロス。

星条旗に覆われた棺。

掲示板の単語を拾うと、一時的な墓地であることが理解できた。

イラクで倒れたアメリカ兵だけでなく、罪のないイラク市民、他国のジャーナリスト、行方不明の人々、全てのいのちに経緯を表すイベントでした。

戦争という名のもとに絶たれたいのち、理不尽な家族との別れ…。

家族を思う人間が流す涙には変わりはありません。

なぜなら、いのちはみんな繋がり合っているからです。

「親鸞聖人が生きた時代」8月(後期)

しかし、考えてみますと、宗教はもともと、生身の人間が確認することのかなわない理念に満ちています。

ことに救済の確信というのは、ずいぶんあやふやなものです。

結果が形として具現化するわけではありませんし、身も蓋もない言い方をすれば、死んでみなければわからない事柄に属する事柄だからです。

少なくとも、浄土往生を問題とする限り、そういうことになります。

したがって、たとえ欺かれてもよいという覚悟のもとに、全身全霊を投じて信に徹するという操作がここに必要となってきます。

いや、むしろ、まず信じ込むことこそ必須の前提であり、その意味で法然聖人や親鸞聖人の直感的選択は信仰の本質に肉薄する最も有効な手だてであったという見方も成り立ちます。

ともあれ、親鸞聖人は法然聖人の教えに心底から共鳴し、その門下に連なることになりました。

親鸞聖人が比叡山を下り、東山吉水の法然聖人のもとに赴かれたのは、二十九歳の建仁元年(一二0一)のことです。

なお、この法然聖人との出会いを親鸞聖人は、その主著

「教行信証」の後序に

しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す

と感銘深く記され、またその感激を晩年に至るまで、あたかも昨日の出来事であったかのように語っておられます。

この出会いからほどなく、親鸞聖人はその実践において、法然聖人よりもさらに一歩進んだ地点に踏み出して行かれます。

法然聖人は、浄土宗を開宗された後も、聖道門系の修行法である観想念仏を継続されましたし、さらに終生、持戒の生活を守り続けられました。

さらに、法然聖人は次のようなことも仰っておられます。

「聖(ひじり)であって念仏できないならば、妻帯して念仏せよ。

妻帯したために念仏ができないというのなら、聖になって申せ」

けれども、このような柔軟な妻帯観にもかかわらず、法然聖人は一度も妻帯されることなく生涯を終えられました。

ところが、親鸞聖人は、現実に妻帯をされました。

親鸞聖人は『教行信証』の中で

「末法の世では、僧侶も妻帯し、子どもをもうける。

世の人はこれに対し、正法時の聖者舎利弗・大目蓮のように遇するべきである」

と述べておられます。

一読して明らかなように、親鸞聖人は妻帯することに対して、積極的に認知すべきこととする姿勢が強く、従来の仏教的常識に完全と挑んでおられたかのようです。

その意味で、親鸞聖人は公然と妻帯した第一号であられたと言えます。

親鸞聖人のこのような姿勢は、承元の法難に連座して越後に流されたあとさらに強まり、

「愚禿釈親鸞」

を自称して、生涯にわたり

「非僧非俗」

の生活を貫かれます。

このように、公然と妻帯することが出来たのは、親鸞聖人が阿弥陀仏の本願の中に、他力信仰の真髄を読み取られたからだと推察されます。

「私の人生」(下旬)強くなければ“優しくする”ことはできない

私には国のためにいのちをかけなければいけないんだという自覚がありました。

生きる目的と覚悟がはっきりしていたんです。

そして、負けてたまるかという自負心、自尊心、これらがあって初めて頑張れるんだと思います。

でも、もし負傷していたり、病気になっていたなら、もう終わりにしていたかもしれません。

健康だからこそ、

「やってみなければ分からない」

という台詞が出るんです。

極限状態の30年間の生を支えたのは、しっかりした目的意識であり、その土台を作っていたのは体の健康だったという訳です。

ルバング島での戦争を終え、私は日本に帰国しましたが、世間と私では認識に大きなずれがあり、居場所がありませんでした。

それで、ほどなくしてブラジルに渡り、ルバング島での経験がいろいろと流用できることもあって、牧場開発をやったんです。

全神経を傾けて頑張りました。

おかげで、10年で約1200ヘクタール、1500頭を超える数の牛を持つ牧場まで開発できました。

ところが、そういう事業が一段落したころ、日本で神奈川金属バット両親殺害事件が起こりました。

この事件を知って、私はこの浪人生がかわいそうに思えました。

自分の向き不向きに気付かず、親と口論も出来ず、独立する気概も持てなかった。

これはつまり、自分を知らなかったんじゃないかと考えたんです。

そこで、自然を最高の教師とする自然塾を開きました。

子どもたちで山に入って、お互いに切磋琢磨するんです。

自然とふれ合うことで、自分のしたいこと、なりたいもの、自分という人間が分かってきます。

そうすれば、そんな事件なんて起きなくなることでしょう。

その自然塾では、子どもたちに“優しくする”ということを教えます。

優しいとはどういうことでしょうか。

例えば、寒さに震えている子がいたとして、かわいそうだと同情する人と、あざ笑う人がいたとします。

この場合、かわいそうだと思っている人は、あざ笑っている人よりは優しいかもしれませんが、何もしていないのは両方一緒です。

寒さにおびえている子は全然助かっていないですよね。

これで、自分の服を脱いで着せてあげられれば、本当に優しいんです。

そのためには自分が寒さに耐えるか、あるいは着替えを蓄えておかないと実行できません。

つまり、強くなければ“優しく”することはできないんです。

事実、生存競争ですから、強くなければ生き残れません。

だけど、自分一人じゃ生きられないんです。

優しくする、人にいろいろ力を貸す。

だから、自分も力を貸してもらえるんです。

今、私は子どもたちにそういうことを教えています。

納骨は、いつまでにすればよいのですか?

遺骨を納める時期には、特に決まりはありません。

お彼岸やお盆の時期でなければならないとか、ましてや日の吉凶にこだわる必要も一切ありません。

火葬の後に納骨される方もありますし、初七日、七七日など様々です。

しかし出来れば、満中陰(まんちゅういん・七七日)の法要までには、お寺との相談の上で納骨されることをお勧めしています。

火葬の後すぐに納骨なさらなかった場合は、自宅に戻ってきた故人の遺骨は葬儀社などが用意した中陰壇(ちゅういんだん/三段形式の壇)に安置することになります。

この中陰壇には、

お花、

ろうそく、

香炉や供物、

が飾られ、そのほかに遺影や白木の位牌(真宗では本来は用いません)が置かれたりするので、つい、お仏壇ではなく中陰壇のほうへ目が向きがちになりますが、初七日、それから七日ごとに勤める中陰法要などでお勤めする場合も、中陰壇ではなくお仏壇の前でお勤めいたします。

お勤めは遺骨の前で行い、そのお経が故人への追善になると思っておられる方も多いようですが、浄土真宗では、故人は阿弥陀如来さまのはたらきにより、死後

「ただちにお浄土に生まれて、真実の覚りを開き仏さまになられる」

といただいております。

確かに、ご遺族の方々にとって遺影・遺骨などの飾られている中陰壇は、亡くなられた方を偲ぶ大切な場所ではありますが、法事は仏事といわれるように、仏さまの事をお勤めするのですから、この一点を動かしては法事が仏事でなくなってしまいます。

また、亡くなられ方は、既に仏さまになられたのですから、今はどこにいらっしゃるのかと言えば、お浄土をかたどったお仏壇の中ということになります。

いずれにしても、ひとつひとつが大切なご法事です。

納骨にしてもお寺と相談をしながら決めていただけたらと思います。

その最、死を忌み避けたり、日の吉凶や迷信に振り回されることなく、故人の遺徳を偲ぶとともに、これを

「縁」

として私の人生の確かなより所となって下さるお念仏の教えを聞き、阿弥陀如来さまへの報謝の念を深める尊い

「仏縁」

としていただきたいと思います。

先日、気分転換に!ってことで、

先日、気分転換に!ってことで、

【薩摩川内市藺牟田池】の温泉へ祖母と行ってきました★

お天気にも恵まれて快晴♪(暑すぎるくらいでした・・・)

【藺牟田池】よく聞いてはいましたが、見に行ったことはありませんでした。

すごく大きくて凄く綺麗(*^_^*)☆★☆

白鳥も沢山いました。

空気も綺麗。

風も気持ちが良く、鹿児島市内から約一時間程車を走らせただけで、こんな素敵な場所に行けるなんて(*^_^*)♪

藺牟田池の空気を吸っただけで、十分リフレッシュできました。

そして、そして、温泉にゆっくりつかってさらにリフレッシュ☆

一泊二日、近距離旅行でしたが、とっても充実した、二日間となりました。

一日二日の休み、いつもなら、家のことや用事を済ませることで終わってしまいがちです。

そんな中、たまには、自分自身へのご褒美もかねて、ユックリ身体を休めるための休息旅行へ出かけてみるのもいいですよ♪

たまった用事などは、旅行から帰ってから、十分に回復した身体で、パパパ〜っと片付けちゃう!!!!

きっといつもより倍のスピードで片付いちゃうことでしょうv(*^_^*)v

いつも、忙しい毎日を送っていらっしゃる皆様へ☆

たまには、身体をゆっくり休めてあげてくださいね☆